ウォームの口
師匠の持っている『魔獣図版』に載っていた解説によると、ウォームが地中を掘り進む速度は土質次第ではあるモノの、おおよそで人が歩く速度の十分の一程度。
魔法で土や岩を消し去りながら進む割には結構早いと言えるだろう。
ただしウォームといえども魔獣の一種だ。
睡眠を取るのが昼か夜かは分からないけど、全く休まずに掘り続けられるとは考えられない。
最初に降りた縦穴を十日前に通り過ぎたとして、人の歩行速度に換算すれば今は約一日、睡眠でも取るなら半日ほど歩いた距離になるだろう。
いざ目星を付けてからアプレイスの背に乗って飛んでみると、拍子抜けするほど簡単にウォームの足跡を辿ることができた。
眼下を見下ろしながらシンシアが丹念に魔力の濃い場所を探していくと、最初に想定した直線の、ほぼ延長上に三つ目と四つ目の縦穴を発見することが出来たけど、いずれも森の狭間にある草地で、いかにも鹿の親子が寛いでいそうな雰囲気だ。
ピクシーの狩人が言うように、この豊かな森には繁殖のために集まってくるヘラジカの数も多いらしい。
四つ目の縦穴を発見してからもしばらく飛んでみたけれど、もう、その先に続く草地には穴は無かった。
単純に満腹したウォームが狩りを止めたとか、土質の問題で縦穴を掘らないとかっていう可能性もあるけど、四つ目の穴から追うだけでも随分と時間の短縮になるな。
早速アプレイスに四つ目の穴のある草地に降りてもらい、最初と同じように穴の底を確認してから降りてみる。
降りてすぐに気が付いたことは、さっきよりも断然トンネルの中の空気が湿気を帯びていることだ。
試しにトンネルの横壁を指で押してみると、最初に降りた場所のようなパリパリと乾いた感触では無く、グニュッと柔らかい。
ウォームが掘ってから、まだそれほど時間が経ってないと見て間違いないだろう。
< シンシア、この辺りのトンネルはまだ掘り立てって感じだ。ここからしばらく追ってみるから、その場所で待っていてくれ >
< 承知しました御兄様。お気を付けて >
さっきと同じように暗闇に感覚を慣らし終わってみると、漂う魔力の痕跡を明らかに感じる。
それは元から地中を流れる天然の魔力では無くて、大きな魔獣が通り過ぎた後に残る、活動によって発散された魔力の痕跡だ。
『コレを追うのなら破邪の十八番、見失うことは無い!』と思ったけど、そもそも一本道のトンネルだったなここ。
見失いようが無いよ・・・
まあ用心しよう。
気合いを入れて、西に向かって歩き出そうとしたところで指先が震えた。
< あの、御兄様... >
< どうしたシンシア? 何かあったか! >
< その、御姉様の姿が見えないことに気が付いて... >
< なんだと! 何処に行ったんだ?! >
< 飛んでいたら気が付くと思うので、ひょっとして御兄様の革袋に入っていたりはしませんか? >
< あー... >
慌てて空いてる方の手を革袋に突っ込むと、部屋のソファに寝転がっているパルレアがいた。
まったく・・・
< パルレアはここにいたよ。心配掛けてすまん >
< いえ...お気を付けて >
< ああ、ありがとう >
「パルレア、独りじゃないと気が散るから付いてくるなって言っただろ?」
「ここでじーっとしてれば邪魔にならないと思ったんだもん! だからアタシからは話しかけなかったんだもん!」
「はいはい分かったよ...」
全く突拍子も無いことを・・・付いてきてしまったものは仕方が無い。
「終わるまでそこでじっとしてるか? それとも出てきて俺の肩に乗ってるか?」
いざウォームと対峙してからいきなり飛び出してこられたりしたら堪らない。
それだったら、常にちゃんと居場所が分かってる方がいいだろう。
「だったらお兄ちゃんの肩にいるー!」
言うが早いか、パルレアは革袋から飛び出して俺の肩に乗った。
パルレアが肩の上にいるという状態で再び精神を統一して、自分の感覚を周囲の気配と一致させる。
感覚的には左肩に『魔力の燭台』が乗っているような眩しさがあるけど無視だ無視!
