謁見の間の燃え跡
「アタシも見たーい」
パルミュナが石組みの下から俺を見上げて言う。
『自力で登れるだろ?』とは思いつつも口にせず、一旦、石組みの上から地面に降りてパルミュナを背負い、自分でしっかり俺の首に巻き付いて貰ってから、もう一度登る。
パルミュナは軽いからいいけどね。
途中、手を使わないと登れないから、抱っこして登るっていう訳にはいかないんだよ。別にレビリスに見られてるから横抱きするのが恥ずかしいという訳じゃ無いぞ?
さすがにパルミュナもレビリスの目があるからか、東西大街道の時みたいに『背中に胸を押しつけて云々』と言ったフザけたことは口にしない。
足下の悪くないところを探して石垣の上で降ろすと、パルミュナが俺の手を掴んできた。
もちろん転ぶのが怖くてじゃあ無い。
こうやって城跡の上で、この丘、そして旧街道地域全体を見回すと、パルミュナが俺に何を見せたいのかが分かる。
さっき背中にパルミュナをおんぶした時にも気配は感じたが、いま、見晴らしの良い石組みの上に立って改めて見回すと、周囲に渦巻く濁った魔力の『濃密さ』は驚くほどだ。
遠目にも分かる濁った魔力の流れ、澱みとおぼしき霞に覆われた、あちらこちらの土地。
これは・・・ガルシリスの呪いが現実に存在すると思われる訳だ。
もしも、パルミュナと一緒に山道を歩いたときに、途中の分かれ道で旧街道側に降りていれば、パルミュナもすぐに気がついてたんだろうなあ。
まあ、それが良かったか悪かったかは、いま考えても微妙だけどね。
そして、ひときわ濃密な濁った魔力が、崩れかけた壁の密集した、ある一角から吹き出している。
昨日ここに来る途中で見えたものはこれだな。
とにかくそこを調べてみないことには始まらないだろう。
「よし、じゃあ居城の跡に何か気になるモノが無いか探してみるか」
俺は何気ない風にレビリスに声をかけてから、今度はパルミュナを抱え上げた。
降りる時は背負ってるとかえって面倒だからな。
パルミュナもぶつくさ言ったりはせずに、俺の首に両手を掛けて大人しくしている。
できるだけ低い場所まで歩いて降りてから、最後はパルミュナを横抱きにしたままで地面に飛び降りた。
レビリスがちょっと驚いた目でこっちを見ていたが、何食わぬ顔でパルミュナを地面に降ろし、一緒に濁った魔力が吹き出ていた方へ近づく。
過度に気にする必要は無いのかもしれないが、一応、偶然その場所を選んだ風を装って、崩れかけた壁の隙間から廃墟の中に入っていった。
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周囲に警戒の目を飛ばしつつ壁沿いにしばらく進むと、広間だったっぽい広い空間の跡地に入った。
ここもあちらこちらから芽吹いた雑草に侵食されているが、元々の床がつるつるした石造りだったせいか、他の場所に比べると荒れていない感じだ。
この規模の城で『謁見の間』というとちょっと大袈裟だけど、ここは王様、つまり辺境伯になる前の、一国一城の主だった叛乱伯のご先祖が、裁可を下したり、領民からの陳情を聞いたり、はたまた戦の時には作戦を指令する指揮所になったり、そういう場所だったんじゃないだろうか?
一番奥の、少し床が高くなっていただろう場所の奥には、やはり崩れかけた石壁の残骸があるが、その辺りは一段と焼け焦げが激しい。
二百年もの間、風雨に晒されていても、石壁の隙間にこびりついている焼け焦げ後が煤で黒々としているのは、油を撒いて火を着けたせいだろう。
「なあ、レビリス。叛乱を起こしたガルシリス辺境伯の...ああもう面倒くさいから略して『叛乱伯』な」
「ヒドい呼び名だな! 叛乱伯ってどんな爵位だよ?」
「叛乱伯の親族が、ここに火を着けて呪いの言葉を吐きながら焼身自殺したって話、それ具体的に誰か分かってるのか?」
物的には何を探している訳でもないが、一応は手がかりになるものでも無いかと部屋の隅々を確認しながら、レビリスに聞いてみる。
「さあなあ。叛乱伯には弟...つまり裏切った騎士団長の親父さんだな...と、妹夫婦の一族がいたらしいけど、その中の誰かなんだろうな」
「叛乱伯自身の家族って言うか、息子とかは?」
「俺が聞いてる限りじゃ、叛乱伯には妃はいたけど子供はいなかったと思う。お妃が呪いの言葉を吐きながら焼身自殺ってのも考えにくいかなって。まあ、無いとは言えないけどさ」
「そうだなあ...甥っ子は真っ先に叛乱伯に首を刎ねられてるから、残るは直弟と妹夫婦系列のだれかか...直弟だったら息子を自分の兄に殺されたことで悲観して錯乱したとか、あるいは妹の旦那とかも、叛乱伯と一緒に城に住んでたって言うなら、ありうるかな?」
