魔法陣の転写
ボンヤリと白く浮かび上がる魔法陣を二人で眺める。
恐ろしく精巧で複雑だということだけは見て取れるけど、それ以上のことは俺には分からない。
「こいつの解析はシンシアにお願いしたいな」
やっぱり雰囲気としてはガルシリス城の地下にあったものと同じに思えるけど、あれの細部は全く覚えてないからな・・・
「やってみますね! でもパルミュナ御姉様だったら、もっときちんと読み取れると思うんですけれど」
「どうかなあ...まあ結局は人族の魔法だから専門外って言うか、詳しく知らないんじゃないかな。ガルシリス城のときも、パルミュナはあまり細部まで読み取れてなかったぞ?」
「そうですか? それにしても、輿自体が転移門に吸い込まれなかったのはどうしてでしょう?」
「シンシアの魔道具のお陰だろうな」
「精霊の魔力と気配を遮断しているから、転移門に認識されなかったとか?」
「たぶんね。魔力を全く纏っていない様に見えるから、転移門にとってはそこらに生えてる草と同じようなモノなんだろう」
「言われてみれば確かに...それで、この転移門と井戸の魔法陣は、もう二度と動くことは無いんですよね?」
少し心配そうに聞いてくる。
「ああ。いま浮かび上がっているのは精霊の水がなぞった輪郭だ。つまり魔法陣そのものじゃ無くて、単に魔法陣の写し絵みたいなモノだな」
「だったら、もうアプレイスさんがここに来ても安全ですか?」
「大丈夫だ。さっきから精霊の視点でも見てるけど、この周囲で動く気配はなにも無いし、隠されている魔法もないと思う。この魔法陣が吹き飛んだから、ちびっ子たちも平気でこの上を通り過ぎる様になったよ」
むしろ俺が辺り一面に精霊の水を撒き散らしたせいで、いまはちびっ子たちが続々と寄ってきている状態だな。
「じゃあアプレイスさんとコリガンの皆さんを呼びましょう。ちょっとお願いしたいことがあります」
「わかった。俺が呼ぶよ」
「私は今のうちに輿や蓋に取り付けておいた魔道具を回収しておきます」
「いや、念のために輿ごと里に持って帰ろう。ラグマ達がすぐに積んでくれるさ」
< アプレイス聞こえるか? >
< ライノ無事か! 首尾はどうだ? >
< 上手く行ったよ。罠も井戸もまとめて吹き飛ばした >
< さっき光が見えたのはそれか >
< ああ >
< じゃあ、もうそこに行っても大丈夫か? >
< 問題ない。コリガン達も連れてきてくれ >
< 了解だ >
通話を切ってしばらくすると、背中にコリガンの六人を乗せたアプレイスが飛んできた。
この距離だと、彼にとっては飛ぶと言うよりもジャンプしたって感覚だろうな。
ラグマ達は着地と同時に素早く飛び降りて輿の回収に取りかかる。
「アプレイスさん、もうここから撤収したいと思うんですけど、その前に私たちを乗せて、この転移門の図柄が光ってる周りを少し飛んで頂けませんか?」
「もちろんだ。二人とも乗ってくれ」
「あの、それで地面がよく見える位置にいたいので、背中じゃなくて、首筋とかに掴まっていても構いませんか?」
「何処にいても俺の羽の両端から内側は結界に包まれてる。シンシア殿が怖くなければ、首でも尻尾でも何処にいても平気さ。だけど地面をよく見下ろしたいんだったら、俺の頭の上に乗ってるのがいいんじゃないかな?」
「そうだなシンシア。頭の上に乗せて貰えよ」
「え?」
「ああ。頭の上ならシンシア殿が見たい方向に首を曲げられるからな。それが一番いいと思う」
「でも...あの、じゃあ靴は脱ぎますね」
「止めてくれよシンシア殿。足蹴にされたなんて思うわけないんだから、そのまま上がってくれ」
「は、はい。あの御兄様も一緒にいて貰っていいですか?」
「じゃあ俺が背中を支えるよ」
その場でシンシアを抱き上げて、一気にアプレイスの頭の上にジャンプする。
「座らせて貰うぞ」
「おう、気遣いは無用だ」
二人で座っても十分に広いアプレイスの頭の上に胡座をかき、俺の足の前に革袋から出したクッションを置いてシンシアを座らせる。
実際にはアプレイスがどんな姿勢を取っても落ちることはないんだろうから、これはあくまでもシンシアに安心感を与えるためだ。
「飛ぶ高さは少し低めにお願いしますね」
「了解だ」
アプレイスは、輿を乗せた六人のコリガンがちゃんと背中に乗っていることを確認してからフワッと飛び上がり、転移門の上空をゆっくりと旋回し始めた。
身体を少しだけ内側に傾けてくれているので、魔法陣の絵柄が浮かび上がっている草地が眼下に一望だ。
