<閑話:ジュリアス卿の空 -1>
アプレイス殿の黒く美しい翼は伸びやかに風を切って飛んでいる。
魔力で飛んでいることは重々承知しているが、鳥のように羽ばたく動作はほとんど無く、向きや高度を変えるときに緩やかに動かしているだけだ。
その所作にさえも美しさというか威厳を感じる。
もしもドラゴン族が『土地や人民を支配する』ことに全く興味を持たないという存在で無かったとしたら、間違いなく『ポルミサリアの王たち』は人族では無くドラゴン族だったのだろう。
眼下には美しい王都の街並みが広がり、その美しさと広さに、これまでのスターリング家の治政が決して悪いものでは無かったと言うことを感じ取れて喜ばしい。
よもや、このような光景を自分の目で見れる日が来るとは、一欠片の想像すらしたことが無かったのだ。
「ほら、あそこをご覧なさいなジュリア。河沿いに固まっている小さな屋根の群は、きっと中央市場の露天商達ですよ。こうやって空から見るととても可愛らしいものですわね」
「おお、自分では馬車の中から眺めた事しか無いが、中々に活気のある場所だったな。売り手も買い手も、実に楽しそうに騒いでいた事を覚えているよ」
「そうですね。ライノ殿は王都を評して、『ちゃんとガヤガヤしている』と仰っていましたわ」
「ちゃんとガヤガヤ? なんとも不思議な表現だな?」
「ええ、ライノ殿らしいお言葉です。ですからわたくしも不思議に思ってその意味を伺いましたの。言い換えますと、『王都は綺麗で整っているけれど、綺麗すぎて息苦しいと言う事も無い。人々が楽しく生きている証拠と言える喧噪が街角に溢れている』と...そのようなお話しでございました」
「ほう! 人々が暮らす街として王都の良さを勇者殿に褒められたと考えれば、それはとても嬉しい言葉だな」
そう言えば『エールを飲み比べする食事会』という、実に楽しそうな催しのアイデアも、ライノ殿から頂戴したものだったな。
そういった事もまたライノ殿の言葉を借りて言えば、人々が楽しく生きている『ガヤガヤ』を形作るものの一つなのであろう。
「ええジュリア、掛け値なしに王都は良い都だと褒めていらっしゃいましたわ。そして真珠のようだと」
「真珠? 宝石とはまた嬉しい例えだが、少々大袈裟に過ぎるような気もする」
「いえ、それにもちゃんと意味があるのです。真珠は岩から出てくる宝石と違って、海に住む生きた貝が産み出すものですの」
「うむ、それは知っている」
「真珠は何年も、時には何十年も掛けて、少しずつ少しずつ、薄く輝く層を積み重ねていく事で出来上がって行くものです。ライノ殿いわく、街に暮らす人々が日々を過ごして積み重ねる喧噪...その生きる喜びが層をなして真珠のように育っていく事こそが、同じように美しい都を創るのだと」
「なるほど! 納得だ。さすがに勇者殿のご見識であるな!」
「ですので『ガヤガヤ』とは、いつの日か街を真珠へと変えていく輝きのことでもあるのですわ」
「うーむ、実に素晴らしいお言葉だ」
「まったくです。ライノ殿と出会う事が出来て、わたくしの目は大きく開かれた思いがしております」
貴族達の間で『知恵の花』の異名を取るレティすらもそうなのか。
だが私もあれ以来・・・
運命の誘いでライノ殿と出会う事が出来てからは、自分自身が周囲を見る目も随分変化したように思う。
そしていま、レティと一緒に王宮で過ごす日々の、その何気ない言葉のやり取りでさえも、まるで自分が若い頃に戻ったように感じられる。
今日はアプレイス殿に、自分の住まいでありミルシュラント公国の中心である王都を空から眺めるという希有な経験をさせて貰えたことで、『大公』と名乗る自分の居場所と役目にも、はっきりとした確信を得る事が出来た。
そして一人の男としても。
もう一度・・・
いや、今度こそ、か?・・・
いまならば心機一転、レティとの関係を新しく形作っていく事が出来るのでは無いだろうか?
