二百年間の確執
ガルシリス辺境伯が、どんなにミルシュラント公国という国や当時の大公陛下を憎んだり恨んだりしていたとしても、人間の感覚だったら、二百年を超えてその恨み辛みを持ち続けていることは難しい。
というか、ずっと定期的に揉め事が続いてるか、憎むことを教典として受け継いでるような状態じゃないと、怒りも憎しみも二百年は維持できないだろう。
だけどエルフ族なら話は別だ。
当事者がエルフだったら、その子供が親からしつこく聞かされ続けた憎しみをすり込まれて生きているというのは、あり得る。
レビリスが言うように、本人自身が、いまだにその恨みを抱えて生きているという可能性さえありうるってのは凄いな。
それって単純に怖いぞ?
アスワンが言ってたように、種族の寿命の長いことがいいことばかりじゃないってのも、少し分かる気がする。
「おっ、きたきた。これだよココの麦粥は」
物思いに耽っているとレビリスの声が聞こえて、テーブルの上に大きな木鉢が置かれた。
木鉢の中にはたっぷり入った白い麦粥がいい匂いをさせている。
同時に、三人分の椀も置かれた。
なるほど、各自が自分の好きなだけよそって食べればいいと言うことか・・・
これならレビリスも最悪は全部自分で平らげればいいから、押しつけになる心配も無いって訳だな。
よく考えてるよ。
「俺が掬ってあげるよ」
レビリスはそう言うが早いか、椀の一つを取って麦粥をよそう。
大鉢から引き上げられたレードルには、ごろっと大ぶりに切ってある肉と野菜が麦粥と一緒に掬い上げられていた。
おっ、なんか見るからに美味そうじゃないか!
レビリスは麦粥をよそった椀を、まずはパルミュナの前に置く。
「熱いうちにどうぞ」
「ありがとー!」
パルミュナからも、すでに当初のレビリスへ抱いていた面倒くさそうな印象は消え去ったようで良かった。
レビリスは俺の椀にも麦粥をよそってくれた。
早速食べてみようとスプーンで掬い上げた麦粥は、凄く柔らかそうなのにベチャベチャした感じがない。
口に入れてみて驚いた。
「これって...」
「これって、本当に麦粥ー?」
横からパルミュナが気が抜けていながらも驚いた声を出す。
くっ、コイツ俺が言いたかったことを!
「な、馬鹿にしたもんじゃないだろ?」
レビリスが得意そうな顔で言う。
うーん、初めて食わされた奴が驚くってとこまで、フォーフェンの破邪衆で定番の様式美なんだな。分かる。
肉と野菜のうまみがたっぷりと溶け込んだ粥は、普通のスープやシチューと違う、プチプチした麦粒の舌触りが更に美味しさを引き立ててるって感じがする。
麦粒も、しっかり噛み応えはあるのに柔らかくて絶妙なゆで加減。
って言うか、ただ普通に煮込んだだけじゃこうはならない気がするんだけど、どういう風に調理してるんだろう?
麦粥って、堅い感触が残ってるか全体にドロっとなるか、どっちかになりがちだよなあ・・・
もはや俺のイメージの中にあった『麦粥』とは種類の違う料理のようにも思えるそれを一心不乱に掻っ込んでいると、テーブルの上にまた大きな皿が置かれた。
上に乗っているのは、いい感じに焼き上がったお肉。
そして塩の小皿。
よし!
さっき、『まだあんまり空腹じゃ無いけど・・・』とか思ってたのはどこの誰だよ!
俺だよ!
