思いがけない提案
姫様の言い様が予想外だったのかジュリアス卿が珍しく・・・じゃなくって、これは初めて見るな・・・ちょっと照れた感じの表情を見せた。
「ともかく場所も決まり、クライス殿とシンシアの技で村の人々も早めに連れて来られるとなれば、最大の懸念は解消だ。後は村が落ち着いて発展できるように時間を掛けて取り組んでいくだけであるな」
ちょっと早口で、いかにも慌てて話題を変えるような口ぶりだよ?
「ええ、本当に感謝していますジュリアス卿」
「ダンガ殿よ、それはお互い様であろう? 何度もレティたちを救ってくれたことに我がどれほど感謝しているか、それこそ言葉にしようが無いのだからな。ましてや、どんなに広い土地があろうと人の命は購えぬ」
ダンガも頷いた。
こればかりは、どちらの恩義が大きいかなんて、計りようが無いことだもんね。
村づくり自体で本当に大変なのはこれからだけど、それはジュリアス卿が言うように時間を掛けて取り組んでいくことだ。
ともかく今は、大きな壁を越えたことを素直に祝いたい気分だな。
「あ、あの、ジュリアス御兄様、その、ご、ご報告というかご相談と申しますか、申し上げたいことがございます」
一瞬、誰も言葉を発していない間が生まれた時、それまでダンガの脇に黙って控えていたエマーニュさんが不意に声を上げた。
緊張しているせいか、日頃のたおやかな感じからすれば声のトーンが一段階上がってるな。
「うむ。ダンガ殿とのことであろうフローラシア?」
「えっ!」
まあ、出発前に屋敷でもあんな会話をしてるんだし、ここ最近はずっと姫様と一緒にいるんだもの、そりゃジュリアス卿と姫様との間では話し合い済みでしょう。
「ダンガ殿とフローラシアの結婚において、障害...いや、本質的に障害では無いが、周囲がかしましく騒ぎ立てるのは身分のことだ。まあ、以前の暮らしぶりが違いすぎると一緒になってからも苦労が多いのは事実であるが...」
「そこは! そこは、なんとしても努力致します!」
おお、エマーニュさんの声が決意に満ちているぞ。
エマーニュさんの決意の籠もった眼差しと声に、ジュリアス卿が少しニヤリとしたように見えた。
「それは当然だぞフローラシア。お前が歩み寄らねばダンガ殿にはどうすることも出来まい。まあダンガ殿も以前の暮らしに較べれば何かと不自由を我慢せねばならぬだろうがな」
「で、では?...」
「何故、我が反対すると思った? これでも心の内ではずっとレティの夫であり、フローラシアとは家族であると思い続けているのだ。我にとって大公などただの役職に過ぎぬ。家族の幸せよりも貴族家の建前を優先する訳など無かろう? 見くびるなよフローラシア」
「はい! ありがとうございます御兄様!」
「あ、ありがとうございますジュリアス卿!」
「礼を言われるようなことでは無いぞ。我は別に二人の行く末を決める立場では無いからな」
「いえ、大公陛下はわたくしどもの指導者でございます」
「だからそれ以前に家族であると...」
「は、はい」
「まあとにかく話を戻すが、何だかんだと言っても周囲の声というのはあるし、それを無視し続けるのも難しい。なによりフローラシアには公領地長官としての立場もあるゆえな」
「はい...承知しております」
「そこで簡単な方法を取りたいと思う。要は身分の差を減らしてしまえば良いのだ」
「もちろん覚悟の上でございます。私も貴族の身分を離れて市井に...」
「違うぞ」
「はい?」
「それでは意味が無かろう。お前がダンガ殿のお荷物となってなんとするフローラシア。あれからルマント村に行っておる間に、それなりの食事は作れるようになったのか?」
あ、エマーニュさんの目が泳いだ。
「そ、それはいまも努力している最中でございまして...」
「そうでは無く、ダンガ殿を叙爵すれば良いだけの話だ。子爵家当主であるフローラシアと結婚するのであるから、少なくとも男爵家の当主である必要があろう。過日はリンスワルド伯爵を助け、その領地を守った上に、先日は瀕死の重傷を負いながらもフローラシアを守り通した。公に出来ない内容は多いが、そこはなんとでも出来る」
なるほど、そう来たか・・・
確かに、ダンガを叙爵して貴族にしてしまえば、エマーニュさんとの結婚に際して表だって文句を言える奴はいなくなる。
そもそも秘密の多いリンスワルド一族にとっては、他の貴族からの陰口や出自の由来に関する詮索なんぞ馬耳東風だしな。
要は貴族家同士の結婚だという『体面』さえ成立させてしまえばいいのだ。
「そうしますと、ジュリアス御兄様のお考えは...」
「我が勝手に考えたことゆえ、ダンガ殿には不満もあるやも知れぬがまずは聞いてくれ。まず、公国への多大な貢献を...これは事実であるからな...それをもってダンガ殿を男爵として叙爵させて貰う。その上で男爵にはこの狩猟地一体を領地として譲与するという段取りだ」
「ま、まさか...ほ、本気ですかジュリアス卿?」
ダンガがこれほど驚いた顔をしているのを見るのは久しぶりだな!
