背後のエルスカイン
憤怒の表情の村長さんが、開いた扉の向こうに立っている。
そりゃそうか。
操ってた奴らには魔法陣が破壊されたことが分かるよな。
レビリス、悪いが説明はさらに後回しだ。
「その部屋の中では魔法は使えぬはず! なにをやりおった!?」
ああ、扉が閉まった時にレビリスの灯してた光が消えたのはそのせいか!
パルミュナがなにも言わなかったし、その後も普通に防護結界張ったりして魔法を使ってたから気づかなかったよ・・・
それって精霊魔法だから使えてたのね。
内心、レビリスの集中が途切れたせいかと思ってたよ、ご免な。
それにしても、俺って状況判断力が甘いよなあ。
なんか、自分で自分が嫌になりそう・・・
まあ、仕方ないけどさ。
それよりも、いまはこの村長というおっさんだ。
「魔法陣は破壊したぜ、エルスカイン? あと、ここの土地を通ってる魔力の流れも、ちょっと他所へ動いて貰ったから、もうこの場所にはなんの意味も価値も無い」
「きっ、貴っ様らあぁー!!! どれだけの手間をこの地に掛けてきたと思ってる! それをすべてフイにしおってぇっ! おおおおおぉぅっー、殺す、絶対に殺すっ!」
村長さんが凄まじい絶叫を上げながら、大きく口を開いた。
そこから、何か黒い靄のようなものが這い出てくる。
ひょっとしたら、山賊のおっさんたちが戦った魔物って言うのはこれなのか?
レビリスが剣を構えたので慌てて止めた。
「やめろレビリス! そいつは剣じゃ斬れない!」
だが、ガオケルムなら別だ。
村長の口から吹き出してくる黒い靄が、いまにもレビリスに襲いかかろうとしているように見える。
俺はダッシュしてレビリスの前に出ると、伸びてくるモヤをガオケルムで払った。
薄氷のような魔力の輝きを刃にまとったガオケルムが弧を描くと、まるでなにかの生物の触手のようにうねりながら伸びていた黒いモヤが、その途中で断ち落とされて霧散する。
「ぐふぉっ!」
村長は咳き込むような声を上げ、驚きに目を見開いて後ずさった。
「馬鹿なっ! 貴様、なぜこれを斬れる?」
「何故も何も、魔物を斬るのが破邪の仕事だ! 観念しろ」
一瞬、捕縛して口を割らせることが出来ないかという考えが頭をよぎったが、すぐにその考えを捨てた。
そんな甘い相手のはずが無い。
そのまま空いている方の手を村長に向けて、精霊の水魔法を発動する。
「まて貴様、その気配はまさか!」
村長がそこまで言った時には、俺の手から精霊の水が竜巻のように渦を巻いて流れ出し、村長の全身を飲み込んだ。
++++++++++
さてと・・・
全身をピュアな精霊水の渦巻きでくまなく揉み洗いされ、気絶して通路に倒れている村長を見下ろしながら、俺とレビリスとパルミュナで、この顛末をどう決着させて寄り合い所に報告するかを相談する。
まあ落とし所は、放棄されていた幻惑の魔法陣がなんらかの原因で術者のいないまま起動してしまい、人知れず不安定に稼働して地元の人たちに幻影を見せていた・・・という感じかな?
その説明で問題なのは、床に転がる大量の魔獣の死体と血糊だったが、これはパルミュナが『二人とも目を瞑っててねー!』と言うのでその通りにしていたら、目を開けた時には綺麗さっぱり消失していた。
吸収した魔力の力技で精霊の世界にでも放り込んだか?
念のために俺が精霊の水魔法で床を洗い流した後には、半壊した石畳と魔法陣の痕跡があるだけだ。
ふと気がつくと、さっきの戦闘で俺が被ってた魔獣の返り血の痕跡も消えてたんだけど、いつの間に浄化したのよ?・・・
「えっと、ひょっとしたら聞いちゃいけないことなのかもしれないけどさ...」
レビリスが村長に目を向けたまま、俺に言いにくそうに聞いてくる。
「ん? レビリスは友達なんだから遠慮なんかいらないぞ?」
全部を言わせずに俺がそう言うと、レビリスは明らかにほっとした表情になってこちらを向いた。
気絶した村長を見張ってたというより、目を合わせるのが気が引けてたって感じだったんだろうな。
「あのさ...ライノと妹ちゃんって、なにものなんだい?」
「ああ、実は勇者なんだよ。俺」
さも、それがたいしたことでもないように、サラッと軽く言ってみたけど、レビリスは目を見開いて固まっている。
あれ? やっぱり無理か?
「え、え、え、ゆ、ゆ、ゆう、勇者、なのか?!」
「うん、そうだよ?」
諦めずに、極めて軽い感じで返してみる俺。
「そ、それで、い、い、い、妹ちゃんは、きっとライノの妹とかじゃ無いんだよね?...」
「えー、妹じゃ無いけど従妹だよー」
パルミュナ、レビリスはそういう答えを期待して質問したんじゃ無いと思うぞ?
もう、これも隠しても意味ないだろうな。
俺がパルミュナをちらっと見ると、ニコニコ笑って見返してきた。
まあ、これも教えて問題ないってことだろう。
「本当はな、パルミュナは俺の妹や従姉妹じゃ無くて、この世界を守護してる大精霊の一人なんだよ。いまはこの世界に肉体を創って顕現してるけど、俺に勇者の力を分け与えてくれた精霊たちの一人だ」
レビリスは言葉も出なくなったのか、さっきと同じ表情と姿勢のまま微動だにしない。
「でも、ライノと結婚するっていうのはホントーだからー!」
混乱するレビリスに追い打ちをかけるパルミュナ。
いま、それはいいから!