「俺もパルミュナも、まずはラスティユの村で山菜料理と熊肉料理にビックリしたんだけどな、フォーフェンにしてもココにしても、この地方の料理って美味いなあ」
「うん。だけど、昔はそうでもなかったらしいよ」
「へー」
「最近...って言っても、ここ数十年ぐらいらしいけど、交易が盛んになってアルファニアの方から色々な食材とか料理法とかが伝わってくるようになってさ、それで料理がぐっと発達したって聞いたよ。あとエールの風味付けのホップとかさ」
「あの苦みっていいよな。それと根っこの太いフェンネルとかも、こっちに来て始めて見たよ。あれも美味いな」
「俺がガキの頃は見なかったな。市場で売ってる野菜とか、昔よりも種類が増えたと思うよ。それに南方の香辛料とかも入ってくるようになったからだって。そういうのはエドヴァルでも同じかもしれないけどさ」
「そういやあ、俺の師匠も『昔に比べるといいもんが食えるようになった』みたいなことを、よく言ってたよ」
レビリスがニヤッと笑って言葉を継ぎ足した。
「もちろん、その後に続くのは『俺が若い頃はなあ・・・』だろ?」
「で、『最近の破邪になろうって若い奴らは・・・』って小言が続くんだ」
と俺も返す。
俺とレビリスは、顔を見合わせて大笑いした。
どこの国でも、師匠が弟子に言うことは似たようなモノらしい。
「俺が育ったのは旧街道沿いだったろ? 破邪の修行を始めることになってフォーフェンに来てさ、まず嬉しかったのは、肉が沢山食えるってことだったな」
そう言いながらレビリスは皿の上から串焼きを手に取った。
大ぶりの肉が鉄の串に刺してあって、こっちも美味そうだ。
「フォーフェン辺りは肉が手に入りやすいのか?」
「ああ、このあたりはずっとキャプラ川沿いの平原地帯だろ? 麦畑が多いだけじゃなくて牛や羊の放牧も盛んなのさ。他と比べると家畜の肉も安いし、新鮮な乳の類いもなにかしら手に入れやすいんだ」
「そりゃ、いい土地だな」
「まったくだ! 親父は元狩人だったから、腕が鈍らないようにって、時々色々な獲物を捕ってきてくれてて、それで他の家の連中よりは子供の頃から肉を食えてたとは思うけどさ」
俺の父さんも狩人だったし、肉は自分で狩って手に入れるモノ、という意識の強かった俺としては、肉を買うっていうのは、旅の途中でドライソーセージとかハムとかの加工された保存食を買うイメージが強いんだよね。
こういう風に飯屋で肉を食べるときは、もちろん別の話だけど、ふつうは生肉を自分で調理するのは、獲物が手に入ったときだけだ。
その辺りの感覚は、俺もレビリスも父親が狩人だったってことで似てるのかもしれない。
だけど、フォーフェンみたいな大きな街に住んでたら、そうそう自分で『肉を狩る』ってことも出来なさそうだし、安く買えるのは重要だろうな・・・
「もう肉の値段が高い土地には引っ越したくないねえ...」
レビリスがしみじみとした声を出す。
「あれ? レビリスの親父さんってラスティユの村の狩人だったんだから、奥さんと結婚してホーキンの村に移り住んだってことは、領地を越えて引っ越したってことになるのか?」
「ああ、そうだ。だから俺は正確に言うとリンスワルド領じゃなくて、キャプラ公領地の出身ってことになるな」
「その辺り、領地を越えての移動とか引っ越しとか、割と自由なのか?」
「自由も何も、なんの制約もないよ。キャプラ公領地とリンスワルド領の領民は、互いにどう行き来しようがどこに住もうが誰を相手に商売しようが関係ない。いろんな商売の免状や割り符も共通。もちろん引っ越したときには代官への届け出はいるけどさ、それも届けるってだけで裁可を仰ぐとかって訳じゃないのさ」
そりゃ凄い。
ほんとにフリーダムだ。
「その人が村に住むことを認めたって言う村長の一筆を添えて代官に届ければおしまい。人頭税の払い方は村によってまちまちだから、あとは村内での仕来りに従ってればいいのさ」
「だからレビリスの親父さんも、旧街道の村に引っ越してからでも狩りに行ったりできてたのか」
「そうだね。村ごとの細かな決まりは置いといて、だいたいリンスワルド領でもキャプラ公領地でも、住人が届けを出せば村周辺の狩りの免状は貰える。あと、例によって破邪は別口扱いさ」
「ラスティユやマスコールの村の人も言ってたけど、リンスワルド伯爵家もエイテュール子爵家も、本当にいい領主様じゃないか?」
「まあ、それは間違いないね。領民の金回りが良くなってる所に、悪い領主様なんかいないさ」
「違いない。本当にフォーフェン辺りは発展著しいって感じだもんな。東西の大街道がこれだけ賑わってるんだし、まだまだ周辺には土地も沢山あるし、フォーフェンだけじゃなくって、周囲に大きな街も出来てくるかもしれんな」
「実際、リンスワルド伯爵家とエイテュール子爵家で共同して、旧街道地域をまた振興させようって計画もあったらしいけどね。フォーフェンの街並みが混みすぎてきてるって理由で、渡し船の処にもう一本の橋をかけて、旧街道も広げて整備しようって話だそうだ」
「ん? 過去形ってことは、それは話だけで終わっちゃってるのか? これだけ人が増えてるんだったら、すぐに収支も合いそうな気がするから、実際にやればいいのに」
「そうなんだけどなー。二年ほど前に、先代のリンスワルド伯爵様ご夫妻が事故に遭われてさ」
「事故って?」