男爵の末路
男爵が口からモヤを吐き出しそうになったその時、ゆっくりとした足並みでこちらに近づいていたアサシンタイガーが、魔道士と護衛騎士を含めた三人を囲むと、不意に両脇からその鎌のように鋭く長い爪を振り下ろした。
おいマジか?!
痩せた魔道士がアサインタイガーの爪で身体を半分に切り裂かれて即死し、彼が張っていた磨りガラス風の障壁が霧散する。
護衛騎士は鎧のお陰で即死を免れたものの、二撃目で首を飛ばされた。
真ん中にいたモリエール男爵は、両脇の部下が突然アサシンタイガーに襲われた事に驚愕したが、その次の瞬間に背後から切り裂かれて、叫び声を上げる間もなく崩れ落ちる。
ああ、ドラゴンさえ手に入れれば男爵一味はエルスカインにとって、もう用無しって事か・・・
当然、アサシンタイガーは俺たちの方にも向かってくるけど、こちらの防護結界に阻まれて手が出せないでいる。
以前よりも結界を削ってくるスピードが速いけど、こちらの魔力も桁違いに上がっているのだ。
悪いね。
「気配を出すなよアプレイス」
アプレイスが気配を放ったら、アサシンタイガーと言えども文字通りに『尻尾を巻いて』逃げていくだろう。
それは困る。
数匹とは言え、エルスカインの配下にある魔獣を放置しておく訳にもいかない。
「わかってる。ここは演技派のライノにお任せだ」
「うるさいよ」
「アレはナンナンダーっ! って?」
「黙りなさいパルレア。今日のオヤツのイチゴタルトを欲しくないらしいな?」
「わー、ごめんなさいお兄ちゃん!」
俺の冗談に合わせてパルレアがご機嫌取りの頬ずりをしてくる、と言うか、ピクシーサイズだから顔に抱きついてくる感じだけど。
パルレアを肩から降ろして椅子の円陣から少し離れ、あえて近づかせるために防護結界を消した。
結界が消えた瞬間、俺に向かって一斉に飛び掛かってきたアサシンタイガーを、革袋から出した大小二本のガオケルムで斬り捌く。
ここのところ刀を使う機会が無かったから、姫様直伝の二刀流を振るうのも随分と久しぶりだ。
魔獣を斃し終わって足下を見やると、モリエール男爵と魔道士の身体は、すでに土くれに変わっていきつつあった。
きっと、モリエール男爵がモヤを出して俺たちを取り込もうとしたのは独断だろうな。
エルスカイン側は最初から、ドラゴンの檻を回収したら即座にモリエール男爵と魔道士をまとめて始末する予定だったに違いない。
「お見事。ホントに一瞬だな! ライノに役者は無理だろうけど、剣技の方はさすがに勇者って感じだぜ」
「それって、肉体労働は上手いけど頭脳労働はダメダメだって言われてるような気がするぞ?」
「お、鋭いじゃないか」
「くそう...でも馬車の買い取りの時は上手くやっただろ?」
「アレはライノだって『馬子にも衣装』だとか自分で言ってたろ。着てる服のお陰だって」
「まあな。だけど、お前こそドラゴンのくせに演劇とか見た事有るのか?」
「あるぞ」
「マジで!?」
「ああ、旅芸人の一座って言うのか? 街外れの野原に幕舎を建ててやるような劇団のやつだ」
「へえー、そいつは意外だよ」
「人の社会を面白く思ったときがあってな。その時に人の姿でちょっと街に混じったりしてみてたんだ」
「ひょっとして『人妻に手を出す』って話を知ったのは、その演劇か?」
「当たり!」
「お兄ちゃんナニソレー?」
「なんでも有りません。まあ、これ以上ここにいても仕方が無いよ。村に戻ろう」
「こいつらは放置しておいていいのか?」
アプレイスが倒れている三人というか、一人と二つを指差す。
「ホムンクルスの体はそのまま土になって蒸発するから、残るのは引き裂かれた服だけだな。護衛騎士とアサシンタイガーの死体は残るけど」
「この屋敷って、もう他に人がいなさそー」
「かもな。騎士と魔獣の死体は、街道を見張ってた連中がそのうち戻って来て見つけるだろうね。でも男爵と魔道士は、単純に屋敷からいなくなったとしか考えられないはずだ」
「そうすると...護衛騎士と魔獣は相打ちで、男爵と魔道士は失踪したって事になるのかい?」
「相手の身体を蒸発させて殺す魔法なんて聞いた事ないし、状況的にその解釈しかないかな...」
「だよな」
「それに元々、男爵の親殺しって言うか爵位簒奪は知れ渡ってたから、平民服にでも着替えて逃げたと思われるんじゃないか?」
「男爵って、怖くなったら領地も屋敷も放棄して小賢しく逃げるとかやりそうだったもんなあ。きっと部下や領民も、みんな同じように思ってただろうさ」
「アイツって、生き延びるためならプライドもなしに農民のフリとかしそー!」
「いやあ、どうだろ? すぐに激昂するし、そもそも他人に頭を下げるってことが出来なさそうだったからなあ...。もし本当に身を隠して逃げても、庶民暮らしに我慢できずにバレるか、尊大な態度を取って密告されたりとかって結末だった気がするよ」
「あー、なるほどねー!」
「だろ? 聞いた話だけど『身を隠す』ってのは、それなりに頭が良くないと難しいものらしいぞ?」
ちなみに、俺が姫様と出会って半日で勇者だとバレたのはノーカンだ。
そんな事を考えながらも、不意に育ての両親の顔を思い浮かべてしまった。
なんらかの魔法的手段で見つけ出されるまで、俺を育ててくれながら十年も隠れ住んでいたんだから、その気苦労は大変なモノだったろうと思う。
会った事の無い『実の両親』の方はどうなんだろうか?・・・いまも生きているのか死んでいるのかも分からないけど。
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そんな四方山を三人で話しながら荷馬車を置いた場所まで戻ってふと気が付いたんだけど、この魔馬ってもう大概の事に動じなくなってるよな?