「叛乱計画に関わってたのか、巻き込まれただけか分からないけどね...いや、この規模の城に一緒に住んでてさ、そんな大がかりな計画に全く気づかないってのもないか...」
「うーん、そうだよなあ。そうすると、さっきの甥っ子の裏切る理由もよく分からんな...だって、叛乱伯に子供がいなかったって言うなら、爵位の継承権はまず直弟、それで次がその甥っ子になるだろう? 生まれ順とかで、妹夫婦の子供の方が継承権が上になるとか、あったかな?」
「どうだろ? 昔の仕来りはよく分からないけど、騎士団長をやらせてた位なんだからさ、その甥っ子のことは叛乱伯も信頼してたんじゃ無いかなって思う」
騎士団長というのは多くの国で名誉職みたいな扱いであることが多くて、第一騎士団の団長は王様自身であるってことも時々聞く話だ。
実戦で兵を指揮する将軍や指揮官職には、血縁とは関係なく有能な人を抜擢しておいて、王位や爵位の後継者には、『実績として華やかに見える名誉職』を与えるって言うのは、むしろ王の采配としては望ましいとも言える。
身内が全員、本当に有能ならいいんだけど、そうでないなら将軍や大臣を身内で固めるのは、国としては自殺行為だからな。
つまり、甥っ子に騎士団長をやらせていたと言うことは、自分の後継者として目をかけていたと言うことだろう。
そんな甥っ子に叛乱計画を教えなかったとか、計画の一番大事な部分を隠してたとか言うのも、なんだか理屈に合わない気がするなあ。
甥っ子にしたって、黙って待っていれば辺境伯の爵位は継承できたのだし、もしも叛乱計画が成功すれば、伯父の後を継いでミルシュラントの大公位に収まることだって夢じゃ無かった。
まあ、ルースランドの傀儡だろうけど。
それをフイにしたってことは、叛乱計画は失敗確実、お家断絶ってなる確信があったからだろうな・・・
どうも、色々な話の組み合わせがしっくりこない。
「しっかし二百年も野ざらしでも、焼け焦げた跡ってのは残るもんなんだねえ」
レビリスの声で現実に引き戻される。
「ああ、油を撒いて火を着けるとな、焼けた油のタールと一緒に煤が石にこびりついちゃうんだよ。一度そうなるとタールが雨を弾くから、なかなか落ちないんだ。それに煤とタールが分厚くくっついてると、草や木も根を這わせにくいらしくて覆われにくくなるんだ」
「なるほどねー。土台が石造りの城が全部燃え上がった位なんだからさ、相当な量の油を撒いたんだろうね」
レビリスのその言葉が、何故か俺の心のなかで引っかかった。
「なあ、菜種油とか亜麻仁油とか、そういうのはこの旧街道地区の名産か何かか?」
「いや? 別に」
「じゃあ油になる作物は作ってないのか?」
「俺が知る限りじゃ、大々的にはね。この辺りはフォーフェン近郊や公領地と同じで麦や野菜が主体さ。亜麻くらいは細々やってる農家もあるだろうけどさ」
「んんん? じゃあ叛乱伯は、なんで、そんなに大量の油を城に貯め込んでたんだ?」
「え?」
「俺は、てっきり旧街道地区の特産品に菜種か亜麻でもあるのかと思い込んでたよ。だから税金の物納かなんかで領民から集めた油だろうって」
「いや、二百年前のことを断言できないけどさ、畑を途中で麦に切り替えたなんて話は一度も聞いたことが無いよ?」
「だったら、そんな大量の油をどっから持ってきたんだ? それこそここを見張ってるリンスワルド家にはすぐにバレるだろう。いや、仮に長年かけて貯めてたとしても...そもそも、だ。なんで城のなかにそんな大量の油を貯め込んでたんだよ?」
「うーん、長期間、籠城するのに必要とか? あと、城壁の上から煮えた油を敵の頭上に注ぎ落とすとかも良く聞くけどさ、どうだろうね?」
「なんか、そういう防御構造の城だったようには思えないんだよな」
「まあ、俺も自分で言ってて同じように思うさ」
「そうなると、最初から『いざって時にはすべてを焼き払う』っていうつもりで油を貯め込んでた可能性も無いか?」
「すげえ発想だなそれ。最初から玉砕覚悟の籠城ってことか?」
「敵に奪われるくらいなら、ってな。昔の戦争だと、城が陥落する時に食料を燃やしたなんて話も良くあったらしいぞ」
あるいは・・・
すべてを焼き払って証拠隠滅を謀ったっていう可能性もある。
つまり、焼き払わなきゃいけないものが、この城のどこかにあったんだってことだが。
「お兄ちゃん、ここー」
不意にパルミュナに呼ばれてそちらを向くと、さっきの一段高くなっていたところ、おそらくは玉座的なものがあっただろう場所の奥で、パルミュナが崩れた壁の、さらに向こう側を指差していた。