実験と休憩
「あー、ビックリした!」
「コッチのセリフだよ! お湯を沸かすだけだって言ってたのに、いきなり俺の背中になにを叩き込んでんだよ?」
「本当に鍋を温めようとしただけなんだってば。ただの熱魔法だよ」
「精霊の熱魔法って半端ないな...他のドラゴンのブレスを跳ね返す鱗なのに、熱が貫通してきたぞ?」
「うーん、そんなの全然意図してなかったんだけど...」
「御兄様、それはひょっとしたら鍋をアプレイスさんの鱗の上に直接置いたからかも知れませんね。それで金属的な鱗が鍋の一部のように認識されて、御兄様の手からアプレイスさんの身体全体に熱が直接注ぎ込まれたんだと思います」
「なにか? それって俺の身体全体が鍋にされかけてたって訳?」
「恐らく外から炎がぶつけられるのとは違って、アプレイスさんの鱗自体が中から高温になってしまった感じかと...」
「お茶を入れるとか言いつつ茹でドラゴン? しかも身体の内側から煮るとか、どんだけ凶悪な技なんだよ」
「悪かったよアプレイス。まさか、そういう風に熱が伝わるとは思ってなくてさ」
「勇者怖い」
「ご免って!!!」
そう言えば、最初に熱魔法を教わった時にパルミュナは、『冷めたスープを温めるレベルから、ドラゴンの鱗を溶かすレベルまで自由自在だよー!』だとか言ってたなあ。
こういう事だったのか?
まさか、うっかりドラゴンのスープを作りかけてしまうとは・・・
「鍋はこのまま俺が浮かせて抱えてるから、シンシアが茶葉を入れてくれるか?」
「はい」
シンシアが小箱の鏡から茶葉を取り出して鍋に振り入れると、すぐに芳しい香りが漂い始める。
「いい匂いだな」
「そう思うか? ドラゴンも味覚は人族に近いのかな?」
「かもしれん。ドラゴンはあまり食事ってモノを摂らないから、食事をするとなったら人の姿で気晴らしにって感じだし」
「そういうもんか? まあ魔力で生きてるって言うのは分かるけど、ドラゴン姿だと食事自体も必要無いのか」
「食事という行為は好きだよ。だけど魔力さえ補充できていれば食わなくても平気だ。って言うか、そもそも俺たちドラゴンが肉だけで腹を満たそうとしたら、そこら中の森から獣が消えるぜ?」
「あー確かに」
「強くて大きな生き物ほど数が少ないのは世の理だ。もしもドラゴンが人族ほども数が多くて、どんどん子供が増えていくような生き物なら、あっという間に奔流の魔力さえ吸い尽くされて枯れ果てるんじゃ無いのか?」
「そうだな...それぞれの種族の数が世のバランスって事か」
「ま、そんなもんだろ」
++++++++++
ゆっくりとお茶を飲んで一息入れた後、シンシアは再び分解した魔道具とにらめっこを始めた。
少し弄っては魔力を流し込んで眉をひそめ、また少し弄っては魔力を流し込んで落胆し、さらに少し弄っては魔力を流し込んで溜息を吐く。
その繰り返し。
エンドレス。
それが何周目か忘れるほど繰り返された時、不意にシンシアが『あっ』と小さく声を上げた。
「これ、こうかも...」
「お、なにか手応えが有ったのか?」
「この組み合わせだったら行けるかも知れません!」
「そうか、上手く行くといいな!」
「ですねっ!」
さっきまでしかめ面だったシンシアの表情がパッと明るくなる。
それからシンシアは魔法陣を改造した結界封じ込めの魔道具に、先に仕上げてあった精緻な鎖を繋いで一つのペンダントのように造り上げた。
「この鎖は、ただ首から提げておく為のものではなくて、鎖自体が周囲の薄い魔力を集める役目を持っているんです」
「へえー、それでそんな複雑な作りになってるのか...」
「はい。吸収できる魔力の量は、魔力の濃度と、魔力に触れている面積で左右されます。この鎖は構造を複雑にする事で、周囲の魔力に触れる面積を増やしているんです」
「なるほどなあ」
「言うなれば、この鎖は実は『紐』じゃ無くて、薄い魔力をかき集める為の『網』みたいな感じですね」
「網か、...小魚を集める魚網だな」
「そうですね。一瞬で魔力を補充できるような大魚を釣る代わりに、目に見えないほど小さな小魚を常に集め続ける...そういう網です!」
「お二人さん、丁度いい塩梅に奔流が濃いめに浮き出てる場所が見えてきたぞ。南北を山に挟まれた細長い森で見えてる範囲には集落も無さそうだし、降りてみるか?」
