ライノの生い立ち
八年前の、あの日あの村で、ブラディウルフに殺されてしまった二人の顔が脳裏に浮かぶ。
記憶の中にある二人は、ともに優しい顔をしている。
実の親ではないということは、ずっと幼い頃から言い聞かされていたけど、それでも俺は父さん、母さんと呼んでいた。
優しい人たちだった。
悪戯が過ぎた時は叱ってくれた。
俺のやらかしを、相手の家に一緒に謝りに行ってくれたことも何度かあった。
二人とも本当に仲良しな夫婦で、いつも笑っていた。
父さんはカッコよくて、狩りがうまくて、なんでも出来て、村の女性たちからは何かにつけて、やたらと近寄られていた。
狩りに出ない時は、よろず請け負う便利屋みたいなこともしてたけど、なにかの修理を頼まれて行ってみたら、特に難しい作業が必要な感じでもなかったとぼやいていたことが良くあった。
それに苦笑していた母さんも凄く綺麗な人で、優しくて、色々なことを知ってて、村の祭りや何かの集まりには、母さんが顔を出さないと文句を言う男たちも多かったことを覚えてる。
母さんの作った薬が欲しくて仮病を使う奴がいるってのが、村で定番の冗談のネタにされてたくらいだ。
ああ、なんでだろうな・・・ずっと『本当の両親』のことを知りたいと思っていたはずだけど、でも、いまパルミュナの話を聞いて感じたのは、不思議なことに、やっぱり俺の父さんと母さんは、あの二人だったんだなってことだ。
気がつくと、印を見つめている視界が霞んでいた。
いい歳こいて、いつの間にか涙を流していたらしい。
でも、嫌な感じじゃあないけどな。
俺の両親は、あの二人だ。
俺を『育ててくれた親』は、間違いなくあの二人と師匠だ。
なんか涙が止まらないな・・・
不意に、目の前が何かで塞がれて頭に柔らかな感触が押し当てられるのがわかった。
見なくてもわかる。
パルミュナが、俺の頭を抱きかかえてくれてるんだ。
パルミュナは何も言わない。
ただ、両腕で優しく俺の頭を抱きしめている。
俺は、それに抗いもせず、動きもせず、ただそのままじっとパルミュナの胸に顔を埋めて涙を流し続けていた。
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それからどれくらい経ったか、自分では分からなかった。
気がつくと涙は止まっていて、ただ、頭部に感じるパルミュナの柔らかな暖かさに浸っていたらしい。
「ありがとうパルミュナ。もう落ち着いたと思う...いや、そうじゃないな...暖かな気持ちでいろいろ飲み込めたよ、ありがとう」
「そっかー、だったら精霊冥利に尽きるよー」
だからそのせいれ・・・いやまあ、それはいいか。
「なあ、さっきの話からすると、俺を育ててくれた父さんと母さんは、どっちもエルフだったってことだよな? だってエルフ貴族の騎士と侍女が人間族っていうのも考えにくいだろ?」
自分がハーフエルフだったっていうことよりも、二人がエルフだったって言われることの方が、なんか改めて納得できるな。
でも、俺も『父さん』に似てるとは言われてたんだけどね?
うん、お世辞でも一応は。
「シャルティア・レスティーユ」
「え?」
「シャルティア・レスティーユ...それがライノを生んだお母さん、エルフ貴族の姫様の名前だってー」
「...そっか...シャルティア・レスティーユ...」
その名前を口の中で繰り返してみる。
それでなにか実感のようなものが浮かぶ訳でもないが。
「でさー。アタシも自分で見たわけじゃないから、たぶんだけどねー、ライノの育ての親になってくれた騎士と侍女の二人は、耳が尖ってなかったんじゃないかなー?」
「え、そんなことあり?」
「まー、魔法で耳の形を誤魔化すとか、人から見ても分からなくするとかって方法もあるけど、元々、人間族に混じっても違和感がないくらいには、尖ってない耳をしてた可能性の方が高いと思うなー」
俺の記憶では、二人は本当に夫婦になっていたはずだけど、父さんと母さんが子供の出来にくい純エルフのカップルだったとすれば、俺に弟も妹もいなかった理由も納得できる。
あの頃の俺、ちょっとだけ妹が欲しかったんだけどな・・・
「理由は知らないけど、アルファニアの、あの地方の一族には多いらしいのよー。だから母親のシャルティア・レスティーユさん自体も耳先が尖ってなかった可能性はあるよー」
「ってことはさ、俺の耳が尖ってないのは人間族の父親の血が混じってるからじゃなくて、元々のエルフの母親も耳が尖ってなかったからってこと?」
「んー、たぶんねーって感じ? ただ、例えば両親ともエルフでも、どっちの親の特徴が出てるか他人には分からないから、妹であるアタシの耳が尖っていても、それは不自然じゃないのよー」
そうなのか・・・
ワンラ村の村長さんも話に知ってたくらいだし、ラスティユの村のみんなも、俺がエルフの血を引いてるってことに対して、なにも疑問を抱いていなかったからな。
実は『尖った耳』って言うのは人間族の間での『固定観念』っていうやつで、当のエルフ族たちの間では、それほど気にされるようなことでも、珍しいことでもないのかもしれない。
ラキエルなんか、俺の耳を羨ましいって言ってたくらいだからな。
お世辞かもしれないけど。
「それと...いまパルミュナが下げている印と、それが入っていた箱だけは、あの村の森に残ってたんだな? ただ、箱自体に残っている記憶によると、本当は箱の中には母親が託したペンダントと、俺の生まれを綴った手紙も入っていたはずだと。そういう理解でいいのか?」
「そーだねー。ただアスワンの言いようだとさー、『印の入った箱』を見つけたんじゃなくて、『印と箱』を見つけたって感じだったんだよねー。まあ今度、本人に聞けば分かることだけど、箱と印は別々の場所にあったんじゃないかなーって思う」
「どういうことだそれ?」
「さあ? ペンダントの方は誰かが見つけて持って行ったのかもしれないし、理由は分からないよー」
なんかゾワっと嫌な感じがするな。
うーん、あまり考えたくはないことだけど、最初に魔獣に噛み殺さていた父さんと母さんの遺体を見つけた村人が、落ちてたペンダントを拾って着服したとかか?
