防寒品を追加しよう
翌日、俺とパルミュナは、ふたたび衣装店を訪れた。
そう、お高い山羊毛のケープを買った、あの店だ。
中に入ると同じ店員さんがいて、俺たちを見つけるとササっと駆け寄るように近づいてきた。
なんか肉食獣とか猛禽類の捕食行動っぽいんですけど。
「いらっしゃいませ! 先日はお買い上げありがとうございました! 本日はどのような御用向きで?」
「あー、実はちょっと野暮用が出来て、まっすぐ街道沿いに歩くって訳にいかなくなりましてね。少し山岳地帯の方を回っていかなきゃいけなくなったんです」
「そうしますと、ここより東の方になりますか?」
鋭いな。
王都に向かうならエドヴァルとの国境にある南の山地は関係ないし、北の山岳地帯なら王都の遙か向こうだ。
東の方と言っても、ミルシュラント公国とアルファニア王国の間に横たわる森深い地域にまで行くなら、もう王都に行く途中の寄り道と言えるレベルじゃなくて普通に遠征だろう。
当然、目的地として妥当なのはリンスワルド領の東側あたりってことになるな。
「そうです。で、山間ではまだ少し肌寒いのでは無いかと考えて、妹用に上着を一枚用意しようかと」
「なるほど...それは賢明なお考えかと思います。ここと違って山地の方は雨も多いですし、伯爵様の領地内でも、岩塩の鉱脈がある辺りまで登ると、夏でも肌寒いと聞きました」
この店員さんが岩塩の採掘場に触れたのは偶然というか、リンスワルド領の一般的な話題ってところだろう。
レビリスから聞いたとおり、かなり標高の高いところまで登っていく必要がありそうだ。
「お似合いなものを見繕って参りますので、こちらで少々お待ちいただけますか?」
今回は、奥に置いてある小さな丸テーブルに案内され、二人で座っているとお茶まで出てきた。
上客扱いの待遇の良さもさることながら、いまのフォーフェンは本当にお茶がブームなんだな。
お茶を飲みながら、内心、上着一枚だけのことなのにやけに時間が掛かるな?と考えていたら、先ほどの店員さんが沢山の服が掛かった木枠を別の店員と一緒に二人がかりで抱えて戻ってきた。
何着売りつける気だ?
「妹さんにお似合いのサイズと色合いですと、この辺りがお勧めかと思います。お考えによって布地は選び方が変わるかと思いますが、防寒第一で嵩張らないものと言えば、やはり先日のケープと同じ、特別な山羊毛を使ったこちらのチュニックがお勧めです」
やっぱり、一番最初に一番高価そうなアイテムをぶつけてきたな・・・
「また、動きやすさを重視されるなら、同じ布地を使ったカシュクールもございます。こちらであれば、上にケープを羽織った時でも腰回りがだぶつくことがございませんので、見た目もようございます」
そう言って、腰丈ほどの長袖の羽織り物を見せてくる。
こっちも、同じ山羊毛の布地か。
完全に標的にされていることを実感できるぞ。
よし、腹を据えた。
絹でも山羊毛でも持って来やがれ、エドヴァルっ子は宵越しの討伐報酬は持たねえんだよ!
