不可視の結界
シンシアの新しい転移魔法理論を基準に考えると、アプレイスにルマント村まで運んで貰う際に、転移できそうな一定距離ごとに休憩や睡眠を取り、そこに新型の転移魔法陣を設置していけば、今後は行きも帰りも楽チンになる可能性が高い。
そこで、ルマント村までどういうコースを辿って跳んでいくか、シンシアとアプレイスを交えて図書室で地図を見ながら相談していると、革袋で昼寝していたパルレアがずるずると這い出てきた。
もうちょっとこう、お淑やかな感じで出てこれないかね?
「ライノ、ルマント村の大体の方角は分かったけど、細かな部分ではシンシア殿の方位魔法に頼っていいよな?」
「もちろんだ。まあアプレイスも自力で辿れると思うけどな」
「なんでだ?」
「ルマント村はあの菱形の大結界の南端近くにあるんだぞ。そして姫様の領地であるリンスワルド領は大結界の西端だ。真っ直ぐに奔流の濃い流れを辿って行けば自然とルマント村の近郊に着く」
「なるほどな...でも途中に高原の牧場にあった井戸みたいな罠とかあったりしないだろうな?」
「無いと思うけど、無いとは言い切れない」
「フワッとしてるな!」
「とにかく魔力が濃過ぎる場所に降りるのは止めようよ。着陸して夜明かしする場所なんかはシンシアの目も借りつつ臨機応変にって感じでな」
「ああ、了解だ」
「ねー、アプレースの不可視の結界ってどんなのー?」
パルレアが話の脈絡なく質問する。
「いや、どんなのって言われても...って言うか、ここに来るときにパルレア殿も見てるじゃないか」
「内側からしか見てないから外から見たいの。張って見せてー」
「この姿じゃ無理だよ。草地の方に出ていいかい?」
「うん!」
急に突拍子も無いことを言い出したパルレアの要望に応じて、アプレイスが立ち上がった。
仕方がないので俺とシンシアも草地まで一緒に付いていくことにする。
「みんな、ちょっと離れててくれな。ライノはともかくシンシア殿を踏みつけたりパルレア殿を翼ではたいたりしたら目も当てられん!」
「ライノはともかくってなんだよ!」
「お前は丈夫だろう?」
「ドラゴンに踏まれて丈夫もへったくれもあるか」
「俺が踏んでもライノは平気だって言う方に金貨十枚掛けるね。乗るか?」
「待て。それって俺が賭に勝つのは潰された場合だよな? 勝っても金貨を受け取れる状態じゃねえよ!」
「バレたか」
「ったく...」
やはりこのメンツでいるときの方が、アプレイスがノリノリだ。
正直俺も楽しいから文句はないけど。
アプレイスは一人でスタスタと歩いてみんなから十分に離れると、両腕両足を大きく一気に広げるようにして魔力を解放した。
そしていつもの凄まじい魔力が周囲を吹きすさんだ後には、草地の上に黒い巨大なドラゴンが佇んでいる。
「やっぱりカッコいいなあアプレイス...」
「そうか?」
「アンスロープといいドラゴンといい、変身できる連中って正直羨ましいよ」
「うーん、俺は生まれたときの姿がコレだから基準が分からんな」
「そうだな...逆にアプレイスがある日なにかの事情でドラゴン姿に戻れなくなったとしたらどうだ? それからの一生は人の姿のままだ」
「絶対に嫌だ!」
「だろ? やっぱりドラゴンとか狼の姿でも過ごしたいじゃないか?」
「なんでーっ!」
「それはそれで、御兄様の趣味が特殊なような気も致しますけど?」
「えっ、そうかな?」
「一時的な変身に興味が無いとは言いませんけど、複数の貌を持っていたいかというと、それほどでも...以前にアプレイスさんが仰っていたように、思考が貌に引き摺られるということも気になりますね」
「あー、あの話なあ...聞いてただろパルレア、大精霊の由来ってそうなのか?」
「そんな昔のこと知らなーい」
「うん、お前に聞くべきじゃなかった。今度アスワンに会えたら聞いてみよう」
「で、ここで不可視の結界を張ればいいのかパルレア殿?」
「うん!」
「じゃあちょいとな...」
見る間に草地に佇むアプレイスの姿が揺らぐ。
歪んだガラス板の向こう側にいるような歪な感じに見え始めたかと思うと、そのガラスが徐々に綺麗になって透明感を増していき、同時にアプレイスの向こう側の景色が透けて見えてくる。
その存在していないガラス板が完全に透明になって消えたときには、一緒にアプレイスの姿も消えていた。
「おー、こういう感じに見えるのか! 凄いなあ」
「なかなかの迫力ですね。正体を隠すと言うよりも本当に透明になる感じで」
「へー、こういう方法なのねー...なるほどねー」
「なにか気になることがあるのかパルレア?」