銀サフランの値段を耳にした時か、俺が『勇者』だって告白した時か・・・姫様から最初にルマント村の移転を確約された時の驚愕ぶりを凌駕してるかも。
「ただしフローラシアの公領地長官という立場を保たせる建前上、ダンガ殿にはエイテュール家への入り婿となって貰う必要が出てくるが、そこはなんとか許諾して頂きたいのだ」
「も、もちろん異議なんか一欠片もありませんけど、その...俺なんかが貴族扱いになったりしていいんですか?」
「無論だ。問題がフローラシアとダンガ殿の世俗的な意味での身分違いであるならば、その差を減らしてしまえば良いだけだからな」
「な、なるほど」
「それに、あえて言うならどんな貴族家も最初から貴族だった訳では無い。ミルシュラントの貴族達や大公家でさえ、戦やなにかで手柄を立ててその時代の王に叙爵されるか、力を蓄えて自分自身で王を名乗るまではただの騎士か戦士だったのだ」
それもそうだ。
どんな『名家』や『旧家』にだって始まりはある。
猿の魔獣だった時代から貴族をやってる一族なんて存在しないんだからな!
「そう考えれば、リンスワルド家の危機を救ったダンガ殿らが叙爵されるのは当然の成り行きであろう?」
「ジュリアス卿は俺たちのために色々と考えて下さったんですね。有り難うございます! ですけど...さすがにこんな広く多豊かな場所を領地として頂く訳には...」
「いや、考えてもみられよ。我もいつか死ぬ」
「えっ?!」
「我だけでは無い、レティもフローラシアも、考えたくはないがシンシアでさえ、人はいつか死ぬのだ。貴兄らのことを知り、感謝の念を持つ者がこの国に誰もいなくなった後、ノイルマント村の地位を保障するものはなんであろうか?」
「あ...」
「将来、ノイルマント村が経緯も不明な状態でスターリング家の土地に間借りしている...言い換えれば、未来の大公家当主の胸先三寸で追い出してしまえるような、そんな存在であってはならないのだ。モリエール男爵家の領地で起きたことが再び起きないという保証はないのだから」
ダンガが口をつぐんだ。
エルスカインが奔流を弄くり廻し、あちらこちらで思わぬ影響というか被害が出ている現状、それを完全に止めるまではどこで何が起きるかは分からない。
ガルシリス城のせいで長く不利益を被っていた旧街道だって、ここからさほど離れた場所では無いからね。
この狩猟地が荒れなくても、他の土地が荒れた時に『そこは良い土地だから大公家に返して出て行け』などと言われたら堪ったもんじゃ無い。
それまでの数十年や数百年の蓄積が水の泡になるだろう。
ジュリアス卿はそれを未然に防ぐために、ここが『ダンガ卿の領地』であり、つまりはアンスロープ族のものだという事実を確立しておく必要があると、そう言いたいのだ。
「そして領地を渡すためには叙爵が必要だ。ノイルマント村の将来のためを考えるなら、是非とも受け取って欲しいと思う」
「なんて言うか...あの...び、ビックリしすぎて、うまく言葉が出ません。すみません。ありがとうございますジュリアス卿。す、すみません」
「ありがとうございますジュリアス御兄様!」
エマーニュさんは貴族の女性として、ジュリアス卿の采配の意味や重要性が良く分かっている。
ダンガと並んでジュリアス卿に心からの礼を言うエマーニュさんの目には、微かにキラリと光るモノが見えた。
「なに、我に出来るのは、こういう建前を弄るようなことばかりであるゆえな。レティほどの才覚やライノ殿のような強さがあれば、他にももっと出来たこともあろうが」
「ジュリア、そんなことはありませんわ。わたくしはあなたの大公としてのお姿を尊敬しております」
「そうか?」
「そうですとも。そしてジュリアはわたくしの良き夫で、シンシアの素晴らしい父親なのですから」
「そうか...うむ、ありがとうレティ。心から嬉しく思う」
初めて聞いたぞ、姫様のジュリアス卿『夫』宣言を!
エマーニュさんの影響か?
それにしても、なんだかとっても素敵な感じで見ていて温かな気持ちになるね。