・・・って嘘です。
まあ確かに、このカシュクールっていうのは前あわせで着るようになっているから、温度調整はしやすそうだな。
それに、前布を重ねて余った布同士を結び留めるような感じになっているので、だぼ付かずに済むだろう。
「冷たい風さえ少し防げればよい。かと言ってケープを羽織るほどでは無い。という時にお使いになりたいのであれば、絹や亜麻布の薄いショールを羽織るという方法もございますね。肩の寒気を防ぐだけでしたら有効ですし、なにより使わない時は小さくなりますので邪魔になりません。亜麻は雨に濡れてしまうと寒さを防ぐ役には立ちませんが、代わりに乾きが早いので、使いどころ次第かと思います」
その後、凝った刺繍の施された絹のスカーフや付け袖、首や肩に巻いて寒さを防ぐストールの類いなんかを何種類か見せられ、お腹いっぱいになった俺はすべての判断をパルミュナに委ねた。
まんまと店員の術策に嵌まった訳だが、それが分かっていてもなお、これ以上、女性の服装について説明されるのは苦痛だったからな。
もう春爛漫だというのに、山の上というのはそんなに寒いものだろうか・・・いや、寒いよな、実体験で分かってるさ。
父親が狩人だったから、山に登れば寒くなることくらいは常識として知っていたが、師匠に『歩いて半日登るごとに、薄布一枚剥がした分だけ寒くなる』と具体的に教えられてからは、着ていくものに気を遣うようになった。
それでも、麓で家畜を襲った後に山に逃げ込んだ魔獣を追って、予想以上に深追いする羽目になった時、ちゃんとした服や野営装備を持ってこなかったことを後悔したことは何度もある。
歩いている時は体が温まっているから気がつかないけど、ちょっとの時間でもじっとしていると、すぐに凍えるようになるんだよな。
待ち伏せ中とかは火も焚けないからホント辛い。
あの風の冷たさを知っておきながら、パルミュナに「お前、そこは精霊の力でカバーしとけよな」とは、とても言う気になれないよ。
「お兄ちゃん、どれがいいと思うー?」
急にパルミュナに振り戻されて父親と師匠の追憶を中断する。
「いや、なんでもパルミュナの好きなものでいいよ。なんでも」
大事なことなので二回言いました。
ぶっちゃけ予想外の討伐報酬が手に入ったからね。
腹も据わったし、二着目、三着目のケープを買われても問題は無いのだよ。
「うーん、上着があると安心だけど、持って歩くの大変かなー?」
「いや、いま見せて貰ったのなら軽い生地だし大丈夫だろ。最悪、お前の背負い袋に入らなくても俺が持ってやるよ」
「でもー、実際どのくらい寒いか分からないし選びにくーい!」
「そうだなあ...あの『水浴びした泉』があったところな? あそこで一晩を過ごしても無理をしないで済む、ってぐらいで考えておけばいいんじゃ無いか?」
俺がそう言うと、パルミュナはすっと目を細めてから破顔した。
「分かったー!」
そう嬉しそうに言って再び服を選び始める。
『無理をしない』って言うのは精霊の力を消費しなくても寒くないように、っていう意味で言ったんだけど、ちゃんと伝わったらしい。
チュニックを体に当ててサイズを確認している時に、店員さんが小声でこっそりと『もう、本当にお兄様から愛されてらっしゃいますのね! 素敵なお兄様で、妬けてしまいますわ』と囁いているのが聞こえてしまった。
それとも、わざと少しだけ聞こえるようにお世辞を言ったのだろうか・・・うん、きっとそうだな。
でもたぶん、この店に来る三回目の機会は無いと思うから、期待させてごめんね。
結局、パルミュナは山羊毛のカシュクールと絹のショールを選んだけど、思うところあって、さらに俺が刺繍入りの絹スカーフも追加させた。
もう店員さんの顔がパルミュナ以上に嬉しそうだよ?