「あ、狙っていたとおりです! このままでお願いしますアプレイスさん!」
「おう!」
「さすがだな。シンシアの要望を先読みしてたか」
「そりゃあ空から見下ろしたいって言ったら、こんな風だろ?」
シンシアは身体を横に捻って両手を地面に向けて突き出し、光る魔法陣を指で囲む様にして観察している。
そのまま三周ほどアプレイスが旋回するのを待ってから手を下ろした。
「これで大丈夫ですアプレイスさん。エンジュの森に戻りましょう」
「分かった。ライノも忘れ物は無いか?」
「輿と蓋はみんなが乗せてくれてるから大丈夫だ」
「よし、じゃあコリガンの里に戻るとするか!」
「頼んだアプレイス」
「まかせろ。みんな里に着いたら起こしてやるから寝ててくれ」
「ん? 考えてみたらアプレイスは丸二日間の完全徹夜って事になるんじゃないのか? 大丈夫か?」
「ドラゴンをなんだと思ってる」
「まあ、そうか」
「いにしえのコリガンの狩人は、毎日数時間ずつの仮眠を取るだけで一週間のあいだ走り詰めたそうだからな...巨体の俺が、このぐらいで根を上げてる訳にはいかないな!」
そう言ってアプレイスは大きく羽ばたき、速度を上げた。
ここに着いた時には天頂辺りにあった月が、もう向こうの山陰に姿を隠そうと近づいている。
もう少ししたら空が白んでくる頃合いだ。
コリガンの里に到着するのは昼前くらいかな?
「それにしてもシンシア、こんな短時間でもうあの魔法陣を覚えたのか? さすがだな!」
「いえ御兄様、覚えたのではなくて記録しました」
「記録って?」
「こんな感じです」
そう言ってシンシアが両手を突き出して身体の脇に広げる。
シンシアの手と手の間には、井戸と転移門の魔法陣の図形が見た目そのままで浮き上がっていた。
「おおっ、こんな事が出来るのかシンシア!」
大結界の絵図を浮かび上がらせて見せてくれた魔法と同じだ。
こういう風にも使えるんだな。
「そう言えばパルミュナもシンシアも、最初にアスワンが見せてくれた絵図を、そのまま同じように浮かび上がらせていたな。あれって、大結界の絵図をそのまま写し取ってたのか?」
「はい。魔力で描いたモノは、そのままの状態で同じように記録して呼び出すことが出来るんです。パルミュナ御姉様はもっと綺麗に映し出せますけど」
「いや十分だろ。凄いよシンシア」
「コリガンの里に着いたら御兄様にも方法を教えますね」
「頼む、ただし俺はシンシアやパルミュナみたいに繊細な魔法を操る自信がないから、この術をいっそ魔道具に出来ないかな?」
「魔道具にですか?!」
俺の無茶振りにシンシアが絶句した。
「いやまあ、出来たら凄いと思ってな...シンシアって気配隠しにしても手紙箱にしても魔力収集装置にしても、魔道具に関してはもうパルミュナを越えてると思うんだよな」
「そんなことは...」
「いや、マジでそう思うよ。確かにパルミュナは元が大精霊だから精霊魔法の使い手として最高峰だし、むしろアスワンやパルミュナレベルにしか扱えない大魔法ってのも色々と有るとは思う」
「ですよね」
「だけど、なんて言うかな...身体の中で魔法を練り上げるんじゃなくて...身体の外で魔法を組み合わせて複雑なことを実現する技術に関しては、たぶんシンシアの方が適任だ」
「ええっ、本当なら嬉しいですけど!」
「ほら、ペンダントの探知魔法があるだろ? シーベル城でシンシアはあれを改良してカルヴィノの身体に埋め込んで見せたけれど、あれだって、並大抵の魔道士に出来ることじゃないと思うよ」
「あれには元になる魔法がありましたから」
「多分、アルファニアの魔道士学校でシンシアに探知魔法の原理を教えてくれた魔道士だって、シンシアが聞いただけのモノをそのまま独力で再現できるとは思っていなかったんじゃないかな?」
「え、そうでしょうか? もしそうだったら、あの先生に悪いことをしてしまったのかもしれませんね?」
「いや逆だな。良い先生ならシンシアのことを誇らしく思ってくれるだろう。いつかまた会う機会があったら、方位を調べる魔法陣のことも教えてあげるといい。あれはペンダントの探知魔法を完全に理解したからこそ応用できたモノだろうから、きっと喜んで褒めてくれると思うね」
「はい! いつかそうします」
シンシアは実にすっきりとした顔で微笑んだ。
未来を信じている笑顔だ。
俺を支えてくれているこの笑顔を、俺も全力で支えよう。




