銀ジョッキで突入
微かに聞こえてくる、ブーンという羽虫の立てるような音と共に銀ジョッキが浮かび上がり、パルレアが凍らせた結界に近づいていく。
「ここから結界に入りますね、御姉様!」
「いいわよシンシアちゃーん!」
球形の結界に突き当たった銀ジョッキは、そのままなんの抵抗もなくスルリと結界の中へと入っていった。
ただし、よく見ると結界の『中』に飛び込んだと言うよりも、結界の外側の『膜』を全体に纏わり付かせたままで膜を押し込むように進んでいっている・・・という風にも見える。
そのまま見ていると、銀ジョッキが転移門の中に入りきった瞬間に、まるで『プツン』と音がしたような感じがして、結界表面の膜が再び閉じた。
もう銀ジョッキが入っていったところには、何の痕跡も残ってない。
「転移門に入りました。いまは『空間の橋』を移動しているところですが、銀ジョッキの存在している空間はこちらと繋がっているので時間の経過は同じです。逆に、向こう側からはズレているので、銀ジョッキの存在は知覚できないはずです」
シンシアが『銀ジョッキ本体の箱』の前に立って、細かく手を動かしながらなにかを操作している。
やがて、昨日と同じように箱の上に暗い空間の姿が浮かび上がった。
薄暗いけど、真っ暗では無い。
雰囲気から言うと冗談抜きで地下牢みたいだ。
「一つ目の罠がありました。転移で送り込まれてきたモノに対して、魔力を奪って術の行使を封じる仕掛けですね。二つ目も起動していますが、こちらは精神を蝕む類いの術です。気力を奪うとか絶望させるとか...ですが、どちらの魔法もそれほど大したモノではないようです」
シンシアの無自覚な辛口批評を、もしも件の錬金術師が聞いていたら舌を噛みたくなったかも知れない。
だが念のために言っておこう。
君は生前、優秀な錬金術師だったのかも知れないが、今回は『相手が悪かった』のだよ・・・
だってシンシアだもん。
「橋の途中に仕掛けられていた罠はその二つですね。どちらも起動し始めたところで止まっていますけど、最後まで動いたところで簡単に無効化できると思います」
「一応、無効化できる準備はしておこうよ?」
「はい御兄様」
「じゃあ、いよいよ突入だ」
「いまから銀ジョッキが向こう側の空間に出ます。ここからは、自由に銀ジョッキの向きを変えて進ませることも出来ます」
シンシアが『銀ジョッキ、銀ジョッキ』って連呼して・・・嬉しいなぁもう!
いやいかん、今はそれどころでは無かった。
「暗い部屋だな。明かりが無いってワケじゃあ無さそうだけど』
「魔石ランプだと思いますけど、この空間では無く、その向こうからこぼれてくる光だけですね」
「少なくとも向こうは屋外じゃないわけだ」
「ですね!」
今はまだ午前中だ。
張り切ったシンシアに朝食を摂らせて、食後そのまま調査に突入したからな。
それで、この暗さというのは昨日の推測を裏付ける気がする。
すなわち地下だ。
「光源のある方向に銀ジョッキの向きを変えて進ませます。あっ!」
シンシアが小さく声を上げた。
箱の上に映し出された絵姿・・・銀ジョッキが送ってくる向こう側の情景一杯に『鉄格子』が浮かび上がったからだ。
「本当に転移先が牢獄だったのか...」
「牢獄って言うよりも『檻』っていう造りですね。ガラス箱から覚醒させた魔獣や、襲撃先から帰還してきた魔獣を一時的に入れておくような場所だったのかも知れません」
「それだろうな...」
ちょっと嫌なイメージを思い出してしまった。
南の街道で姫様が襲撃された時、ニセモノのホムンクルスを造るだけならば、バラバラになった身体の一部でもブラディ・ウルフに双方向転移門まで運ばせればエルスカインの目的は達成される・・・それに思い至った時の事だ。
「なあライノ、考えてみれば、この転移門の罠って手軽な捕縛方法だよな。いまの社会で治安部隊や騎士団の連中が使えたら涙を流して喜ぶだろうぜ」
「転移捕縛術だねー! 面白ーい!」
「いやいやいや物騒すぎるだろう。捕らえる相手が明確に犯罪者じゃなかったら略取誘拐だからなコレ?」
「ソレもそっかー!」
「どうだシンシア、さすがに鉄格子は如何ともし難いか?」
「え? いえ、通り抜けるので平気ですよ」
そう言ってシンシアが手を動かすと浮かんだ写し絵一杯に鉄格子が近づき、ぶつかると思った瞬間に消えた。
「そう言えば、あっち側の空間には『存在していない』んだったな」
「はい。見えない触れない、壁も天井も関係ありません」
「もー、最強の『覗き道具』よねー!」
なんかパルレアの言い様だと、いかがわしい魔道具のように感じるぞ?
