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390000PV感謝! 遍歴の雇われ勇者は日々旅にして旅を住処とす  作者: 大森天呑
第五部:魔力井戸と水路
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<閑話:トレナの日常>


私は長らく...と言ってもまだ十年にも満たないですけれど、幼い頃からリンスワルド家でメイドを務めてきています。

ひょんな事から伯爵家のご当主であるレティシア姫様の目に留まり、部屋付メイドの一人として抜擢されて以来は、普通なら年の若さからしても考えられない職務と責任を預かって参りました。

たぶん。

・・・たぶん、責任も預けられていると思います。

ええ、たぶん。


そんな私ですが、いま大変困った状態に陥っています。

なにしろ婚約したてのホヤホヤだというのに、ここ数週間も婚約者の顔を見ていないほどです。


サミュエル様との婚約に際しては、勇者様と大精霊様に介添人を請けて頂いたのみならず、勇者様からは『オリカルクムの短剣』を拝領し、大精霊パルミュナ様からも『精霊の祝福』を賜りました。


およそ人の身で生まれた者として、普通なら考えられない程の僥倖・・・


ちなみに私は武具のことは全く分からないのですけど、サミュエル様が言うにはオリカルクムの短剣一つで、王都に家が(あがな)えるほどの貴重品だとか。

まあ仮に世界が終わっても、勇者様からの御下賜品を売ることは有り得ないですから値段は関係ありませんけどね。


でも、その婚約者に全く会えていません。

あ、いえ、それが困ったことなのでは無くて、いまのはこの屋敷で暮らしている結果としての只の鬱憤です。


困った事と言うのはメイドとしての職務に関わるものです。


++++++++++


・・・困ったこと、その一。


メイドとしての仕事が無い。


正確に言うと、普通の屋敷ならメイドがやらなければいけない膨大な作業が、この大精霊様が作ったと言うお屋敷ではほとんど無いのです。

何しろ、一般的な意味での掃除が必要ありません。

もちろんゴミの片付けの様に、自分たちで散らかしたモノは片付けたり仕舞ったりと言うことが必要ですが、ホコリもシミも大抵の汚れは屋敷自体が勝手に浄化してしまうので掃除の必要が無いのです。


メイドの一人であるドリスが床に豪快にワインをこぼしたときも・・・ナイショですけど・・・しばらく経つと跡形も無く消えて、床にはシミの一つも残っていませんでした。

きっと姫様もお気づきになっていないはず・・・

廊下や窓枠、階段の手すりに埃が溜まることも無ければ、木目を美しく保つためにワックスを塗る必要もありません。


もう、メイドの役割のほとんどを屋敷自体が済ませてしまうのです。

こんな屋敷が世間に広まったら、メイドなんて仕事は世の中から消えてしまうに違いありません。


洗濯だって同じです。

リンスワルド家の方々はみな魔法が使えますから、ご自分の服は汚れてもすぐに浄化してしまいますが、仮に浄化魔法の使えない方がお泊まりになっていても問題ありません。

私たちメイドのお仕着せ衣装も洗い場脇の木桶に放り込んでおくと、いつの間にか新品同様に綺麗になっています。

もう一人のメイドのエルケが、水を張った木桶に洗濯物を放り込んだまま、うっかり別の作業に気を取られて放置していたことで気が付いたのですけどね。


このことに気が付いた私はキッチンの洗い場で木桶に水を張り、その中に汚れた食器をしばらく浸けてみました。


ええ、もちろんしばらく経つと綺麗サッパリと皿やコップの汚れは消え去っていて、水気を拭けば、そのまま食器棚に戻せる状態になっていました。

それにキッチンの中はいつも清潔に乾燥しているので洗ったモノが乾くのも早く、食器も布巾もあっという間にカラッカラです。


楽だと言えば確かにそうなのでしょう。

ですが、自分の職務が消えつつあると考えれば、これほど恐ろしいことは無いとも思うのです。


そして、この屋敷の楽さに慣れてから、また『普通の屋敷』での仕事に戻るとしたら・・・いえ、いずれ戻ることは確定なのですけれど、正直ゾッとします。


姫様の部屋付メイドにして頂いてからは、冬の早朝の水汲みや洗い物からは解放されていましたが、ずっとそのままだとは思っていませんでした。


いずれまた下働きメイドとしての日々に戻る時が来る・・・

常にそう覚悟してと言うか、心構えを忘れずに日々を過ごしてきたというのに、いまの私はこの体たらくです。


どうすればいいのでしょう?


