ミルバルナ王室からの書簡
出迎え部隊の先行出発が間近に迫った頃、ようやくミルバルナ王室からの返答が届いた。
一言で言えば先方は『なんで?』と混乱しているモノの、ミルシュラント大公の考えに異を唱える気はサラサラ無いので好きにして貰って構わない、入出国に関して便宜を図る必要があれば全て承るし、他に必要なことがあれば言って欲しい・・・とまあそういう内容だった。
そもそもジュリアス卿がミルバルナ王室に送った書簡では、ルマント村移設に関する大義名分として『ルマント村出身の旅人がミルシュラント国内においてリンスワルド伯爵の危機を救うという大きな功績を立てたので、その報奨として村人全員をミルシュラント領内に住まわせることにした』という、事実だけど経緯が分かりづらい説明をしているらしいし、拒否する根拠もないか。
「意外にあっさり承諾してくれましたね。事情について問いただしてくる様子も無いみたいですし」
「ええ。国力の差だけで無く、ミルバルナにとってミルシュラントは大きな貿易相手ですからね。ジュリアの機嫌を損ねたくないという気持ちが大きいのだと思いますわ」
「つまり、ミルバルナ王室にとっては『理由を追求する気は無いから好きにして』という感じですかね?」
「片田舎の村の処遇など、実際どうでもいいというところでしょうし、恐らくはジュリアの酔狂とか突飛な思いつき程度に捉えているのかと」
「まあ、こちらとしては干渉しないでやらせてくれるのなら、それが一番有り難いですからね」
「はい。ルマント村の領主であるモリエール男爵にも一筆送っておいて下さると言うことですから、対外的には...少なくとも公式な体面は整ったと言って差し支えないでしょう」
「後は実行有るのみ、ですね」
「ですが時間の無さが最大の問題ですわ。冬に入ったらまとまった数の人々を一気に移動させるのは大変困難になります。かと言って呑気に春を待っていられるかどうかはエルスカイン次第...これほど短期間に村人達を納得させて連れ出すのは、生半なことでは無いかと思われますので」
「覚悟はしてますよ。俺も一緒に行く以上は出来るだけのことはします。南部大森林についても探ってみたいですが、優先順位はルマント村だと考えてますから」
「かしこまりました。ライノ殿のご意向はエマーニュにもよくよく言い聞かせておきましょう」
「あー、その件なんですけど...」
「エマーニュとダンガ殿の事ですね?」
「ええ、その、エマーニュさんの思いって、やっぱりそう言うことですよね?」
「ご賢察の通りです」
「えっと賛成とか反対とかじゃ無くって...あり得るんですか? こう言う組み合わせの、その...」
「結婚でございますか?」
「です」
「普通なら有り得ませんね。互いの気持ちや家柄などに関係なく、育った環境が違い過ぎると一緒にいることに無理が出てくるものです」
「ですよね...」
「エマーニュは自分が爵位を捨てて市井に下っても良いと思っているようですが、正直に言ってエマーニュに村人の暮らしなど出来ようはずがございません。その実情さえ知らないのですから」
「その辺りのことは、ルマント村に行ってから実感するって事になっちゃうんですかね...どちらが諦めるかはともかく」
それはそれで、二人がちょっと可哀想な感じもするよな・・・
「ダンガ殿にとっても、肉の焼き方さえ知らない妻を村暮らしで満足に過ごさせることが出来るでしょうか? 資産が十分にあるからと言って村内で大きな家に住んでメイドを雇うようでは領主と変わりません。とても村の...その共同体の一員として暮らすなど不可能でございます」
肉の焼き方も知らない、か。
シチューの煮込み方が『伝聞の知識』だったシンシアの言葉を思い出すな。
「加えてジュリアから承っている公領地長官としての責務はどうするのかと...日頃エマーニュが領地を離れてわたくしと一緒にいられる理由は、公領地の管理業務が簡単だからではございません。エマーニュが領地経営の計画作りや組織運営に関してわたくし以上に優秀だからでございます」
「ええっ、ホントなんですか!?」
「事実でございます。エマーニュは領主然として振る舞うには向いていない性格でございますが、数字の分析や将来の見通しを立てることに関しては天才です」
「正直、ちょっと驚きました」
「そう見えないというのも分かります」
「いや、ちょっと失礼に思っていたかも...」
「まったく構いませんわ。むしろ本人は貴族の女として見られるのを厭がっておりますから」
「それにしても意外ですよ」
「なおかつエマーニュは人を見る目も卓越しています。官吏達の登用に際してエマーニュの人選が問題を生むことはまずありませんから」
それで、自分が登用した官吏達に日頃の業務を任せていられるのだ。
はじめてリンスワルド城で正体を明かして貰ったときにエマーニュさん改めフローラシア子爵が言っていたことは、本当にそのまま事実だった訳か。
「それで...」
それともう一つの事にも気が付いた。
そんなエマーニュさんが惚れ込んだダンガだからこそ姫様も無碍にはできないってことか。
俺の・・・勇者の友人であると言うことよりも、エマーニュさんの『人を見る眼』の方が、姫様にとっては遙かに真理なのだ。
「ジュリアも幼い頃からエマーニュのことは良く知っています。無理に二人を引き離すようなことは決して口にしないでしょうが、だからと言って子爵家当主として預かっている責任をないがしろにして良い訳ではございません」
「やっぱり、そうなりますよね...」
「ですから、二人がそれぞれ半分ずつ諦めれば良いのです」
「はい?」
「ダンガ殿は狩人として自由闊達に生きることを諦め、エマーニュは侍女ごっこや庶民ごっこを諦めてフローラシアに戻り、ましてや二人で自由な村人暮らしをしようなどと言う妄想を諦めなければなりません」
「え? それってどういう?」
「簡単なことですわ。ダンガ殿がエイテュール子爵家に婿入りすれば良いのです。いまのダンガ殿にしてみれば、およそ自由の利かない暮らしが待っておりますから、どれだけエマーニュのために努力できるか、我慢できるか、二人の生活が上手く行くかどうかはダンガ殿次第でございましょう」
「あ、いや、それって...その、姫様的には良いんですか?」
俺が聞くと、姫様はニッコリと微笑んだ。
「ライノ殿も、『人の恋路を邪魔するものは魔馬に蹴られて月まで飛ぶが良い』とは思われませんか?」
勝てない!