「うーん、術式的には分かる気もするんだけど、ドラゴンの魔法だからそのままじゃダメかなー」
「なにが?」
「お兄ちゃん、アスワンが補給に使ってた『箱』を覚えてるでしょ? あれも不可視の結界に包まれてるんだけど、あの箱の内側は精霊界と繋がってるからちょっとやり方が違うのよねー」
「つまり?」
「防護結界を不可視に出来ないかなって思ってー」
「え?」
「パルレア御姉様、それって防護結界そのものを不可視の結界と一体化させると言うことでしょうか?」
「そー。そーすれば色々と便利だと思うの。ルマント村に行くときもさー、防護結界だけじゃなくて不可視結界があれば、アプレースが何処で昼寝してもダイジョーブだし!」
「昼寝なんかしねえよパルレア殿」
「それでも夜明かしの場所は絶対に必要だよ。人気の少ない場所を選ぶにしても、見られないとなれば自由度が各段に上がるからな!」
「精霊の箱に掛けてた不可視の結界は、場所を移動させる前提がなかったから、動いてるモノには使えないのよねー。でも、アプレースの不可視結界なら動いててもへーきじゃん?」
「でも御姉様、私たち兄妹はともかく他の皆さんは不可視結界を使いこなせますか? 防護結界が動いている間ずっと姿が消えているとなったら逆に不便になりませんか?」
「そこでシンシアちゃん発明の『精霊魔法を起動する魔法』よー! メダルを身に着けてる限り防護結界は常時稼働してるから基盤はあるワケ。メダルの方に不可視結界を起動する術式を魔道具として組み込んどいてさー、不可視結界を使いたいときだけ、物理的にクルッと回せばアラ不思議ー! みたいな?」
「私に、それが作れますでしょうか?」
「不可視結界の方はアタシがなんとかするから、シンシアちゃんはそれを防護結界と組み合わせて、メダルで起動する仕組みの方をよろしくねー!」
「はい! 頑張ります御姉様!」
「凄いなあシンシアもパルレアも、次から次へとよく思いつくもんだ!」
「まー、アタシはずーっと不可視のこと思いついてなかったら、ぜんぜん威張れないんだけどねー」
「そう言う話題出たことなかったもんな」
「大精霊は、そもそも自分を不可視にする必要性がなかったのよー」
「必要性?」
「そー。人族に魔法で負けるとかないし、嫌な場所だと思ったら精霊界に引っ込めばいいし、好きなときに好きな場所に出て飽きたら戻るだけー。自分を見えなくするって発想がなかったのよねー」
「なるほどな...好きな場所に出たり消えたり出来れば、それで十分っちゃあ十分だよな?」
「それにアタシは...パルミュナだった頃のアタシは、心の何処かで人族のことを小馬鹿にしてたんだと思う。負ける訳が無い相手って感じ?」
「言わんとする事は分かるよ」
「でも、あの罠に取り込まれて人の魔法に完全に打ちのめされたのよねー。アスワンがぶちぶち文句言ってた意味もやっと分かったってゆーか...」
アスワンがブチブチ文句を言うって、どんだけだったんだパルミュナ?
「それにピクシーの身体になってから、姫様にピクシー族の身体のこととか歴史とか色々教えて貰って、不可視になること...相手から隠れることのメリットも十分あるかなーって気が付いたの。まー、お兄ちゃんを蹴っ飛ばしたラポトスみたいに自分を過信すると良くないけどねー」
ああ、いたよね、そう言う人・・・
アレは俺も不用意だったと思うけど、自分の不可視状態を過信するようになると、ああいう大胆不敵というか、チョット後先考えてない系の行動を取るようになる可能性は、誰にでも十分にあるのかもしれない。
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それから一週間ほど、またしてもパルレアとシンシアが猛烈な勢いで部屋に籠もり・・・猛烈な勢いで『籠もる』って言うのも変だけど、実際にそんな感じ。
とにかく防護メダルの改良に没頭して、パルレア発案の不可視結界を組み込むことに成功した。
メダルの表面に描かれている魔法陣を特定の順序でなぞることで、防護結界の外側を包むように不可視の領域が発動する。
発動中はまるで『透明人』だね。
もし犯罪にでも使われたら大変なことになるけど、そもそも防護結界を移植されていない者には使えないから、そこはセーフ。
ちなみに俺たち兄妹みたいに精霊魔法を使える者や、同じ防護メダルを稼働させている者には透明領域の存在が見えるから、緊急時でも仲間を見失うことはない。
シンシアとパレルアは追加で四日を掛け、いったん配っていた防護メダルを改修して配り直してくれたので、俺たちの安心感は一気にグレードアップしたよ。