レビリスは驚愕のあまり、腰が砕けそうになっているぞ。
次の瞬間、レビリスの表情にさっと緊張が走り、止める間もなく跪いた。
「大精霊様、そして勇者様。どうかお許し...」
「ちょっと待ったあっ!!!」
俺はそれ以上の言葉を継がせずに、慌ててレビリスを止める。
「ダメだダメだ、レビリス! そういうのナシで! 絶対ナシ! 俺とパルミュナはお前の友達なの!」
「いやしかし...」
「しかしもへったくれも無いの! 俺は勇者って言っても、まだ成り立てホヤホヤのヘタレだし、パルミュナだってアホな大精霊だ。敬う必要なんて、これっぽちもナシ!!!」
「アホってなにさー!」
「言葉のアヤだ。気にするな」
「えー!、精霊を敬う必要なんてぜーんぜん無いけどさあー、ライノはもうちょっと婚約者を大切にするってこと覚えようよー!」
「なにを言ってるんだお前は? いつ俺がお前との婚約を認めた?」
「えーっ、だってラスティユの村でアタシがライノと結婚するって言った時に否定しなかったじゃないのさー!」
「あれはお前のエールの飲みすぎってことで片がついただろうが!」
「それは、あの場の言い訳じゃーん」
「て言うか、そもそも従妹だの婚約だのが、一緒にいるための言い訳だろうが?」
「じゃーなに? ライノはアタシの純真な心を弄んだわけー?」
「それ人聞き悪すぎだろ! 頬っぺた膨らますのは俺の方だ!」
そう言って、ふと、レビリスの目が点になっていることが目の端に映った。
「あー、レビリス...悪いけどこれは内緒にして貰えないか?」
「そーだねー、夫婦喧嘩とか世間体悪いしー」
「婚約者ってのはまだ夫婦じゃねえ!」
「ほら、『まだ』って言ったー!!!」
そこでレビリスが吹き出した。
「だっはっはっはっ、いや、失礼。ゴメン...でも、二人のやりとり見てたらさ、クッ、悪りぃ...うん、やっぱりライノと妹ちゃんは、ライノと妹ちゃんだ!」
「お、おお。それでいいんだよ、それで!」
「ねー! アタシたちとタウンドさんは友達だもんねー」
「ははっ、うん、なんかさっぱりしたって言うかさ、割り切れた気がするな。あと、だい...妹ちゃんも、友達だって言ってくれるなら、そろそろタウンドさん呼びは止めない?」
「分かったー、じゃあアタシもレビリスって呼ぶから、パルミュナって呼んでね!」
「うん、ありがとう」
「隠してて悪かったなレビリス。ただ、うかつに勇者とか言っちゃうと、色々とマズいことがあるっぽくてな」
「そうなのかあ...まあでも本当に驚いたよ。今日のは間違いなく、俺のこれまでの人生で一番驚いた出来事さ」
「すまん」
「いいさ。って言うか、勇者と友達になる機会なんて何回生まれ変わっても、そうそうあるもんか。俺は面白い星の下に生まれた男だよ」
「それで言うなら、勇者になるハメになった俺の方が、面白い星の下に生まれてるぞ?」
「ハメってひどくなーい?」
頬っぺたを膨らましてるパルミュナはこの際、無視である。
「まあそうだな...それにしても勇者かあ。さっきの魔獣との戦いでは度肝を抜かれたけどさ、ライノがどうしてあんなに強いのか納得できたよ」
「はっ! まあ勇者としてはまだまだ弱い方だと思うけどな!」
なぜだか急におかしくなって、三人でそのままクスクス笑い続けていると、気絶していた村長がわずかに身じろいだ。
++++++++++
俺の目で見る限りは、濁った魔力の雰囲気は綺麗さっぱり無くなっているが、一応パルミュナにも確認してみる。
「どうだパルミュナ、流れてるかな?」
「そーだねー、もう完全に消えたと思うなー」
なら、このままなにもしなくても大丈夫か。
「村長さん、大丈夫ですか?」
何食わぬ顔で助け起こして声をかけてみる。
「うう...あ、私は、私は一体どうしたんでしょうか?」
「どのあたりまで覚えてますか?」
「...えっと、なんだかぼんやりしてるんですが...確か、夕べレビリスさんがうちに来て、ガルシリス辺境伯の城跡を調査するつもりだって仰って、それが、例の化け物騒ぎに関係あるとかなんとか...」
「ええ、そうです」
「それで今朝になって、なんだか心配になって? ですかね...レビリスさんたちの様子を見に行かなきゃいけないって急に思い立って...すみません、そのあたりから、なんだかぼんやりしてて...城砦のある丘に登り始めたことは覚えてるんですが...」
パルミュナの方を見ると、目線で答えてきたが、村長さんは嘘はついていないようだ。
恐らく、そのあたりで完全に意識を乗っ取られていたんだろう。
状況的には山賊のおっさんたちと似たような感じである。
さすがに、こちらは村長さんだけあって身綺麗だが。
「ここが、その城砦の中ですよ。正確に言うと地下ですが」
「え、そうなんですか?」
「ええ、村長さんは、俺たちと一緒にここまで来て、ここに溜まった地下水に澱んでいた魔力に当てられて気を失ってしまわれたんです。記憶がハッキリしてないのは、恐らくそのせいでしょう」
「そうでしたか...ご迷惑をかけてしまったみたいで、申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。気になさらないでください」
さて、この人には筋道だった説明をしておく必要があるな・・・