「おお、そうしよう」
「そうですね。少し空も暗くなってきましたし、その場所が安全だったら、そのまま夜を越しましょうか?」
「安全? 勇者とドラゴンと精霊魔法使いがいても危険って、逆にどんな場所だよ?」
「そこがエルスカインの手の上だったら十分に危険だと思うぞ?」
「んんん、そうか、そうなんだろうな。まあ周囲に変な気配が無いかは降りる前に十分に注意しよう」
「頼むぞアプレイス」
アプレイスが頭を下げて旋回しながら、ゆっくりと狙った場所に近づいていった。
俺には、それが森の中のどの辺りかはっきり分からないけれど、確かに森の見える範囲には集落も小径も見えない。
一人で過ごしている狩人や樵なら森の中にいるかも知れないけど、そろそも暗くなり始めている時間だ。
よほどの事情が無い限り、まだ森の中をうろついているとは考えにくいし、何処で夜を明かすとしても火を熾しているだろうが、見渡す限り立ち上る煙は見えない。
「よし、降りてみるとするよ。降りる前には不可視の結界は消すぞ。姿を見せておかないと、下にいる奴らとかを踏み潰してしまうからな」
「こんな奥地なら誰に見られてるってものでも無いだろう? 不可視結界は早めに消しても大丈夫じゃ無いか?」
「そうだな。ただ人の街とは訳が違うけど、無いとは言えないさ」
そう言ってアプレイスは、左右を山に挟まれた森の中心へ向けて一気に降下した。
その降りるというか落ちていくスピードは予想以上で、なかなかのスリルだ。
シンシアがさっと手を伸ばして俺の腕をガッシリ掴んだし、俺自身もダンガの背中に乗って崖を駆け下りた時の事を思い出したレベル・・・
さすがに地面にぶつかるんじゃ無いかと思いそうになった直後、アプレイスは速度を緩めて、ふわりと地上に降り立った。
着地のショックは全くなくて、まるでふかふかのクッションの上に降りたみたいなスムーズさだ。
「凄いなあアプレイス。地面に降り立った瞬間が分からなかったぞ」
「おう、これでも飛翔の技にはちょいと自信がある」
「そそそすなんですね」
シンシアがちょっと噛んでレミンちゃんみたいな口調になってるけど。
「さてと、ここなら奔流の魔力が滲み出てるし、魔道具の実験には丁度いいんじゃ無いか? 俺もここで一晩過ごせば、なにがしかの魔力は補充できそうだ」
「いい感じだな」
「うっすらと森全体に魔力が漂っている雰囲気ですけど、荒れた感じはしなくていいですね」
「よし、さっそく降りて実験してみよう」
乗った時と同じようにシンシアを横抱きに抱え上げて、アプレイスの背中から飛び降りる。
見た目に反して地面は固く、薄らと生えた雑草の下はほとんど岩盤のようだった。
この辺りの周囲だけに木が生えずに空き地のようになっているのは、この真っ黒な岩盤のせいか。
周囲はぐるりと巨木の並び立つ森に囲まれているが、ここだけ岩盤が盛り上がっているせいで、土壌に大きな木が根を張れるだけの厚みが無いのだ。
あと少し高く盛り上がっていたら岩山のようになっていただろう。
「で、実験は具体的にどういう風にすればいいんだシンシア?」
「このペンダントを首から提げて、じっとしていて下さい」
「じっとしてるだけ?」
「そうです。なにもしなくても、このペンダントの力だけで魔力を収集できるかどうかが肝ですから。封じてある魔法陣を動かす為に消費する御兄様の魔力よりも、結界の内側に閉じ込められる魔力のほうが多ければ成功です」
「そっか。どれぐらいじっとしていれば効果が分かるかな?」
「その場所の濃度に左右されるんですけど、ここは結構魔力が濃いですから、一、二刻もすれば違いが分かるんじゃ無いかと思います」
なにもせずに二刻じっとしているのは結構きついな・・・
「少しくらい動いても平気?」
「もちろん! ただ、この場所を出ずに過ごして、同時に魔力を消費するような事を控えて貰えれば大丈夫です」
「分かった、じゃあ食事の準備はシンシア...」
とまで言いかけて危うく言い換えた。
「の小箱に入っている料理で済まそうか。俺が革袋を使うと、僅かとは言え魔力を消費しちゃうからな!」
「あ、そうですよね! 私の小箱から何か出します」
セーフだ。