召喚される魔獣たち
俺が足を踏み込んだ箇所の魔法陣の光が、まるで水面の波紋のようにざわつく。
多くの破邪が、わざわざブーツの上に革サンダルを重ね履きしている理由がこれだ。
破邪の履く革サンダルの内側には、強力な解呪の護符が仕込んであって、地面を覆うように広がった魔物の上や澱んだ魔力溜りに踏み込んだり・・・それに、滅多にないことだが魔法を仕込んだ罠を張られたりしていた時に身を守る役に立つ。
暑い季節は革サンダルだけを履いておけば、足が蒸れることは無いから一年中問題ない。
いやブーツだって時々浄化してるから問題ないけどさ!
どうでもいい考えが頭をよぎったのはさておき、俺は円陣を組んだ形で現れたウォーベアに走り寄り、一番手前で牙をむいて威嚇してきた一匹の頭を払い落とした。
すぐに両脇のウォーベアもこちらに頭を振り向けてくるが、俺は軽くジャンプして斃したウォーベアの死体に飛び乗り、その両側に円を描くようにガオケルムを振った。
その一閃で、二匹のウォーベアが頭を上下半分に割られて崩れ落ちる。
残りの二匹が体をひねってこちらに向いたのと、俺が死体の上から魔法陣に降り立って刀を振るったのが、ほぼ同時だった。
俺に勢いよく覆い被さるつもりだったのか、後ろ足で立ち上がりかけたウォーベアは、頭を持ち上げたが故に、ガオケルムの太刀筋を綺麗に首の位置で受けることになった。
魔力で増幅されたその切れ味は、ウォーベアの頑強な骨と言えども、紙のように切り裂く。
いつぞやのラスティユの村で共同作業場の地面に転がされていた首のように、真っ直ぐ前を向いた状態のまま、ウォーベアの首がストンと床に落ち、それに一拍遅れて、その二匹の体がドサリと崩れ落ちた。
一瞬の静寂が訪れたのも束の間、魔法陣の上にはまたしても光が揺らめいて、次の魔獣が召喚され始めた。
同時に、それまで床に転がっていたウォーベアの死体が、結界の光によって弾き飛ばされるように魔法陣の外へ押しのけられていく。
パルミュナも俺を止めなかったし平気で魔法陣の上で暴れてたけど、足下の護符がなかったら、俺も一緒に弾き飛ばされてたんだろうなあ。
今度はなんだ?
魔法陣の上に現れつつあるシルエットがネコ科の猛獣っぽい。
スローンレパードか?・・・
いや、アサシンタイガーだ!
こんなアブナイもの、よく飼ってられるな!
もちろん、エルスカインには秘密の技があるんだろうけど、どうやったら檻に入れておけるのか見当も付かないぞ。
鉄の檻でも食い破るか魔法で溶かしちまうだろう、こいつらは。
さっきのブラディウルフもウォーベアも、天然の状態なら決して群れを作らない生き物で、繁殖期の雄雌以外は同類同士でも出会ったが最後、縄張り争いの死闘になる。
このアサシンタイガーもご多分に漏れず、そういう魔獣のはずなんだけどね・・・整然と五匹並んで、仲良く実体化しつつあるぞ?
ふざけんなよ!
「パルミュナ! こいつらを召喚してる手段って、基は転移魔法を使ってるんだよな?」
「たぶん、そーだと思う!」
「じゃあ完全に実体化するまでは、目には見えていても、実は『ここにはいない』って事か?」
「そのはずよーっ!」
つまり、朧気な姿の状態の時にガオケルムで斬り付けても、思念の魔物のような感じでやっつけることは出来ないって訳だよな。
なら、実体化した瞬間を狙うか。
俺は即座にガオケルムを手に下げて魔法陣の中心まで進んだ。
ほぼ実体化しつつあるアサシンタイガーたちの身体を、まるで幽霊の姿かのように、なんの抵抗もなく通り抜ける。
陣の中央に立って深呼吸し、ガオケルムを水平にして自分の真後ろに向け、脇構えの姿勢を取った。
俺の立っている場所は、こっちにお尻を向けた五匹のアサシンタイガーたちに囲まれている状態だ。
行きは実体化途中のアサシンタイガーの身体を通り抜けてこられたけど、こいつらが実体化したあとは、完全に通り道を塞がれている状態なので戻ろうにも逃げ場はない。
腰を低くして呼吸を整え、ガオケルムに魔力を注ぎ込みながら、静かにアサシンタイガーの実体化を待つ。
送り込まれようとしている魔獣にもこちらの姿が見えているのかな?