++++++++++


・・・困ったこと、その二。


食事の用意が大変。


『困ったことその一』と矛盾しているように思えるかもしれませんが、矛盾していません。

作業の楽さや物理的な簡便さと、心持ちの大変さは同じでは無いのです。


この屋敷のキッチンは、火の番が必要ありません。

本当です。

火を保たなくても、いつでも火が使えるのです。

火魔法もいりません。

何を言ってるか分からないかも知れませんが、私にも仕組みが分かりません。


ただ事実として、カマドの上に鍋を載せ、描かれている魔法陣に沿って指を動かすだけで鍋でもフライパンでも好きなように加熱できるのです。

円形の魔法陣をなぞるときに、指先を何処で止めるかで火加減を調整できるので、弱火でじっくり煮込むモノから、強火で一気に焼き上げるモノまで自由自在です。

魔法陣の上に食材をかざすだけで、串焼きでも網焼きでも問題ありません。


それに水汲みも必要ないのです。

キッチンの水瓶には、いつも綺麗な調理用の水が湛えられていて、汲んでも汲んでも減ることはありません。

しかも、そう言う水瓶が各階の各部屋にあるので、水を汲んで階上に運び上げる手間さえ不要なのです。


本城や別邸にいるときは、姫様が鳴らす部屋のベルを聞きつけたら即座に参上し、お求めの内容に従ってお茶の準備をする、という役目が一定時間ごとにありました。

ですが、いまは姫様もフローラシア様も、と言うかどなたも、勝手に各々のお部屋で保温機能付きのポットに水を汲んで沸かし、温かい御茶を飲まれています。


大変便利ですが、一日中ほとんど誰にも呼ばれないという寂しさ!


クライス様のご友人様方なんて、そもそも部屋のベルを鳴らした事さえ一度もありませんよ。

皆様、メイドに御用があるときは、キッチンや、その脇にある使用人控え室にご自分からいらっしゃってしまいますので・・・

皆様が大変心優しい事は重々承知しておりますが、逆にメイドとしては心が痛い、むしろベルを鳴らして呼びつけて欲しい、ということもご理解頂ければと思う今日この頃です。


そして食材。


いまはクライス様もシンシアお嬢様も屋敷にいらっしゃらないので、新鮮な食材や料理を外から調達してくると言うことは出来なくなりました。


しかし、穀物や乾物、塩漬け肉のように保存できる食品に関しては一年くらいは余裕で過ごせるのでは無いかしら? と思う量がパントリーと倉庫に蓄えられています。

連れてきた山羊と鶏たちも元気ですし、リンスワルド家の養魚場から樽ごと牧場に運ばせた沢山の塩漬け魚や魚醤も全て持ち込まれていますから、もう、何があっても飽きるまで籠城できそうという感じです。


そして、パントリーに収めてある食品は腐りません。


ええ、腐らない、傷まない、匂いもしない、そういうことです。

なぜだか私には全く分かりません。

最初からそうと分かっていればクライス様方も、乾物や塩漬けよりも、新鮮な肉や魚、葉物野菜などを山ほど仕入れていたことだと思います。

(かえ)(がえ)すも残念です。


干し肉か塩漬け肉と塩漬けの野菜でスープでも作り、小麦でパンを焼けば日々の食事はずっと賄えるでしょうし、大麦もたっぷりあるのでその気になればエールも自家製造出来ます。

ただし、ホップに関してはレビリス様のご要望で裏庭の畑に作付けしていたものの、まだ収穫には至っていません。

僅かな毬花は育っていますが、エールの風味付けに使えるほどツルが伸びて増えるのは来年以降でしょう。


それはともかく、同じ食事が続くと飽きますよね?


