城砦の中
俺もパルレアもそれぞれ独自に新型の不可視防護結界を起動した上で、彼方にそびえ立つエルダンの城砦に向かって進んでいく。
普通に歩けば結構な距離だけど、そこは勇者の筋力とスピードがあるので気にならない。
途中を横切る川も一気にジャンプして飛び越え、生い茂る草むらに身体を沈み込ませるように姿勢を低くして走り続ける。
もっとも、不可視で走っている姿を目視で発見されるくらいなら、そもそも城砦に近づけるはずも無いのだけどね。
「パルレア、崖が近づいてきたから、そろそろ俺の革袋に入ってろ」
「分かったー! じゃー崖の上に着いたら起こしてね」
「中で寝てるのかよっ!」
「えへー」
パルレア流に俺の気分を和ませようとしてるんだってのは分かってるから、ピクシーの小さな頭を指でそっと撫でる。
パルレアはそれで満足したのか、何も言わずに革袋に飛び込んだ。
「よし、行くぞ!」
誰もいない荒野で独りごち、そのまま突き進んで崖の下に辿り着いた。
こういう崖が本当に垂直な岩肌になるか、少し角度が付いた斜めの崖になるかは、その土地の地盤というか岩の性質次第だ。
ここの崖は高さはそれほどでも無いけれど、垂直に切り立った硬い岩肌だった。
岩肌のデコボコや亀裂はそこそこ多くて、俺の力なら腕の力で取り付いて登っていくのも、それほど難しくは無いだろう。
むしろ斜めになった崖に多い、柔らかくてボロボロと崩れやすい岩よりも、こういう固い岩の方が力任せによじ登るのには向いている。
まあ、崖の上にそこそこデカい城砦を建てようって言うのだから、この切り立った台地がヤワな地盤のはずも無いか・・・城砦の建っている台地の頂上部は広くて平坦なのに、三方を切り立った崖に囲まれているってのがちょっと珍しい地形だ。
まるで、この半島型の台地だけが何か巨大な力で地面から無理矢理に持ち上げられたかのようにも見える。
下から見上げて大まかな登攀ルートを決め、あとは崖に取り付いて一心不乱によじ登っていく。
ただの破邪時代の俺だったらキツかっただろう箇所もいくつかあったけど、指先だけで楽に身体を持ち上げられる勇者の力のお陰でそう言うところも難なく乗り越え、登り初めて半刻ほどで崖の上まで辿り着いた。
崖の上に姿を晒す前に聞き耳を立て、周囲の気配を十分に伺ってからそーっと身体を持ち上げる。
月明かりに照らされた城砦は、いかにも古びていて廃墟っぽい。
いや、本当に廃墟だなコレ。
近くで見ると日頃使ってる形跡がまるで無いよ。
ジュリアス卿が言っていたように、朽ちるに任せておくと風聞が悪いから最低限のメンテナンスだけさせてたって言う扱いは本当らしい。
よじ登った崖のへりから城砦で一番外側の石壁までの間にある地面は草ボウボウで、少し先に見える石壁側の扉・・・恐らくは崖下にゴミやなんかを投げ捨てたり、防衛戦の時に眼下の敵を攻撃するための出入り口だろう・・・そこの門扉も半分壊れて隙間が空いている。
静かに扉に近づき、隙間から中の様子を窺ってみた。
物音はしない。
人が動いていたり、城壁の上に見張りが立っていたりする様子も無い。
なによりも・・・明かりが一つも付いていないのだ。
月明かりの影になっている部分は真っ暗で、石壁より内側の敷地はおろか居室の窓の一つにさえ明かりが見えない。
いまは確かに深夜ではあるけれど、この大きさの城砦で一つも明かりが無いって言うのはどうなんだ?
そもそも奔流を好きに弄れるエルスカインなら、魔石ランプの消費をケチるなんて事もあり得ないだろう?