さっき歩いたときは左右の枝道がまったく掘られていなかったし、このトンネル内なら前後にさえ気を配れていれば問題ないはず。
「出来るだけ喋らないでくれパルレア。だけど、もしも俺が気が付いて無さそうな、おかしなものにお前が気が付いたときは教えてくれな?」
「うん、教えるねー!」
そこからは二人とも無言のままで黙々とトンネルを歩き続ける。
ただ口には出さないけど、正直に本音を言うとパルレアが一緒にいてくれて凄く嬉しい。
さっきはホント、『何かの修行かよ!』ってくらいにひたすら暗闇を歩き続けるだけだったからね・・・有り体に言うと、ただただ神経を消耗するだけでツマラナイというか退屈だったのだ。
会話を交わしていなくてもパルレアが肩に乗っていると言うだけで、いまはなんというか孤独では無いという暖かさを感じる。
そのまま一刻ほど歩いた辺りから周囲の湿り気が強くなり、同時にある種の生臭さを嗅ぎ取れるようになってきた。
近いな・・・
「ねえお兄ちゃん...」
パルレアが俺の耳に口を寄せて、そっと小声で話しかけてきた。
「なんだ?」
「二百歩くらい先で口を開いてるのって、あれはアタシ達が飛び込んでくるのを待ってるのかなー?」
「なんだと?」
「だってアレってウォームの口でしょー? 周りにトゲみたいな牙がウジャウジャ生えてるしさー、アタシ達が踏み込んだらパクって口を閉じるつもり?」
「えっ、見えてるのかパルレア?」
「見えてるよー。だってピクシーは暗黒の森の中だって飛べるんだもん!」
「おま! そういう事はもっと早く言うべきじゃね?」
「えー、黙ってろって言われたし!」
「あのなあ...」
パルレアに俺の緊張感を返せと言いたい。
思い切り脱力しそうになるが、気を取り直してウォームに向けて慎重に進んでいく。
ウォームは両端に口がある。
だから、後ろからトンネルを進んでくる獲物の気配を感じたら、こうやって口を開いたままじっと待ち伏せするのだろう。
定期的に縦穴を掘るのは、そういう獲物が入ってくることも狙っているんだろうか?
さらに百歩ほど進むと、俺の感覚でもトンネルの先が塞がっていて、そこに何か巨大でゴツゴツしたものが口を開けていることを感じられた。
まあ一人きりでも、ウォームの口の中に足を踏み込むことにはならなかったと思うけど、なんか悔しい・・・
「もう喋っていいよパルレア。でもアイツが口を開いたままでいるなら好都合だな」
向こうはこちらの存在を知って待ち伏せているんだから、もうひっそり動く必要は無いし、位置も分かってるんだから全力で警戒する必要も無い。
「口の中から凍らせちゃうの?」
「死なない程度にな。動きが緩慢になればいいんだから」
「分かったー。アタシがやろっか?」
「頼む」
パルレアはすっと俺の肩から浮かび上がるとウォームの口に近づいて、トンネルの直径一杯に開かれた大口に熱魔法を送り込み始めた。
熱を産み出すのでは無くて、一気に熱を奪い取る方の魔法だ。
しばらくするとウォームの巨体が震えて蠕動したのが分かるけど、口は閉じない。
いや、閉じられないのか。
ウォームは虫みたいな身体のつくりで口には顎が無いから、獲物も噛み砕いたりせずに丸呑みするだけだ。
ピクシーの狩人は『花びらのように開いた口』と言っていたけど、その裂けた口蓋の付け根部分の組織が凍り付くと動かせなくなるっぽいな。
開いたままの形で固定された口の奥めがけて、パルレアは更に手加減した熱魔法を送り続ける。
これは水分が凍らないギリギリの冷たさを狙ってるらしい。
さすがピクシーサイズとは言え大精霊の操る魔法、見事な制御技術だな。
じっと待っていると、やがてウォームの蠕動も止まり、トンネル内には再び静かな暗黒が戻って来た。
周辺の壁やウォームの口が凍っているせいか、生臭さも綺麗に薄れている。
「よし、いい感じだなパルレア!」
「ほめてー!」
「おう、褒める褒める。やっぱり熱魔法の制御の細やかさとか、まだ俺は全然敵わないなあ」
「お兄ちゃんも上手くなってるよ?」
「そうか?」
「まー、アプレイスを生きたまま煮込みかけたのはどーかと思うけど」
「ですよね...」
そうだった、アレも見てるんだったよパルレアは・・・