そりゃ、ないとは言えないけど・・・そう思いたくはないなあ。
それより、もっとずっと後になって森を歩いてた人が、ただ落ちてたペンダントを見つけて拾って帰ったていう可能性もあるしな。
いや、冷静に考えれば、その可能性の方がずっと高いだろう。
箱だって、アスワンが見つけるまでそのまま残ってたんだし。
「ただ、手紙の方はきっと風に飛ばされて飛んでいったか、腐って土に帰ったか、だろうねー。だってアスワンがこの印を見つけたのって、本当に最近だものー。あの泉でライノと交渉する少し前だよー」
「そうか...まあ、ペンダントと手紙の行く末は考えても仕方のないことだろうな。八年経って、いまさら見つかるはずもないし、アスワンの読み取った話だけで十分だよ」
「そうだねー、そう考えるのがいいよー」
「うん。ところで、これは文句とかじゃなくって、ただ知りたいっていうだけなんだけどさ、なんでもっと早くに俺にそのことを教えてくれなかったんだ? 俺がハーフエルフだってことを教えてくれた時、パルミュナはこのことを知ってた訳だろ? あ、でもこれは本当に文句じゃないからな?」
「んー、アスワンにはねー『いつでも教えていいけど、あまりすぐには教えるな』って言われてたのー。意味わかんないよねー」
「すぐに言うなってのは、なんでさ?」
「ライノの『目が曇る?』みたいなこと言ってたなー!」
「曇る?」
「そもそもさー、精霊と人じゃあ見えてる世界が違うでしょー? だから、精霊が知ってるとか分かってるって思ってることも、人族の基準だと正しいとは限らないしー、余計なことかもしれないしー...」
「そんなもんかなあ...」
「まーとにかく、精霊は親切のつもりでも間違った方向を示しちゃうこともあるから、できるだけ人のことは人自身に、考えて答えを見つけて貰った方がいいんだってさー」
「なるほどな...」
「精霊だって長く存在してるから知ってることが多いってだけでさー、その場にいなかった出来事なんてふつー知らないし、なんでも知ってるわけじゃないからねー」
そう言われてみると納得できないこともない。
なんだかんだ言って、人族と精霊たちの感覚が大幅にズレてるってことは、ヒシヒシと実感している今日この頃だしな。
「それで、ホントは王都についた頃に教えればいいのかなーって感じで思ってた。ライノに押し倒されてたら別だけどー」
「それこそ、一言余計だろ」
確かに泉でアスワンとパルミュナに出会った時、今日の話を全部まとめて聞かされていたら、仕事として勇者を引き受けるという冷静さよりも、親の仇を探すとか、エルフの血を引く自分を受け入れられずに持て余すとか、そういう風になっていた可能性も否定できないかも・・・
「諸々含めて全部ありがとうって言っておくよ、パルミュナ。アスワンにもな。二人とも、人とは価値も感覚も違うっていうけれど、それでも俺にしてみれば善意の存在だって思うから」
「アスワンはアタシと違って嘘をつかないしねー。この件みたいに黙ってるってことはあるけど、聞かれたら嘘は答えられないのさー」
おい、いまサラっと『アタシと違って』ってぶっちゃけたな?
「お前の、泉から湧き出るような嘘にも感心するけどな。大体、『父親の形見の印』ってなんだよ? そりゃ俺にとっては形見ってことになるんだろうけどさ」
「えー、だってお兄ちゃんのお父さんだったら、私のお父さんじゃーん? だから形見ー」
「いや、表向きの建前じゃそうだけどさ...」
「それにー、従兄妹でもアタシがお兄ちゃんと結婚したら、お兄ちゃんの生みの親はアタシにとっても義理のお父さん?」
「やめろ、その追加設定! あと、唐突なお兄ちゃん呼ばわり!」
「えー、結構いい感じなのにー!」
「やかましいわ。人を弄ぶな!」
「ぶー」
やっぱり、ほっぺた膨らませポーズを忘れないところは評価するよ。
・・・ありがとうパルミュナ。




