<閑話:ヤニスとアスワン-2>
「賢者殿よ、貴殿が誰に送り込まれてきたのかは存じませぬがお答えしましょう。正直に言えば悪竜に勝てると思っておりませぬ。だが、一太刀も入れずに引き下がることは出来ぬゆえ、我は城へ戻る訳には行かぬのです」
「そうであろうと思った」
「我を引き留めに来たのでは?」
「違う。むしろ背中を押しに来た、と言うところだ」
「死地への背中を押して下さるとは愉快千万というところ...父上によろしくお伝え下さい。それと、最後まで我が儘な息子で済まなかったと詫びを」
「ヤニス・マフレナ・カシュバールよ、お主は勘違いをしておるな。儂はお主の親族に頼まれて引き留めに来たという話では無い。ライムールの国王など言葉を交わしたことも無いわ」
「では、貴殿は誰に頼まれて此処に?」
「誰にも頼まれてはおらぬよヤニス。儂は、儂の思うままに行動しているだけだ。そして儂は、悪竜は人族の手で斃されるべきだという結論に至った」
「良かった。であれば我々は意見が合いますな」
見知らぬ賢者と意見が合ったところで何が変わる訳でもないが、否定的な言葉を背中に浴びながら立ち去るよりは気分がいい。
気分か・・・まだ、その程度の感覚は俺の中にも残っていたようだ。
「しかり。しかし儂は、ただお主を鼓舞しに此処まで来た訳では無いぞ。愚かにもドラゴン族共は古くさい掟のために、いまはまだ、あの悪竜に手を出せぬ。よって、悪竜は人族の手で斃さねばならぬ。そして人は絶望せず、恐怖に打ち勝たねばならぬ」
「言うは易し、ですな」
「まこと、『言うは易し行うは難し』であろうとも。ゆえに、儂はお主に悪竜を斃す力を分け与えようと思う」
「ほう? 事実であれば有りがたい話で御座いますが、それはどのように?」
「さきほど儂は名乗ったぞ」
「聞きました」
「儂が人では無いというのも冗談では無い。先ほどお主が自分の口から言ったように、人では無いアスワンという名に覚えがあるならば、儂が何者かは見当が付こうというもの」
「まさか?」
「その、まさか、だな。にわかに信じがたいことは理解しておるが」
まさか。
いや、まさか・・・
この賢者のごとき風体の男性が、あの伝説の『大精霊アスワン』だと言うのか?
でも目の前の男はそう言っている。
そして、俺の目にも、この賢者は嘘をつくタイプの人物では無いと見えている。
人物・・・
いや、人では無いとしても、か・・・
確かに彼の纏う空気は清々しく、濁りや悪を感じさせるものは一欠片も存在していない。
そもそも、こんな山奥に来て服装を整えてまで『自分が大精霊だ』と嘘をつく必然性は存在しないだろう。
となれば・・・
俺は黙って馬を降り、その場に片膝を付いた。
「先ほど、お名乗り頂いていたにも関わらず、死地に赴く剣士の焦燥ゆえに失礼を致しました。大精霊アスワン様、どうかお許しを」
「ヤニスよ、堅苦しいことはよせ」
「は!」
「と言うか、お主は儂が大精霊だということをカケラも疑わぬのか?」
「疑う理由が有りませぬゆえ」
「ふぅむ。まぁ確かに、こんな突拍子も無い事でお主を騙そうと企むヤツはおるまいな...」
「ご理解賜り恐悦至極にございます」
「そう言う物言いは不要だヤニス。そもそもお主、日頃は家臣達に対しても、もっとざっくばらんに振る舞っておろう?」
「恥ずかしながら...」
「まあいい。今日はお主に『野に下れ』と言いに来た訳では無いからな。用件は二つある。一つはこれをお主に渡すこと...」
そう言った次の瞬間、大精霊アスワン様の手に一振りの剣が握られていた。
どこから出したのか全く見えなかったが。
「これは儂が魔法鍛冶で鍛えたオリカルクムの魔法剣だ。振るう際に強い魔力を纏わせることで、いかなるものも両断できよう」
「ならば竜の鱗でさえも?」
「しかり。だが、今のお主には剣技はあっても魔力が足らん。ドラゴンの首を刎ねるのは難しかろうな」
「しかしアスワン様、とても今から修業をしている時間など有りませぬ。あの悪竜は自由奔放ゆえ、いつ我が手の届かぬところへ飛び去ってしまうかも分からぬのですから」
「ヤニスよ。勝てぬとも、一太刀入れられればそれで良いとでも考えておるのか? だが、もし勝てるならその方が良かろう?」
「もちろん、なんとしてもクレアの仇は討ちたいと切望しておりますが...」
「そうであろうよ...そこで儂とお主の間で取引だ。儂はあの悪竜を人族の手で討ち取るべきだと考えておる。そしてお主は妹君の仇を討ちたいと切望しておる。つまり目的は同じだな」
「はっ...」
