豊かなのに不穏な土地
「何がー?」
パルミュナがとろけそうな顔でスプーンを口に咥えたまま、こちらに顔を突き出した。
淑女のお行儀について大精霊に説教するのは諦め、食事をしながらも益々強まってきた違和感のことを話す。
「魔力の安定の話は置いといて、だ。いまはもう国同士の大きな戦争とかもほとんど起こらなくなったし、行き来も自由になってさ、人も暮らしやすくなってるし、商売もしやすくなってるだろ?」
「それは今回、実感したねー! アタシって国とか領地とか自分には関係ないから、面白い話以外は気にしたことがなかったけど、やっぱり、平和で豊かって良いことなんだなーって思うよ。ラスティユの村とか、この街とか、本当に幸せそうな人が多いもん」
「ラスティユからここまでの街道も明るい雰囲気で、どこの住民もまあまあ幸せそうでさ...少なくとも明日の暮らしに不安があるような雰囲気は全然なかったよな?」
「うん。みんな丁寧だし、親切だし、食事もしっかりしたものを出してくれたし、それになんていうのかなー? ガッついた感じがない?」
「そうそう! 他所みたいに小銅貨一枚でも多く手に入れようどころか、逆に俺たちの宿泊料とか薪代だって遠慮されたりしてな、こんな良い感じに発展してて雰囲気の良い領地で...」
「だねー!」
「それが旧街道に踏み込んだ途端に、魔物に魔獣に妙な噂に、だろ?」
「あ、確かにー...」
「領主様が違うって言っても、協力し合ってるって話だし、不自然だろ?」
「そーねー。チグハグって感じかなー?」
おお、パルミュナの印象も俺と同じか?
自分の受け止め方が特殊じゃ無かったと分かって、変な言い方だけど、ちょっとホッとする。
「だな。きてる事件とか噂の内容とかが、この土地の雰囲気に似つかわしくないんだよな。旧街道っていうか辺境伯の遺したモノだか場所だかに、いったい何があるのか気になるよ」
やっぱり考えれば考えるほど、旧街道には『何か』があるんだと思わざるをえないよな。
それが、自分達が直接向き合うべきことなのかどうかは分からないけど、気になった以上は仕方がないじゃないか?
だって勇者なんだもの。
またエールのおかわりをしようと給仕の娘さんに手を振って、こちらに来てもらう。
俺は今度は濃いエール、パルミュナは苦い方のエールを頼み、ついでに料理のことをチラッと尋ねてみた。
「なあ、この魚の腹に入ってる野菜ってなにかな?」
「それは刻んだフェンネルをベースにしたソースですね」
「フェンネルって、あのタネや葉っぱを香り付けに使うハーブの?」
「ええ。ですけど、この辺りだと根っこの太い種類のフェンネルがよく使われてて、茎が太くて食べても美味しいし、もちろん肉や魚の匂い消しにも良くて重宝されてるんですよ
「へー、それは見たことないかも。ちなみに、こっちの煮物の臭み消しはセルリーだけ?」
「そっちにもフェンネルは使ってますよ。あと、羊肉の匂い消しはハーブで隠すよりも、煮込む前に肉から脂をよく抜いて、一度炙ると良いんです」
「ああ、やっぱり手がかかってるんだな。いやあ、さっきから驚いてばかりだけど、どれも初めて食べたような味で、すごく美味しくて大満足なんだ」
「ありがとうございます。いまはちょうど春真っ盛りですからね。ハーブや野菜がどれも柔らかくて匂いも強くて、秋とはまた違う意味で、食べ物の美味しい季節だと思いますよ」
地元の評判を調べたというわけでもなく、勘で選んだ宿屋の食堂でこれだけの料理に出会えるとは、フォーフェン恐るべし。
「あ、そうだ。このお店って、何か甘いものも出せたりする?」
「甘いものですか? デザートっていう意味だったら、いまはイチゴが出始めですから、イチゴのタルトがおすすめですね。煮込んだイチゴのコンポートを小麦の生地に乗せて焼いたものです。作り置きがありますから、すぐに出せますよ?」
「それっー! それがいいっ!」
不意にパルミュナが一心不乱に取りついていたスープ皿から顔を上げて叫んだ。
給仕の娘さんはそれに返事をして、苦笑しながら厨房に去っていく。
そりゃ、パルミュナの中身を知らなければ、年下の可愛い娘が全力でお菓子をねだってる、としか見えないよな。
まあいいけど・・・
実のところ、フォーフェンには一日だけしか滞在しないで、すぐに旧街道の方に向かうのか、それともパルミュナのエール飲み比べに付き合ったりして彼女が満足するまで滞在するのか、事前に決めていなかった。
俺自身も、装備の追加や修理はまだ必要ないし、一番のお目当てだった銅鍋がすぐに手に入ったので、あとは本当にエールの飲み比べくらいしか、この街に滞在する理由がない。
あとは・・・そうだなあ・・・
「なあ、パルミュナ。一応聞くけど、お前、王都まで俺と一緒に行くつもりだよな? アスワンの用意している屋敷だっけ? それの件もあるし」
「うん! もちろん、そのつもりー!」
「だったらさあ、明日でも、お前の服を買わないか?」
「へっ?」
「なんていうか、その服は可愛いいんだけど、街娘風すぎるっていうのかな...二人で一緒に歩いていくことを考えると、もっと旅姿の装いにしておいた方がいいと思う」