零れる笑みを隠そうともしてないし。
ふと、思いついて店員さんに聞いてみる。
「あの、この山羊毛の布地って、大きな布として売って貰うことは可能ですか?」
こんな高価な布地で、あらかじめケープやらチュニックやらを仕立てて売っているってことは、きっと高くても人気が出ると踏んで大量に仕入れてるんじゃ無いかって気がする。
実際、いまのフォーフェンの景気の良さなら、これのケープを買える人くらい、いくらでもいそうだしな。
「と、申しますと?」
「いやあ、贅沢な話かもしれませんけど、これを毛布に仕立てたら、さぞ快適だろうと思いましてね。軽くて柔らかだし、妹には丁度いいだろうと」
「なるほど! それは素晴らしいアイデアですわ! どのくらいのサイズのものが仕立てられるか、すぐに工房の方に確認して参りますので、少々お待ちいただけますか?」
店員さんは小走りで奥に引っ込んでいった。
いま、俺の背負い袋に入っているのは山道でパルミュナと一緒に被っていた薄手の毛布一枚だ。
もちろん、自分一人ならケープとこの毛布で夜明かしすることに何の問題も無いけれど、山間で焚き火なしだったら、ちょっと辛い感じではある。
レビリスの言うように、岩塩採掘場の方まで登っていくとガクンと寒い、ということであれば、念のためにパルミュナだけでもしっかり被れるような暖かい毛布が欲しいところだ。
破邪の基準からすればあり得ない贅沢なんだけど、軽くて嵩張らなくて暖かいとなれば、いまの状況なら出費する価値はあるだろう・・・
それからしばらくして戻ってきた店員さんは、手に大きな布を抱えていた。
「元の布地の大きさはこちらになりますので、一枚物でしたら、幅はこれが最大です」
と、左右の端を持って広げてみせてくれた。
なるほど、背中に縫い目のないケープが作れるサイズだ。店員さんが両手を広げた位の幅はあるから、これならパルミュナの細い体は十分に覆えるだろう。
「もちろん、二枚はぎ、三枚はぎと繋げることは出来ますので、縫い目があっても宜しければ、いくらでも大きなものは作れます。いずれにしても四辺は裁ち落としのままですと弱いので、へりを巻いて縫い止めすることをお勧めします」
「妹の身長に合わせて切ったとして、四辺の縫い止めまでやって貰うとしたら、どのくらいの時間が掛かりそうですか?」
店員さんは、ちょっと天井に目を向けて思案してから答えた。
「縁縫いは単純ですが丁寧な作業が必要です。縫い目も長いので...良い布ですし綺麗に仕上げたいので、出来れば一人の縫い子に最初から最後まですべてやらせて、急げば明日の朝までには。さらにお急ぎであれば、二人の縫い子に手分けさせて、夕方頃には仕上げられます」
なるほど。
二人で両側から縫っていくよりも、一人で作業させた方が、全体の縫い目が揃って綺麗だってことか。
そりゃ確かに、人によって細かな作業の仕上げに差は出るよな。
「明日の朝、ここで受け取れるのであれば十分ですよ」
「かしこまりました。では袖詰めしたカシュクールも、その時に一緒にお渡ししましょう。それと、毛布の装飾はいかがなされますか? 名前やイニシャルの刺繍程度であれば、作業時間に影響はありませんが」
そう言いつつ、さっと布地をパルミュナの体に当てて、頭から床までの長さに手際よくピンを打つ。
首から足下までしっかり被れる長さと言うことだ。
「じゃあ、おねがいします。ペンとインクはありますか? なにかに名前の綴りを書いて、それの刺繍を...」
俺が荷物から羊皮紙の切れ端でも出そうとしていると、店員さんが筆記セットと一緒に『こちらをお使いください』と小さな紙の断片も持ってきてくれた。
それを受け取ってそのままパルミュナに渡すと、澱みの無いなめらかな手つきで、それに名前を綴って見せた。
精霊文字で。
「あー、やっぱりそっちがいいか?」
「うん!」
店員さんが不思議そうな表情でそれを見つめている。
何故か俺は読めるようになっているけど、普通の人が精霊文字なんて読める訳が無い。
まあ、知らなきゃ外国の文字だとか思うよな。
「あの、この模様は...」
「えっと、まあ、二人の間の暗号みたいなものでして...これをそのまま、こういう模様だと思って刺繍していただけませんか?」
「そうでしたか...では、承りました」
明日の朝は店を開ける前でも、夜明け以降はいつでも戸を叩いてくれたら出てきて毛布を渡してくれるというので、支払いは全部まとめて先に済ませておく。
うっかり転移魔法陣の上に置いたのかって勢いで、大銀貨が前回以上にごそっと消失したが・・・ま、ガルシリス城の討伐自体、パルミュナの手助けが無かったら、あんなに上手くいったかどうか怪しいところだから構わないさ。
リンスワルド領を見ていきたいっていう俺のわがままにパルミュナを付き合わせるんだしな・・・埋め合わせって奴だ。
ま、これも最終的にはアスワン持ちだと言えるけどね。