実体化してからの反応速度で、それが分かるだろう。
次の瞬間、わずかに空気が震えて、五匹のアサシンタイガーがこの空間に実体を持ったことが感じられた。
それと同時に五匹が一斉に身体を真後ろに捻り、俺に向かって、湾曲剣のような形をした、その凶悪な爪を突き立てようとして来た。
やっぱりこっちの様子が見えてたか・・・
俺はその場で脇構えにしていたガオケルムを水平に払った。
腰を捻り、同時に右手を一杯に伸ばすまで振り切って自分の周囲の空間を真横に切り裂く。
完全な円と言うわけにはいかないが、十分に込めた魔力で有効範囲を伸ばされたガオケルムの切っ先は、ほぼ円周を描いて、身体を伸ばしかけたアサシンタイガーたちを、五匹まとめて一気に両断した。
巨大な虎の魔獣が、その身体から力を失い、ドサドサと床に崩れ落ちていく。
ほとんどのアサシンタイガーを首の後ろ辺りで切り裂いたので、俺の浴びた返り血の量が凄い。
もう、全身真っ赤だ。
しかし一息つくまもなく、魔法陣の上にはまたしても光が揺らめきはじめた。
コレってたぶん、きりが無いな。
「あー、面倒くさい! きりが無いぞコレ!」
「お、俺もいくよ!」
俺の愚痴に、レビリスが勇気を奮い立たせて叫ぶのが聞こえる。
いや、これは本当に無理だから、無理しないでくれ。
「ダメ! タウンドさんは、あの魔法陣の上に乗っちゃダメ!」
俺が言う前にパルミュナが止めてくれた。
「俺も護符は身につけてるよ!」
「お兄ちゃんの足下の護符は特別製なの! 普通の破邪が持ってるような護符じゃ転移門に吸い込まれちゃうかもっー!」
えっ、そうなのパルミュナ?
それ、俺も知らなかったぞ!
いつのまに手を加えてたんだよ・・・
とか思ってる間に次の敵が実体化された。
第三波はまたブラディウルフ十匹か。
向こうの召喚ネタが尽きるのが先か、こっちの魔力と体力が尽きるのが先か、このままだと嫌な消耗戦になりそうだな。
「お兄ちゃん、魔法陣を壊そう!」
「おお、分かった!」
とりあえず、まずは実体化したブラディウルフを斬り捌く。
少しパルミュナたちと離れていたせいで、一匹が俺では無くパルミュナの方に向かったので魔鍛オリカルクムの短剣を投げたら、見事に根元のヒルトまで頭蓋を貫通して向こうの石壁にブラディウルフを串刺しに縫い止めた。
ちょっと貫通力がありすぎかも。
と言うか、そもそも防護結界があるから心配無用だったな。
最後のブラディウルフを切り倒して、次の魔獣の姿がゆらりと魔法陣の上に現れ始めると同時に、俺は魔法陣の中心にガオケルムを突き立てた。
普通の鋼の刀なら、石畳の床を切り裂くことは出来ないだろう。
仮にタガネで石を削り取ったところで、発動している魔法を止めることも出来ないだろう。
だが、岩を切り裂き、魔法も思念も断ち切れるガオケルムなら、その両方が可能だ。
俺が魔法陣の中心にガオケルムを突き立て、そのまま抉るように刃を動かすと、実体化しかけていた魔獣の姿が大きく揺ぐ。
魔法陣を通じてここに送り込まれている魔法と魔力が、切断されそうになっているのだ。
一旦ガオケルムを抜いて、今度は中心部の円周に刻まれた呪文を割るように石畳を切り裂く。
魔獣の姿は、もはやおぼろげだ。
最初に現れ始めた時よりも揺らぎが激しく、一定の形を保てないというように見える。
端から見ると、いまの俺の姿はチョット危ない人に見えるんじゃ無いかな? 石の床を刀で滅多打ちにしてる人とか、仮に見かけても絶対に近寄りたくないよね?
