姫様への手紙
シンシアが転移門を開いて手紙箱を送ると、即座に姫様からの返事が飛んできた。
珍しく姫様の筆跡が乱れている事で、その興奮具合が伺えるね。
そりゃあまあドラゴンを説得?して仲間に出来たんだもの。
当面のエルスカインの目論見を挫く事が出来た訳だから、出発時点での目標は完全に達成ってことになる。
姫様が興奮するのも無理はないけど、文章さえも少々とっ散らかっていて、日頃の頭脳明晰で沈着冷静な姫様からすると想像できないほどだ。
『これから家に帰ります』って連絡に対しての結びの言葉が『ご武運をお祈りしております』だからね!
どれほど動転しているか分かろうもの・・・
「姫様も久しぶりの手紙でシンシアの無事が分かって慌ててたんだろうけど、最後に『ご武運をお祈りしております』っていうのはちょっと定型文だよね。これまでのやり取りもずっと最後はそれでシメてきてたから、クセになっちゃったのかな?」
「いえ、これからの事もありますから...」
「まあそうか。でも今日はおよそ七日分の距離を半日で飛び抜けたって事は、そうだな...たぶんレンツから王都まで馬車なら、寄り道なしで進んでも二十日以上はかかるとして...ドラゴンの場合は空を飛ぶから、直線距離だともう少し短いかなあ?」
「じゃあライノ、王都までは今日飛んだ距離の三倍か四倍くらいだって思えばいいのか?」
「たぶん、そんなもんじゃ無いか?」
「だとすると、二日くらい有れば屋敷に戻れるんじゃ無いか? 途中に高い山があるとか向かい風が強いとかじゃ無くて、特に迂回しなきゃ行けない場所も無いなら明後日には着くだろう。どっかで長く休憩したとしても、余裕を見て三日後の朝だな」
「その御兄様...」
「なんだい?」
「先ほどの手紙でお母様には、屋敷に戻らずにこのままパルミュナ御姉様とクレア御姉様の救援に向かうと告げました」
「は?」
「ですので、このままアプレイスさんと一緒に、三人でパルミュナ御姉様を顕現させる為に行動すると」
「まて」
「はい」
「戻るって言わなかったのか?」
シンシアは少し目を伏せる。
「最初は戻るつもりで手紙を書いていました。ですがよくよく考えてみたら戻ってもいたずらに日数を使うだけで意味は有りません」
「いや、シンシアだって姫様に無事な顔を見せたいだろう?」
「魔力吸収装置があっても、リンスワルド領の岩塩採掘孔や城の裏庭の井戸を掘り返していては間に合わないかも知れません。それにガルシリス城は御姉様に奔流を剥がされています」
「分かってるよシンシア、だから急ぐ為にはエルスカインが作ってる井戸を狙うしか無いんだ」
「御兄様は、また屋敷に私を置き去りにして出るつもりですか?」
「いや。そ、それは、ない。本当だ。そんなつもりはもう無い」
「でしたら、屋敷に戻っても意味がありません。私がお母様に元気な顔を見せたとしても、すぐにまた心配させる事になりますよ?」
「う...」
「聞いて下さい御兄様。ダンガ殿はまだ動けません。叔母様が一緒に残るとしても、レミンさんもダンガ殿を置いては出られないでしょう。アサム殿は一緒に来ようとするでしょうけれども、アサム殿一人ではレビリス殿とウェインス殿を守り切れないと思います」
「確かに厳しい」
「ではレビリス殿らを、足手まといだからと屋敷に置いて出ますか? 仮にお母様を同道させたところで、お母様も自分を守るのが精一杯でしょう。誰を連れてきても御兄様の守る対象が増えるだけです」
それは、シンシアの言う通りだ。
この状況で、俺に力を『足して』くれうる存在はシンシアと、新たな友人であるアプレイスしかいない。
「だったら、最初から屋敷に戻らない方がみんなが落ち着いた心持ちでいられるんです! 自分たちが力不足だった故に御兄様を一人で行かせてしまった...それを悔やむのは一度きりで十分ですっ!」
「シンシア...」
そうか・・・そうなんだな・・・
シンシアの目に決意が宿っている。
俺の後を追っていきなり転移してきたあの日の夜と同じ目だ。
シンシアのいう意味も分かる。
みんなが俺の事を案じてくれていると同時に、力になりたいと思ってくれているのだ。
リンスワルド城でいきなりレビリスが訪ねてきた日の事を思い出す。
ドラゴンを探しに行くって事を教えたら、レビリスは躊躇せずに同行すると言い切った。
ダンガたちも、他のみんなもだ・・・
「納得しろよライノ」
