交易船の入港
「こ、こりゃあ驚いた!」
漁師の男が唖然とした顔で言葉を絞り出す。
俺は、さもそれが『大したことでは無い』かのように、悠然とした態度を崩さずに答えた。
「いやあ、私は旅行中でしてね。今日は釣りに飽きたらこの先の港町までボートで行って、そこで買い物したり馬車を雇って宿に戻ろうかと考えていたんですよ。で、相談なんですけど、そこに入ってる銀貨全部とボートを差し上げますから、この小舟を私に譲って貰えませんか?」
「へっ! 本気ですかいお貴族様!」
「ええ、この小舟はいい船だ。三角帆も扱いやすそうだし気に入りました。今日はこの船で海を楽しみたいんで、ここで互いの小舟を交換するっていうのはどうですかね? その銀貨はボートじゃ足りない分の埋め合わせですよ」
「にしても...」
「まあ、場合によっては帰りは荷馬車でも買い取る必要があるかも知れないと思ってましたからね。で、どうでしょう? ダメなら一緒に浜に戻って頂いて、誰か似たような船を持っている方でも紹介して頂ければ有り難いんですが?」
さっきのご老人もそうだけど、自分が手に入れられるはずだったお金を誰か他の者に渡すとなったら、急に惜しくなるのが人情って言うものだ。
予期せぬ大金が転がり込んでくる話だし、普通なら怪しさで躊躇する場合でも、他の誰かに横から攫われるくらいなら自分が・・・となる。
まあ今回はホントの儲け話だから、受けてもらう方がこの人のためにもなるんだけどね?
「い、いや、売りまっせ! あっしの船で宜しければ、是非とも!」
「有り難い。では商談成立という事で、その銀貨はお納め下さい」
「承知致しましたお貴族様」
「この小舟に必要なモノは残ってますか? あれば全てそちらに積み替えて持っていって下さい」
「あー...ほんならお言葉に甘えて、漁具は引き上げさせて貰えまっか?」
「もちろんどうぞ。私には使い道がありませんからね」
「しかしお貴族様、帆や舵板の扱い方は大丈夫ですかい? これから一通りお教えしましょうか?」
「いえ大丈夫ですよ。私もこの手の船は何度か操ったことがありますからね。三角帆なら問題ありません」
「そんならまあ。でも、お貴族様の場合は、儂らみたいな日銭稼ぎの魚獲りやなくて優雅な水遊びゆうところでっしゃろなあ...」
「まあ貴族ってのは得てしてヒマを持て余してるものですよ」
我ながら『どの口が言う?』って感じのセリフだよ!
しかしここは計画遂行が最優先・・・小っ恥ずかしさを抑え込んで、平然とした笑顔を保つ。
「ははは、お陰様でこっちは良い日になりましたがな!」
大金が転がり込んだせいか急に雄弁になった男はいそいそと小舟に戻ると、さきほど桟橋で手入れしている最中だった漁具一式をボートに積み替えた。
「ほんじゃあ、お貴族様、どうかお気を付けて! 陽が傾く前にどこぞの港に上がって下さいよ! ここいらの海じゃあ今の季節は、夕凪の後でちょいと強い風が吹くことが多いでっからね!」
「そちらこそ、浜まで少々遠いですからお気を付けて」
「なんのなんの! こんくらいの距離も漕げんようなら、漁師なんぞやっとられませんわ!」
男は笑って元気よく手を振ると、勢いよくオールを漕いで浜に向かって行った。
足下に積んであるお金で、新品の小舟・・・それもいまより二回りは大きなモノを手に入れられるだろう。
ついでに魚網も新しくできるかな?