だったら答えは一つ。
明かりを点けないのは、それが必要無いからだろう。
だって、人がいないんだもの・・・
俺が革袋に片手を突っ込んでパルレアの部屋を探ると、すぐにパルレアも俺の意図を理解して手を握り返してきた。
こんな静かな場所で肉声を出すよりは安全だろう。
< もう登り着いたんだねー >
< ああ。外の様子が分かるか? 様子がおかしいって言うか、人の気配がなさ過ぎるだろ >
< 見張りも誰もいないよねー >
< って言うかな、明かりが一つも点いてないんだよ。外だけじゃ無くて城の中にもな >
< ...夜だから? >
< そこは夜なのに、だろう? 寝静まる時間とは言っても庭や廊下まで真っ暗にする必要は無いはずだ >
< 節約? >
< 魔石をケチる貧乏領主じゃ無いんだからさ >
< んー、消してるんじゃ無くって、そもそも点ける気がないってコト? >
< 多分な。でも、それってなんでだと思う? >
パルレアは、しばし黙り込んでから俺と同じ予想を返してきた。
< 必要を感じてない? 明かりがいるって発想が無い? ワザと消してるんじゃ無ければ、そーゆーことじゃないかなー? >
< だよなあ >
< こんな僻地でさー、お城が無人だって演出する必要とかなさそーだもんね。ドロボーだって来ないだろーし、もし来ても結界だけで追い払えるしー...やっぱりジュリアス卿の言ってた通り、誰も人がいないってコトかー >
< ここに出入りするのは城の管理に雇われてる奴だけで、それも時たまだろうし、様子を見るに夜も泊まっていくとは思えないな」
< あの見取り図の出所の人よねー >
< だろうね。崩落事故の際には箝口令を敷かれてたって言うけど、そもそも事故を知ってる人がいなかったんじゃ無いかな? >
< お兄ちゃんの結論は? >
< 少なくとも、城の地上から上はずーっと使われてなくて人が誰もいない >
< アタシもそー思う >
< 問題は地下だな >
< 崩落箇所から降りれるかなー? >
< 行ってみないと分からないけど、なんらかの修繕はしてあるだろう。してなかったら、ここはもう放棄されてるってコトだ >
< そーね >
< まずは石壁の内側に入ってみよう。ちょうど中庭に繋がる場所の扉が壊れかけてるし >
< 中が見えてるんだったら跳躍門使えば? >
< それもそうか >
ギリギリまで跳躍門を使わずに近寄れたんだから、ここから先は行動の素早さを優先しよう。
改めて外れかけた扉の隙間から壁の内側を窺い、中庭の隅に跳躍する。
そのまましばらくじっとしていても、周囲になにも動きは起きない。
< 検知されなかったみたいだ。後は素早くやろう >
< おーっ! アタシも外に出るね >
パルレアが革袋から出て俺の肩に乗った。
今回、半ば無理矢理に付いてきたパルレアに、あえてピクシーサイズでいて貰う理由は、危険を感知する感覚の鋭さを期待しての事だ。
大精霊としての感覚だけで無く、ピクシーという種族そのものが保つ鋭敏な感覚を利用する事で、事前に危険を察知できる可能性が高まるのだという。
それにピクシー姿なら精霊魔法に頼らなくても飛べるし、ほとんど明かりの無い暗闇でも見えるらしいから、狭い場所をこっそり探って貰うには最適だろう。
今のところ周囲に人の気配が無くても用心は必要だ。
俺とパルレアは不可視結界を纏ったまま、できるだけ静かに広い中庭のへりを進んでいった。
近寄って間際から見上げると、古いけどしっかりした造りの城なんだと分かる。
装飾的な要素が皆無なだけで石積みも丁寧だし、元々は単なる国境の城砦なんかじゃ無くて、この付近を治めていた古い王家の城として建てられていておかしくない雰囲気だね。
この台地全体を海に突き出た半島に見立てると、城砦の外壁は海側の崖っぷちギリギリに迫って建っていて、中庭は麓から登ってくる道と繋がっている。
城門の内側に、なにも無い空間を広くとっているのは昔の実戦的な城造りとしては定番らしい。
理屈上では、外から全速で逃げ帰ってきた友軍を勢いよく収納できる場でもあり、逆にギリギリまで攻め込まれた時には、敵を誘い込んで一気に殲滅するための罠として機能するんだそうだ。
その囲い込み場所を作る二重の『歩廊』の石壁がかなり幅広く崩れ落ちて、瓦礫の山になっていた。
外側の石壁は崩れていないから、麓から城砦を眺めても崩落事故には気が付かないだろう。
< パルレア、この先に崩れた岩壁が見えるだろ? >
< うん、かなり幅広く崩れてるよねー >
< 間違いなく崩落場所だな >
パルレアは俺の顔に自分の頭を押し当てて指通信をしている。
相手と身体のどこかが触れ合っているなら、指を握って耳に押し当てている必要は無い。
頭と頭をくっ付けて指通信って言うのも変だけど、理屈の上では指通信だ。
昔、師匠と二人でこっそり魔獣に近づいていく時は、二人とも一言も喋らずにハンドサインだけで意思疎通していたけど、それでも結構複雑な会話が成り立っていたモノだった。
でももし、あの頃に指通信が使えてたらどれほど楽だったろうか・・・そう思わずにはいられないな。
 