アプレイスが静かな声で言う。
「ライノとシンシア殿はただの兄妹じゃ無い。名コンビだよ」
「わかってる」
「俺もドラゴン族の名誉に賭けて、シンシア殿を守る為に命を賭けると誓う。それならライノも少しは安心して戦いに集中できるだろ?」
「ありがとうアプレイス。イザって時は頼んでいいか?」
「聞くまでも無いな!」
「二人ともありがとう...よし、じゃあ三人でこれからの計画を練ろう!」
「はい!」
「で、ライノにべらぼうな魔力があれば、ちっさくなっちまった大精霊を元に戻せる...と言っても、具体的にはどうすればいいんだ?」
「基本は、俺が自分の中に可能な限り沢山の魔力を貯め込んでおいて、以前に顕現していた時の姿を思い浮かべながら、ちびっ子になってるパルミュナに魔力を注ぎ込むんだ」
「じゃあライノ一人きりでやらなきゃダメって事か?」
「そうなるな。その時に、パルミュナが抱えているクレアの魂を一緒に載せる事に失敗したら、たぶんクレアの魂は肉体を離れて彷徨い出てしまう」
「どうなる?」
「そのまま消失するだろう。そもそもクレアは本当なら死んでいるんだ。輪廻の円環に戻れずに何年も現世を彷徨っていたところを、偶然パルミュナに見つけて貰って取り込まれたから存在できてる」
「どうもそっちは俺とシンシア殿が直接手伝える事は少なそうだな...とにかくライノが魔力を蓄える間、誰にも邪魔をさせないってのが大切だろう」
「レンツの作りかけ井戸か、高原の牧場の罠か、御兄様はどちらがいいと思いますか?」
「悩ましいところだけど、牧場かな」
「自分から罠に飛び込んでいくのか? なんでだ?」
「理由は...まずレンツの方は、エルスカインの井戸作りがまだ途中だから、どの程度の魔力が石碑の下に蓄えられているのかはっきりしない。街の中心にある広場の真ん中で、こっそり潜り込めるような場所じゃ無いんだ」
「その石碑とやらをぶっ壊して入るとなったら、あっという間に取り囲まれるな」
「しかも、取り囲んでくるのが全部敵だって言うならまだしも、事情を知らない街の住民達も混じってるんだ。迂闊に戦えないよ」
「それもそうか...」
「それに、アプレイスがその姿で広場に降り立ってみろ。それだけで街中がパニックだぞ」
「いや逆に人を追っ払うにはいいんじゃ無いか? それでも向かってくる奴は明らかに魔獣使いの手下だろう」
「そこで素早く魔力補充が出来るならな。そのまま一週間も浸かってるなんて話になったら目も当てられないだろ?」
「うーん、牧場の罠の方は、その心配が無いってことかい?」
「たぶん魔力井戸としてはほぼ完成状態に有ったと思う。そうでなかったら、レンツとの連携前には、大精霊が抗えないほどの力を転移門の罠に持たせる事が出来なかったはずだ」
「私もそう思います」
「どうしてだいシンシア殿?」
「顕現している大精霊を力尽くで取り込めたって言う事は、逆に御姉様の身体を再構築する程度の魔力が有るはずだと思いますから」
「ふむ、そう言う事か...」
「だから牧場を狙った方が、確実に魔力を手に入れられると思うんだ。もちろん、ドラゴン確保を狙って作ってある罠に自分たちから飛び込んでいくんだから、相当なリスクもあるけれどね」
「逆に人気の無い牧場なら俺がこの姿で暴れても問題ないな。イザって時に戦うにしても脱出するにしても周囲を気にしなくて済むだろ」
「ああ。だけど暴れるのは最終手段だよ。出来れば密やかに潜り込んで魔力を頂戴して、そのまま見つからずに脱出したい」
「それはそうだな...今回の目的はエルスカインを潰す事じゃなくて、ライノの妹達をもう一度顕現させる事だ。それが上手く行っても騒ぎになったら追っ手が掛かる可能性もある。俺がみんなを乗せて飛び去れば万事解決ってことならいいんだけど、その罠はなんかイヤな感じがするから用心した方がいいだろう」
「アプレイスさんの言う通りです。エルスカインの操る古代の魔法にはどんなモノがあるのか分かりません。私たちが予想していないモノが出てくる可能性は、まだまだ有ると思います」
その通りだな。
それにしてもシンシアが賢くて用心深いのは当然だけど、失礼ながらアプレイスがこれほど思慮深いとは意外だったぞ。
もっと『ガンガン行こうぜ』的な事を言うかと思っていたのに・・・
実は俺のドラゴンに対するイメージも先入観に囚われていたのかもしれない。