うん・・・実際コレ、どっちも犯罪組織や悪徳領主の手に渡ったりしたら、とんでもない事になる魔道具だな!
「鉄格子の外には他にも同じような部屋があるようです。向こうが出口ですね...向かってみます」
「お、ちょっと明るさが増してきたな?」
「次の空間には魔石ランプが置かれていると思います。写し絵も、もう少し鮮明になるかと」
魔石ランプの置かれた部屋に銀ジョッキが入ったと同時に一段と明るさが増し、周囲の様子がくっきりと見えてきた。
特になんと言うことのない部屋だ。
だけど見覚えがある。
「パルレア、この部屋って...」
「扉が貼り付いてた部屋よねー。アタシ、中で振り返って大広間の方を見たから間違いないわー」
「大当たりだぞシンシアっ!」
「やりました御兄様っ!」
コレは凄い。
予想した通りだけど、予想以上の大成果だ。
この大広間に続く部屋で、吹き飛ばされて貼り付いていた扉が取り除かれていると言うことは、やはり、俺たちが脱出した後で新しい手下たちが城砦に来て、片付けなのか復旧なのか分からないけど、何かの作業をしたと言うことだ。
いまも作業を続けている可能性もあるし、俺たちは、それをいつでも、好きなように覗き見できるって言う訳だ。
確かにパルレアの言うとおり、コレは最強の『覗き道具』だな!
「シンシア、少し大広間の中へ踏み込んでみて貰えるか?」
「はい!」
シンシアの操作に合わせて銀ジョッキが・・・これって言うなれば『目玉を飛ばしてる』ようなものだから、俺たちには銀ジョッキ自体の姿が見えているワケじゃあ無いけど、その送ってくる絵姿がしずしずと大広間へ向けて進んでいく。
大広間へ入ったところでいったん止まり、首を振らせて周囲の様子を確認する。
相手からは見えないはずとは言っても、やっぱり緊張するな・・・
「静かですね。いまは大広間には誰もいないようです。それとも復旧を諦めて、もう撤収したんでしょうか?」
「どうかな? シンシア、銀ジョッキの首を上下に振れるか?」
「ええ、自在です」
「だったら大広間の地面を映し出してみてくれ」
「はい。下に傾けますね...あっ、これは!...」
予想通りだな・・・
大広間の床からは瓦礫が綺麗に撤去され、真新しい巨大な魔法陣が描かれていた。
転移門を描いている材料が何かは知らないけれど、ぱっと見で真新しく感じる。
上手く説明できないけど『新品感』が有るって言うんだろうか?
街の道具屋で同じような品物が並んでいる中でも、明らかに『未使用』のモノって言うのは、なんだか他の『新品同様』のモノとは違う佇まいがあるんだけど、それと似たような感じだ。
俺たちがエルダンを去った時からこれまで掛かって、ようやく大広間の瓦礫の撤去が終わったのだろうけど、革袋の空間が使える俺と違って、土魔法を使おうがゴーレムを使おうが、あれほどの量の瓦礫を地下から運び出すのは大変な作業だったはずだ。
転移門さえ動けば、どこかへ使ってない転移先へ放り出すことも出来たんだろうけど、そのためにはまず瓦礫を片付けなければならないというジレンマ・・・
ガラス箱で瓦礫撤去って言うのも無理な気がするし、『橋を架ける転移門』をどこでもヒョイヒョイ設置できれば問題ないんだろうけど、それは、いまのエルスカインの手下にどの程度の魔法スキルがあるのか次第かな?
新しく転移門を設置させる手下を送り込むのに、これほどの時間が掛かっていることから見ても、あまり融通は利かないように感じるが・・・
まあ、油断は禁物だ。
舐めてかかるとトンデモナイ『しっぺ返し』を食うに決まってるからね。