さっきの檻の轟音でもアサシンタイガーの登場でも、嘶き一つ聞こえなかったのは凄いぞ。
超然としている魔馬の頭を撫でて荷馬車に乗り込み、まだ赤みを帯びるほどではない午後の陽射しを受けながら、来た道をそのままノンビリと戻る。
「いまは、誰もいないルマント村に魔獣が闊歩してるのかなー?」
「いたら俺がブレスで焼くか?」
「アプレイスらしくない発言だな。毛皮に火の付いた魔獣が走り回ったら、森に延焼しかねないぞ?」
「それもそうか。なんとなくあの男爵...いや、あいつのホムンクルスか...アレを見て俺も苛立ってたのかもしれん」
「わかるー! ホムンクルスってさー、見てるだけで不愉快よねー!」
「なんて言うか不自然だよな? パルレア殿」
「そーそー! 存在自体が気持ち悪いの!」
ホムンクルスに対して、アプレイスが自分と同じ感性だと分かってパルレアが気炎を上げている。
『生命』を守護してきた大精霊にとって許しがたい存在だって事は理解できるけど、正直、俺にはそこまでの嫌悪感は無い。
歪んだ欲望で自滅したモリエール男爵に同情する気持ちはこれっぽっちも沸かないけれど、人間族のモリエール男爵と、ホンモノのホムンクルスになった後のモリエール男爵とで、滲み出る気配以外のこと・・・
つまり、感情や考え方とか言動とか・・・
それが、寸分違わず同じに思えた事は新しい知見だ。
いつぞやの、シーベル子爵の家来だったカルヴィノの時にも感じたけれど、魂まで移されたホンモノのホムンクルスの『人格』は、ほぼ生前の人物と同じだと言っていい気がするんだよな。
たとえ身体というか『器』が魔法によって人工的に造られたものだとしても、それが人としての意識を持っているのならば、『ほとんど人と同じ』なんじゃ無いだろうか? なんて感じてしまう。
それこそが、俺がパルレアほどにはホムンクルスを一律に嫌えない理由だ。
自然に生まれ出た生命では無いホムンクルスを大精霊が忌み嫌うのも、もちろん当然な事だと思うけどさ・・・
それに、そう言う俺も『ニセモノのホムンクルス』に対してはパルレアと同じような嫌悪感を抱いている。
だって、アレは一欠片たりとも『生命にまつわる存在』では無く、むしろ死者を冒涜する所業だって思うからね。
「まあホムンクルスの事はともかく、村に戻っても魔獣はいないと思うよ。さっきの経緯を見ても男爵自身に魔獣を制御する力が渡されてたとは思えないし、だいたいエルスカインにはアンスロープの村とか娘達なんて、どうでもいい話だろ?」
「たしかにねー!」
「だから、単に男爵を意のままに操るために、それが出来ると思わせてただけだと思う」
「あのガキも騙されて利用されてただけなんだな」
「それがエルスカインのやり方だよ」
エルスカインが、元からドラゴンの檻を無事に回収したらモリエール男爵を始末するつもりだったとすれば、むしろルマント村に魔獣を放つような手間を掛ける必然性がない。
男爵自身も、もう少し節操があるというか思考力があれば、始末されないで済む振る舞いが出来たのかも知れないけどね。
ただ、今回の件で一つ気が付いた事もある。
モリエール男爵をわざわざアサシンタイガーに殺させたって事は、エルスカインも『離れた場所から指先一つでホムンクルスを始末する』ってワケにはいかないらしいってことだ。
だったらカルヴィノがまだ生き延びている可能性もあるよな・・・