自分の姿に一寸疑念を抱えつつも、石畳を縦横無尽に切り裂いていく。
やがて、魔法陣は光を放つのを止めて、完全に沈黙した。
しばらくそのままで様子を見たが、次の動きが室内に起きる気配はなにもしていない。
「あー、疲れた。なんかコレ、精神的に疲れたよ」
愚痴を言いつつ、パルミュナとレビリスの方に歩き、その途中で壁に磔になっていたブラディウルフから短剣を抜いてしまい込む。
これ、今後は使い方を考えないとダメだな。
ヒルト部分の引っかかりで止まらなかったら、そのまま短剣が向こう側に突き抜けてるワケじゃん?
パルミュナの方に向かったブラディウルフの注意をこちらに引きつけるつもりで投げたら見事に貫通した訳で、これじゃあ魔鍛オリカルクムの鏃で小鳥を射るのと、どっこいどっこいだな・・・
なんて考えていると、パルミュナも安全を確認したのか結界を消した。
「ねえ、お兄ちゃん。一応だけど、魔法陣が復活できないよーにしておいた方がいいよね?」
「ああ、そうだな。頼めるかパルミュナ?」
「まかせてー!」
パルミュナは明るくそう言うと、部屋の端から進み出て魔法陣の中心に立った。
目を瞑り、両手を広げて呪文を唱え始めると、再び放出される強大な魔力に、パルミュナの髪とスカートがゆったりとした風に吹かれているかのように波打つ。
『地を統べる力、空を統べる力、水を統べる力。現世の理を統べる源泉よ、我が力を受け入れ、その姿を現せ。我が名はパルミュナ、枯れることなき泉と永遠に繰り返す芽吹きの守り手なり』
魔法を使う姿は、ラスティユの村に魔法陣を張ってくれた時と同じような雰囲気だが、今回は呪文の内容がまるで違う。
だけど、この前よりもハッキリと意味が伝わってくるように思うのは、パルミュナが言っていたように、俺の精霊魔法の会得が少しは進んでるから、なのかな?
『柔らかなる大地を走り、滑らかなる水をくぐり、軽やかなる空に浮かぶ力の源泉よ。その行く末は変わらずとも、その道は幾多なり。その幹は同じなれど、その枝は千の広がりなり』
パルミュナの足下で光が波打ち始めた。
俺のせいでガタガタに崩れた石畳の隙間に、まるで光る液体が満ちているみたいにも見える。
『時を超えし精霊の名において力の源泉に命ず。我が示す道筋へ理と共に向かえ!』
そして、水が岩の割れ目に流れ込むように、その波打つ光が吸い込まれて消えると、後に残っているのは崩れた石畳と、さっきまで魔法陣だった不規則な刻み目の残骸だった。
呪文を終えたパルミュナが俺の方を見てニンマリと笑みを浮かべる。
「もー、これで大丈夫ー!」
「えっと、なんとなく勘で言うけど、お前、ひょっとして魔力の奔流をねじ曲げた?」
「えー、そんなに無理にねじ曲げたりしてないよー。他の通りやすい場所の方に押しやったって言うかー、少し傾きをいじったみたいな?」
「...相変わらず凄まじいな」
「ほめてー!」
やってることの凄さと、この緊張感のなさが両立しているのがパルミュナの持ち味だな、うん。
「これで、アイツが魔法陣を完全に修復したとしても、もうこの場所じゃ汲み取れる魔力が流れてないしー、意味がなくなっちゃったからねー。へっへーだ!」
「魔力は平気か?」
「あ、お兄ちゃん心配してくれるん...」
「わざわざ言い換えなくていいから! で、平気なのか?」
「うん、平気ー。そこに流れてた魔力をそのまま吸い取って使っただけだもん。て言うかー、差し引きプラス?」
「ああ、そういう感じか。なら大丈夫か」
「でもやっぱり疲れたかもー。抱っこしてー!」
「この状況でふざけんな」
「あの、あのさ、ライノと、あの妹ちゃん? 俺、よく分からなくて悪いんだけどさ、ココってもう大丈夫なのかな?」
あー、レビリスには色々と、ちゃんと説明してあげないとダメだよなあ・・・本当にいい奴だし、これ以上隠し事をするのも忍びない。
と、考えていると扉が開き、室内に怒声が響いた。
「貴様らあっ、良くもやってくれおったな!!!」