「ね、上手く行ったでしょー!」
パルレアが革袋から出てきて得意満面だ。
「本当にパルレアの言った通りだったな!」
「へっへー!」
「よし、これでイザって時のための小舟も手に入ったし、いったん屋敷に戻って全員でウルベディヴィオラに出直すか!」
「おーっ!」
飛行魔法で少し浮き上がってから革袋に小舟を入れると、波しぶきに濡れることも無く収納する事が出来た。
帰りはそのまま人気の無い浜を探して飛んでから、近くの藪の中に転移門を開いて屋敷に帰還する。
シンシアが銀ジョッキ『改』を仕上げ終わっていることは報告を受けているので、時間的なゆとりはたっぷりある。
全員でウルベディヴィオラに跳んだら銀ジョッキを倉庫の近くに待機させ、あとはゆっくり待つだけだ。
魔力波を送る距離さえ問題なければ、そのまま屋敷に戻って待ってられるんだけどなあ・・・まあ、それは贅沢が過ぎるってもんか。
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無事に小舟を手に入れた後、昼頃になって銀ジョッキから送られてきた写し絵で慌ただしい動きを掴んだ俺たちは、再びウルベディヴィオラに跳んだ。
三本帆柱の交易船が入港したことが分かったからだ。
倉庫街の外れに陣取るのは少し敵地に近すぎるので、桟橋が見える港の外れにも転移門を張り、そこに不可視結界を掛けた『馬なしの幌馬車』を出して、荷物を桟橋に降ろしている大型船を遠目に眺める。
珍しい船が入港すると見物客や物売りの類いも大勢集まってくるようで、紛れて監視するには好都合だな。
「あの船がそうか、ライノ?」
「だと思う。今朝、見た時には港にいなかったな」
「立派な船じゃ無いか...いつか俺が乗ってみたいのは、まさにああいう『外洋帆船』ってやつだよ」
『キャラック船』というのは、これまで主流だった『キャラベル船』に替わって近年増えつつあるタイプで、吃水が深くてずんぐりした形をしている。
吃水が深いって言うのは、あまり浅いところには行けないワケだけど、その代わり大波にも強いし荷物も沢山積めると。
つまり、沿岸部を廻るのでは無く遠洋航海を主眼にして作られた船で、今では経済状況に余裕の出てきた各国が、こぞって大型船を建造しているそうだ。
「そう言えば、俺が数年前に師匠と南方大陸に渡った時の船もキャラックだったな。そいつはコレより更に大型だったけど」
「これも商船としては大きい方ですよね。大店でなければ保有できないクラスじゃないでしょうか?」
「外洋船だからね。それにシンシア、船尾楼の旗を良く見てごらん」
キャラック船は船首と船尾が大きく立ち上がっていて、大きな波の中でも船首を沈めずに進めるし、後ろから被さってくる追い波にも強いらしい。
その船尾の立ち上がり部分は何層かの部屋が重なっているような感じで、まさに小さな『楼閣』って感じだ。
「あ、ルースランド国旗!」
「軍船じゃ無いけどルースランドの国営商会に所属する船だろう。いつぞやフォブさんが言ってた特権状とかヨーリントンの商会とか含めて、実際はぜんぶ王家の持ち物なんだろうな」
「白昼堂々、ルースランドの旗を掲げて入港かよ!」
「だいたーん!」
「いやいや。二人とも別に交易船を動かすこと自体に後ろめたいモノはなにも無いぞ? 普通の人々はエルスカインなんて存在すら知らないんだしな」
「それもそっかー!」
建前上は積み荷が『ルースランドから運ばれたもの』となっているのだろう。
ポルセト側の港湾役人に古代遺物の正体なんか分かる訳無いし、たっぷり賄賂を貰っていれば木箱の中身をとやかく言うハズも無い。
それどころか、ヒューン男爵領ばりに領主自身も抱き込まれてる可能性だってある。
「それにルースランドがポルセトとの交易を考えた場合、陸路だと途中で最低でも二カ国を通り抜ける必要があります。関税や大量輸送の費用を考えると海路でやり取りするのは合理的でしょうね」
「へー、そうなのかシンシア殿?」
「最短コースですとエドヴァルからミレーナ経由か、ミルシュラントからミルバルナ経由になりますが、どちらも少し面倒があるんですよ」
「まあ遠いよな」
「それもそうですけど、ポルセトとミレーナは元が一つの国だったのが大戦争の時に分裂して出来た国ですし、ずっと南岸部の貿易航路を取り合ってる関係ですから、実はそれほど仲良くないんです」
「あー、なるほどね...」
「かと言って、ミルバルナ経由では山間路を通って山越えしますから、船一艘分の荷物を送るとなれば大変です。海路の交易はポルセト側も歓迎するでしょうね」
「だよなシンシア。それにポルミサリアの西岸にあるルースランドから南岸地域まで荷物を運んで来たという『設定』なら、これくらい大きな船で無いと不自然だからね...」
「設定、かよ?」
「実際にはルースランドまで戻ったり、南方大陸に着くほどの距離じゃ無いって気がしてる」
「まあ、例え南方大陸までだって追っかけてみるさ!」
実際には、大陸とは離れた海上から運んで来たんじゃ無いかって想像なんだが・・・さて、彼らはどこに戻るのか。