「なあレティ、俺はいま猛烈に感動しているんだ」
「あら、あなたが自分のことを『俺』なんて仰るのは随分と久しぶりですわね」
「茶化すなよ。いや、でも実際にそうだな...だが自然と口に出た。恐らくそれが素の自分の口ぶりなんだろう」
「シンシアが生まれる前は、周囲に人がいない二人きりの時は『俺』と仰ってましたわ。しばらくお顔を見ない間にそれも『我』に変わっていましたけれど」
「自分の中でもけじめ的なものだったのかもしれんな...まあ、それはそうとしてちょうどいい。レティ、実は一つ相談があるのだが」
「なんでございましょう?」
「...改めて俺と公式に結婚して欲しい」
私がそう言うとレティは黙って俺の目を見つめた後、すっと視線を眼下の王都に向けてから口を開いた。
「わたくしにとってシンシアが生まれた十三年前と変わっていることは何もありませんわ。全てが昨日の事のよう...」
「俺がその気持ちを分かる、と言うのはウソになるな。だが逆に、俺自身の心は十三年前とは随分変わったのだと思えるよ」
「そうですね。あなたも随分と落ち着きのある方に...良い意味での風格を持たれて、本当に尊敬できる大公陛下になられましたわ」
「褒められたと思って良いか?」
「もちろんです」
「だが大公では無く、一人の男としてはどうだろうか? 正式な関係云々は脇に置き、ただレティの夫として、あるいはシンシアの父としては」
「あなたは嘘偽り無く素敵な方ですわ。それにシンシアは思いもしなかったほど才能豊かに育ってくれて嬉しく思っていますが...ですが...彼女にも娘しか産めないリンスワルドの血は受け継がれています。しかもシンシアはハーフエルフなのですよ。大公家のお世継ぎはどうされるおつもりですか?」
ライノ殿たちが南部大森林に出発して以降は王宮で一緒に過ごしながらも、あえて二人とも口にしなかった話題だ。
この緩やかでフワリとした家族関係が崩れてしまうよりは、せめて現状を維持しておくほうがいい、そんな思いが自分の中にあったことは否めない。
だが、初手からの拒否は無かった。
このレティの口ぶりなら十分に説得の余地はある。
「建国の祖であるウィリアム公はあらゆる世襲階位を男女問わず継げうるものと定めたのであるから、本来ならシンシアに大公位を継いで欲しいところであるが...」
「絶対に厭がるでしょうね」
「うむ。実は以前にそれとなくシンシアに話してみたら、この世の終わりのような顔をされた。慌てて冗談として誤魔化したが、危うく泣かせてしまうところだったな...」
「...目に浮かびますわ。では実際にどうされるおつもりで?」
「レティが嫌でなければだが、世継ぎには養子を取ろうと思う」
「それを厭がるほど世間知らずでもありませんが、養子を迎えるよりも側室を持った方が良いのでは? いえ、むしろ、どなたかを正妃としてお迎えになって、わたくしが側室でいた方が良いのかもしれませんけれど...」
「馬鹿を言わないでくれ。レティが一緒にいてくれるなら側室なんて考えたくない。浮気云々と初心なことを言うつもりは無いが、二人でいる時間が減ってしまうからな」
「そのお気持ちは嬉しく思いますけれど、大公家の役割を無視する訳にも参りませんでしょう? それこそエマーニュが公領地長官としての役割を無視できなかった以上に」
「まあな。しかし側室になる女性にも申し訳ないだろう? 俺の気持ちを向けられることも無く、本当に世継ぎの子を産むだけの役目を求めることになってしまうのだぞ」
「リンスワルド家はその逆ですけれど、貴族の女性というのは往々にしてそのような存在です。それでも喜んで納得して下さる方は大勢いますわ」
「かもしれんが、俺の気が向かない」
「相変わらず生真面目なことですね。キースリング侯爵家の三女なんていかがですか? 美しくて本当に気立ても良いお嬢さんですよ?」
「レティも知っていたか。最近のキースリング侯爵は明らかにソレ狙いの行動が目に付いていたな」
「だったら宜しいじゃありませんか。あの娘さんは本当に良い心根の持ち主だと思いますから」
「あまり俺を苛めてくれるなよ」
「でしたら、やはり血の繋がりの無い養子を取るしか無くなります。あなたご自身と言うよりも、スターリング家として本当にそれで良いのですか?」
「別に俺の孫が誕生しなくとも、この世からスターリング家の血が消え去る訳では無いぞ」
「もう...そういうことでは無いでしょう?」
「ふん、俺にとっては家名や血筋などその程度のものだよ。養子を取ってスターリング家の名を継がせるとしても、大切なのはその者がミルシュラントを平和に統治できるかどうかであって、俺の血を引いていることや、まして家名を引き継いでいく事そのものでは無いからな」
レティの心配はもっともだ。
いまは亡き我が父上が聞いたら憤慨するかも知れぬが、今この時点でスターリング家を代表する私としては本当にそれで構わない。
大勢の親戚筋にも、とやかく言わせるつもりは欠片もない。
いや、恐らくは父上も存命ならば、笑って『そうか?』と流してしまうような気もするのだが・・・