いまのパルミュナの服は、言ってしまえば商家の娘さんという感じだ。
最初にワンラ村で、パルミュナのことを説明できなくて言葉に詰まりそうになったことを思い出すと、いまは兄妹設定があるにしても、もうちょっとパルミュナの服装を旅装束に振っておいて貰った方がいい。
今日、街道沿いの店を冷やかして歩いた感じでは、吊るしの服でもそれなりの種類が売っていそうだったからパルミュナのサイズでも大丈夫だろう。
「ぶっちゃけその格好だと、破邪の妹が一緒に旅している風には見えないと思うんだよ。これまで泊めてくれたところでは、みんないい人たちばかりで俺たちの事情に嘴を突っ込んでこなかったけど、逆にいうと、人に言いにくい事情を抱えてるんだろうって内心では思われてたんじゃないかな?」
「え、そうなのかなー?」
「ああ、多分な。何にしても、この先キュリス・サングリアに近づくほど人も増えて、色々なところで俺たちのことを聞かれることも増えると思うんだ。興味を持たれたり探られたりするってのは、面倒事の可能性が増えるってことでもある」
「関所とか、市壁の検問とかー?」
「ミルシュラントにそういうのがあるか分からないけど、もしも行程を早めるために乗合馬車なんか使ったら、下手すれば同乗者と何日も一緒に過ごしたりしなきゃいけなくなるかもしれないだろ?」
「えー、別にいいじゃん。ライノってそんなに世間話が苦手じゃないでしょー?」
「いやそうじゃなくてだな...お前は見た目が可愛いんだから、そこは自覚しろ。可愛い女の子を見たら、普通の男だって変な気を起こしたりするもんなんだ。本街道に出たその日の夜にゴロツキが来たのを忘れたか?」
「えへへー。でもライノが一緒だから怖くないしー」
俺より遥かに強いだろうに、どの口が言うか・・・
「要するに出来るだけ自然に見える方がいいだろって話だよ。わざわざこっちからトラブルを招くことはないし、とにかく周りの人に余計な気を抱かせずに平穏なのが一番なの!」
「わかったー。ライノが言うならそうするよー」
「よし、じゃあ明日はこのままフォーフェンに滞在して、パルミュナの服を買おう。あと、見かけだけでも手ぶらじゃなくて、少しは荷物を持った方がいいだろう」
「了解ー! じゃあ明日は旧街道に旅立たずに、ここで服とか塩とかの買い物だねー。となると、もう一晩、泊まっていく感じかなー?」
もちろん、パルミュナの言いたいことはわかっている。
「おうよ。だから今日は酔っ払って朝寝しても大丈夫だ。そして明日も軽くエールの飲み比べだ」
「やったー! ライノ大好きー!」
なんか、こんなストレートに喜んでくれるとこっちも嬉しいな。
前にパルミュナが『俺に喜ばれると精霊冥利に尽きる』とか言ってたけど、こういう気持ちのことなのかもしれない。
パルミュナの見た目の若さは、遠慮なく言ってしまえば『顕現するための器』なので気にしないとしても、時々、中身が本当に大精霊なのかよ?って疑問に思うような言動をするかと思えば、ラスティユの村でやってくれたみたいに、大精霊らしい凄さを垣間見せることもある。
まったく、よくわからん奴だよ・・・
そんなことを言ってるうちに、イチゴのタルトがやってきた。
あの娘さん、ちゃんとこっちの食事の進み具合を見ながら、厨房に料理を出す順番やタイミングを伝えてる気がする。
確かに良い感じの人だけど、ただの雇われじゃないのかな?
二人の前に置かれた平皿に各々二切れずつ乗っているタルトは、切り分けた断面から赤いイチゴのコンポートが顔を覗かせていて見た目もいい。
早速、一口切り分けて口に運んでみる。
イチゴの下の土台は堅パンかと思ったら、もっとサクサクしていて、突くと崩れてくる感じの焼き菓子だった。
これはきっとビスケットの一種だな。
そこにイチゴを煮込んだコンポートが均一に乗せられていて、さらにその上全体におそらくは卵を練り込んだパイ皮を被せて焼いてある。
横の切り口から見ると、薄茶色のビスケット、真っ赤なコンポート、そして黄色っぽく見えるパイ皮が重なって綺麗だ。
噛むと口の中でパイ皮がしゃりしゃりと崩れ、コンポートの煮汁が染み込んだ甘いビスケットと、とろりとしたイチゴが混じりあって絶妙だ。
挟まれているイチゴのコンポートがジャムほどは甘くなく、フレッシュなイチゴの歯触りと酸味を残しているのも逆にいい。
あと意外なことにパルミュナの言っていた通り、甘いイチゴのコンポートと味の濃いエールが合う。
くぅー、この店にはハズレというものがないのか!
いや、美味しくて大満足だから嬉しいんだけどね?
パルミュナの方を見ると、それはもう幸せそうな顔をして、瞳からキラキラと星屑が溢れてきそうだ。
わかるよ、その気持ち。
俺は自分の皿のイチゴタルトを一切れ平らげると、もう一切れを皿ごとパルミュナの方に押しやった。
「よければこれも食べろよ。俺はもう満腹だ」
「おっ、やったー! ありがとうライノ」
それにしても、パルミュナはラスティユの村でもすごい量を食べてた気がするけど、そのちっこくて細い体のどこに、それだけの食事とエールが収まっているのか?
本当に食べる端から魔力に変換して消滅させてるのかな?