本当に勝てない!
未来永劫、心のあり方に関して自分も姫様みたいな凄い人物になれるビジョンが浮かばないよ・・・
「納得しました。それに安心しました。俺も嬉しいですよ。それで姫様、ついでと言ってはなんですけど、一つ知っておきたいことがあるんです」
「なんでございましょうか?」
「エマーニュさんがあの時の...ダンガが大怪我を負ったときに着ていた血塗れのドレスを、浄化も洗濯もせずにそのまま部屋に掛けてあるという話が有って、それはどうしてなんだろうかと...」
「あのドレスはエマーニュにとってダンガ殿に救われた際の思い出であり、自分の決心の証なのだと思います」
「証ですか?」
「実はエマーニュもあの後で丸一日寝込みましたが、ドレスを壁に掛けてからベッドに倒れ込んでおりました。トレナもドレスを見てビックリしたそうですが、絶対に触らないように厳命されたとのことで、以降は見えないものとして振る舞っておりますね」
「あまり口にしちゃいけないことなのかなって気もして、ダンガも直接エマーニュさんには聞いてないそうなんですよ」
「最初わたくしは、エマーニュが自らの反省としてあのドレスを保管しているのだと思っておりました。自分が足をもつらせなければダンガ殿が大怪我を負うことも無かったからだと。それ自体は事実でございましょう」
「ええまあ」
「ですがエマーニュはあの時にダンガ殿を回復致しました。しかも、その、とても密着して...それでエマーニュはダンガ殿の人となりを深く覗くことが出来たのだと思います」
「え?」
「エマーニュは触れた相手の人間性を見抜きます。単純に人を見る目が優れていると言うだけで無く、物理的に触れた相手の本性を見抜くのです」
おっとおぉっ、なにそれ!
待て待て慌てるな俺。
エマーニュさんが俺に触れたのは、シーベル家の演武大会の階段で転びかけた時と屋敷への初転移の時ぐらいか?
胸のサイズへの感想までは伝わっていないよね・・・
「姫様、そういうことは先に言いませんか?」
「これもリンスワルド家の秘密の一つですね。ただ誤解を招きやすいので、あまり人に知らせしないようにしているのです。エマーニュほどではありませんが、わたくしもそれなりには...ですが、シンシアはほとんど駄目なようです」
「マジで?」
「マジでございます」
ポリノー村で初めて姫様の馬車に呼ばれたときのことがフラッシュバックした。
あの時の姫様は、俺にのし掛かるようにして両腕を掴んで来たんだったな・・・
「もっとも、それで相手の心を読むという訳ではございません。単に人となりを知る...善き思いを抱いているか悪しき思いに染まっているか、そういうことがほんのりと察知できるという程度です」
「ああ、それで誤解を生みやすいと?」
「はい。まるで心を読むかのように思われてしまっては、むしろ相手の負担となり、正常な関係を保てなくなってしまいますので」
「分かる気がします」
と言うか、いま俺も焦った。
「ですから最初にライノ殿のお手に触れたときも、わたくしに分かったのはライノ殿が心清らかな御方だと言うことだけでした。後に勇者様だと知って、色々な意味で納得致しましたけれど」
「過大評価ですね」
「そうは思いませんわ。ともかくエマーニュはあの時にダンガ殿の心の有り様を深く理解しました。自分のせいで瀕死の重傷を負ったにも拘わらず、後悔も恨みも一欠片も存在せず、ただエマーニュを守り切れたと安堵し、満足して自らの死を受け入れようとしていたダンガ殿のお心を」
「そうだったんですか...」
「あの時、ダンガ殿はご自分の死を覚悟なさっていたようです。このまま意識を失い二度と目覚めることは無いのだろうと...ですが、そこに負の感情はわずかも感じ取れなかったそうですわ。そして、そんなダンガ殿の心に触れたエマーニュは自分が生涯を共にすべき相手が見つかったと、そう確信したのです」
すべてに納得がいった。
エマーニュさんの思い、そしてダンガという男の真っ直ぐさ。
あれは二人が・・・普通ならば出会うはずも、言葉を交わすはずも無い境遇の二人が、心の奥で結ばれた瞬間だったんだな。