「これより儂はお主に、この剣と悪竜を倒すための力を与えよう。それでもドラゴンに勝てると保証は出来ぬが、悪竜相手なら勝算は十分ある」
「ですが、『取引』と仰るからには対価が必要でございましょう。我はアスワン様に何を差し出せば良いのでしょうか? 今の我には、この命の他に差し出せるものは何もありませぬ。無論、我が命と引き換えに悪竜を討てるのであれば、喜んで差し出しますが...」
「いや、悪竜との戦いで命を落とす可能性もあるが、それよりも、お主には今後ポルミサリアのために働いて貰いたい」
「と、申しますと?」
「悪竜を無事に倒すことが出来たら、これより渡す精霊の魔力と魔法剣は、そのままお主に預けておこう。その力を持って『勇者』と呼ばれる存在となり、ポルミサリアの安寧のために働いて欲しいのだ」
「その...『安寧』でございますか?」
「腑に落ちぬか?」
「いささか...」
「実は、あの『悪竜』が現れた事とも関係ある。どうも最近、このライムールを中心として魔力の奔流が激しく乱れる傾向が強まっておる。そのせいか、アチラコチラでこれまでに無い異常な魔物が現れたり、魔獣共の様子が奇妙な具合になったりしておるのだ」
「魔力の奔流...」
「この大地と空を巡る天然の魔力の流れだ。常に留まることなく空や海や大地を巡っており、およそ魔力を必要とする存在は全て、その力に頼っている」
「乱れると、どうなるので?」
「しばらく前にも、似たような急激な乱れが生じたことはあった。その時はあらゆる生き物...魔獣だけでなく、普通の獣や草木までが影響を受けたのだ。それで生じた結果はお主も聞いておるな。かつての大飢饉だ」
「そうでしたか...ならば、魔法を使う人もまた、その奔流に頼って生きているのですな?」
「聡いなヤニス、その通りだ。よって奔流の乱れは野の生き物だけでなく、人族の暮らしぶりにも大きな影響を及ぼす。肉体の健康のみならず、知らず知らずのうちに心根が影響を受けることもあろう。大勢の間で諍いや騒乱の種ともなりうる」
大精霊は、その強大な力を持って人同士の争いに介入することはないが・・・ただ、心やさしいアスワン様は人々の苦しむ姿を見るのが嫌いなのだと、そう話に聞いたことはある。
確かに、あの悪竜は大勢の人々を苦しめ続けている。
ならば、俺や他の人々と同じくアスワン様にとっても討伐する意味があると言うことなのだろう。
そして悪竜を斃した後も、その『奔流の乱れ』とやらを治めるために俺に尽力しろと、そういうことだな・・・
「承知しましたアスワン様。この身で役立つことがあるのでしたら、如何様にもお使い下さい」
「如何様にもと言うならば、まず、そういう僕のような物言いは止めて欲しいところであるな。儂はお主と対等の取引をしたいと思っておる」
「大精霊様と対等に?」
「それは生まれの由来、立ち位置の違いに過ぎぬ。お主は、自分が国王の息子に産まれたから全ての国民を下僕だと思っておるのか?」
「まさか!」
「であろう? 儂とて同じよ。いつ頃からか人々に大精霊などと呼ばれるようになっただけのことに過ぎぬ」
「それはまあ...」
「さて本題に戻ろう、これは雇用契約だ。儂はお主に悪竜を倒す力を渡す。お主はポルミサリアの地を平穏に保つために働く。どうだ、決して悪い取引ではあるまいヤニス?」
「論ずるまでもございません」
「ならば、これで契約だな。まあ断られるとは思ってなかったが...お主はこれまで一度足りとも勇者になることを拒んでおらん」
「は?」
「いや、お主の魂の過去生の話だ。気にせずとも良い」
「はあ...」
「そう怪訝な顔をするな。いまに分かる...さてと...ではこれから、お主の魂を練り直して儂の力を分け与えるが...一つ忠告がある」
「承ります」
「内容を聞く前から早いな。お主に力を分けることで儂は相応の力を失う。それで儂自身は何かが困るという訳でもないが、当面この現世に姿を現すことは出来なくなろう」
「それで困らないのですか?」
「儂にとっては外で起きていることを気にせず静かな場所で寝ているようなモノだ。儂は困らんが、先々お主が儂の助力をアテにするのは難しくなろう。故に、今の内にやって欲しいことも告げておく。頼んだぞ?」
「かしこまりました。ちなみに我が役目の終わりし際には、お借りした力と剣は、どのようにお返しすれば?」
「さて。それはその時に考えるとしよう。その時にまた会えるとすればな...では参るぞヤニス!」
大精霊アスワン様がそう言った途端に周囲は真っ白な光に包まれ、その眩しさに俺は目を閉じた。