この屋敷に来て以来どなたからも、食事の内容に関して文句や注文を言われたことが一度もありません。

だからこそ、もしも皆さんが食事内容に不満を抱き始めるときが来たらと思うと、恐ろしくて仕方がないのです。


ここにいらっしゃる皆さんは・・・ウェインス様以外は・・・本城でも、別邸でも、それどころか王都に向かう旅の途中でさえも、食に拘るリンスワルド家のキッチンを取り仕切っていた料理人達が全力で作っていた料理を口にしてきているのです。

ええ、あの伝説の筆頭調理人である、現『銀の梟亭』の主に鍛えられてきた料理人たちの作る料理です。


それがいまは、私たち一介のメイドが作る料理で皆様の三食を賄わなければならないという状況・・・絶望という単語の意味を知った気分ですよ。


そもそも部屋付メイドは調理人ではありません。

私も下働きの頃に一通りは仕込まれましたが、それ以上は全てアドリブの自己流ですから、これまでに口にした料理の味を必死で思い出しながら気合いと工夫で作ってみるしか無いのです。

私と一緒に屋敷から連れて来られたドリスも単に厨房の管理雑務手伝い(キッチンメイド)であって調理人ではありませんし、エルケもただの雑用係(ハウスメイド)ですから、自分と家族が口にする以上のモノを作った経験など皆無です。


なぜ姫様が調理人を連れていらっしゃらなかったのか・・・いかに秘密保持のためとは言え不可解ですね。


テレーズさんがいた頃は習慣的に屋敷のメンテナンス作業も行っていましたけど、いまはその代わりに、空いた時間のほとんどを『保存食を如何に美味しく調理するか』という料理研究につぎ込んでいるのが実情・・・


理由はなぜか分かりませんが、姫様もクライス様も『メイドも出来るだけ主人と同じ料理を口にすべき』という考え方の持ち主でいらっしゃいますから、私たちメイドもムダに口が肥えています。

美味しいモノを知ってしまっています。

『味覚』というのは忘れることも後戻りすることも出来ない物なのです。


もう、出口の無い罠に入り込んだウサギのような気持ちになります。


++++++++++


・・・困ったこと、その三。


誰も屋敷から出られない。


シンシアお嬢様が、クライス様の後を追って大山脈へと向かわれてしまって以来、誰も転移門を使って屋敷に出入りできなくなりました。

むしろ新鮮な食材などは些細な問題に過ぎません。


もちろん、普通に歩いたり馬車に乗って出かけるならば何処へでも行けるそうなのですし、転移門なしで屋敷への出入りに使えるようにとクライス様が残されていった荷馬車もありますが、このお屋敷は王都の郊外のリンスワルド牧場から、さらに馬車で数刻は掛かる場所に有るそうです。

よほど切羽詰まらなければ、誰もそんな距離を日常的に行き来したいとは思わないでしょう。


いまの姫様は常に屋敷にいらっしゃっる上、日中のほとんどの時間を仕事に没頭されています。

少々、お体が心配になります。

一度、天気の良い日に、屋敷の向こうに広がる草地でピクニックがてらに外でのランチをご提案したのですが、姫様はそこにも書類をお持ちになりましたので以降は諦めました。

むしろ姫様にとっては仕事に没頭していることが、屋敷から離れられずにクライス様やシンシア様の身を案じる日々を忘れるための息抜きだったようです。


そして外部との手紙のやり取りですが、以前、キャラバンが出かけられていた最中のように夕方に一回という頻度ではありません。


王宮の大公陛下との間ではもちろん、別邸の部屋付メイド頭のシャルロットさんや本城の離れの管理を承っているテレーズさんにも、頻繁に指示を送られていますし、フォーフェンの騎士団分隊を通じて駐在官吏の方々への指示も送っていらっしゃいます。

どうやら、ダンガさまが大怪我を為された先の戦いで、転移門が使えることがエルスカインに露呈したために、もう何が何でも存在を隠すという必要は無くなったとのことです。


とは言え、世間に知られてしまうと大騒ぎになりますので、手紙箱はあくまでもリンスワルド家と大公家の中だけのモノであることに変わりはありませんが。


出来れば私もこの手紙箱を使わせて頂いて、婚約者のサミュエル様と文通できないかしら?なんて夢想したりともするのですが、もちろん、それを口に出すことはありえません。

それに手紙のやり取りなどしてしまうと、逆に恋慕の情が膨らみすぎて平常心を保てなくなってしまうような気もします。


はあ・・・

一日も早く将来の夫であるサミュエル様と再会できないかしら・・・


正直レミンさんとレビリスさんが羨ましいです!


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