魔銀とお茶
「それで、何か準備は必要かシンシア? いるものとか...革袋に入ってるもので蒸留に役に立ちそうなモノとか無いかな?」
「そうですね...物質では無く魔力を扱うのですから普通の容れ物では...御姉様と一緒に『結界隠し』の魔道具を作る時に使った魔銀のインゴットは、まだ残っていますか?」
「たっぷりあるよ。姫様ったら、ちょっと魔銀が欲しいと言ったらとんでもない量を手配したからな!」
「お母様らしいですね...」
「ん、その『姫様』って言う人がシンシア殿の母君なのか?」
「ええ。御兄様達はみなさん、私のお母様の事を『姫様』という渾名で呼んでいますので」
「そりゃ洒落た渾名だな。きっとシンシア殿の母君も魔法使いなんだろうけど、上品そうに感じるよ」
「渾名だけど、本来の立場の事でもあるんだよアプレイス」
「は?」
「俺たちの仲間内は渾名として姫様って呼ぶけど、周囲の人々は本来の意味で姫様と呼ぶ。なぜなら本当に姫様と呼ばれる立場だからだ」
「それどういう...」
「いえ御兄様、実際にお母様が『姫様』と呼ばれてしかるべきだったのは、私が生まれる前の事というか、お母様ご自身が爵位を継承する前の話じゃ無いでしょうか?」
「そんな厳密な話じゃ無いんじゃないかな?」
「おい、爵位って?」
「だからシンシアの母親は本当にお姫様なんだよ。正確に言うとミルシュラント公国の大貴族でリンスワルド伯爵家の当主その人だ」
「マジかよ...」
あ、アプレイスにも伝染ったな、この言葉遣い・・・
恐ろしく伝染性の高い単語だ。
「いや、そうなるとシンシア殿だって姫様じゃ無いのか? 人族の場合、母君が貴族家のご当主だって言うなら、むしろ娘であるシンシア殿こそ『お姫様』だろ!」
「まあそうだ」
「まあって...人族は王とか貴族とか、そういう階級とか上下関係に凄くうるさいって聞いてたぞ。意外とそうでも無いのか?」
「ウルサい人は嫌になるくらいウルサいよ。だけどシンシアの家、リンスワルド家はそうじゃないってだけだ」
「そもそも御兄様は勇者ですよアプレイスさん? 人の世の階級や立場など、御兄様の前ではなんの意味も持ちません」
「なるほどねぇ...大貴族のお姫様が魔法使いの格好をして勇者の妹になってるとは...世の中分からん」
「だから縁は面白いんだ」
「違いない...まさかホンモノのお姫様を背中に乗せて飛ぶ日が来るとはな!」
「それで御兄様、魔銀のインゴットを幾つかと、結界隠しの予備を下さい」
「わかった」
「アプレイスさん、あなたの背中の上で魔法を使っても問題ありませんか?」
「背骨に石つぶてを撃ち込むとかで無ければ」
「アプレイスさん?...」
俺が革袋から魔銀と魔道具を出していると、シンシアがジト目でアプレイスの後頭部を睨んだ。
「えっとまあ、大丈夫だよ。俺の翼の端と端の間はまるっと結界に包まれてる。こいつは言うなれば防護結界を内と外の両向きに作用させたみたいなモノで、外からの攻撃や視線も防ぐけど、結界の内側のモノや力が外に出る事も防ぐ。俺の翼の内側にいる間は、宙に浮かんでられると思ってもいいさ」
「あれ? じゃあアプレイスさんは私たちと戦った時には防護結界を張っていなかったんですか? どうしてです?」
「ちゃんと張ってたよ! だけど石つぶてが俺の防護結界を突き抜けてきたの! 初弾から口の奥にぶち込まれるとか想定外だったし、ライノの刀でザックリ削られたし! 言わせないでくれよ」
「ごめんなさい。追求するつもりでは...」
やはりシンシアの好奇心は時に鋭い刃物だ・・・
「で、シンシア殿は俺の背中でなにをやるの?」
「魔銀の加工と、以前に作った魔道具の改造です」
「そんな程度ならなにも気にしなくていいよ」
「はい、ありがとうございます」
「シンシア、結界隠しの魔道具を改造するってなにをやるんだ?」
「この魔道具は精霊魔法の魔力が、範囲を定めた空間から外に溢れ出ないようにするものです。つまり魔力を内側に閉じ込めるんですけど、逆に外から入ってくるモノはなにも拒みません。物質でも、光や音でも、魔力でも」
「お?」
「つまり、この魔道具を上手く調整すれば、外から入ってくる魔力は中に素通しするけれども、一度中に入った魔力は外に逃さない。そういう魔道具に変えられるのでは無いかと...」
「お、おおおぉ...」
「それが上手く行けば、これは魔力を集める道具になります。周囲の薄い魔力を飲み込んで、どんどん濃縮していく...言うなれば魔力の蒸留器です!」
「凄いぞシンシアっ!」
「でも、まだ上手く行くかどうかは...考え通りに動くかどうかはやってみないと分かりません。これって本来は精霊魔法だけを対象にしている魔道具ですから、それを天然の魔力を扱えるモノに改造しないと行けないですし...」
「それもそうか」
「魔法陣に刻み込んである精霊魔法の修正もパルミュナ御姉様だったらすぐに出来ると思いますけど、私一人でやれるかどうか...」
「いやシンシアなら出来るさ。それにともかく素晴らしいアイデアだと思うよ!」
「そうですか?」
「ああ。それに、俺が言うのもなんだけど、急ごしらえならダメで元々なんだ。とにかく試してみようじゃ無いか?」
「そうですね!」
シンシアは明るく返事をして手の中で魔銀のインゴットを溶かし始めた。
彼女の細い指がたおやかに動く度に、その手元から細い魔銀の鎖が紡ぎ出されて長く伸びていく。
美しく、そして器用な手つきだ。
最初はペンダントをぶら下げるようなただの鎖を作っているのかと思って眺めていたけど、シンシアは何度も動作を繰り返して、細く細く紡ぎ出した鎖を更に何本も束ねるように撚って絡め合わせ、複雑に凹凸を持つ一本の鎖に仕上げた。
「ちょっと見せて貰っていいか」
「はい、どうぞ」
シンシアの手から鎖を受け取り、まじまじと眺めてみる。
一見すると俺が破邪の印を下げていたような太めの鎖に見えるけど、実は髪の毛のように細い鎖が繊細に絡み合っている。
魔道具と言うよりも、工芸品、装飾品として目を瞠るような造りだ。
「シンシアって凄いなあ...貴族向けの装飾品を作る職人になったら王都一の評判になりそうだよ」
「え、そうですか? 嬉しいです!」
アプレイスが顔をこちらに向けて、俺の手の中にある鎖を横目で見つめる。
「だけどシンシア殿は逆に、その装飾品をポンと買う方の立場なんだろ?」
「まあな。でも自分の付ける装飾品を自分で作れるってのも凄いよな? 貴族的にはどうなんだろ?」
「いや、そもそもシンシア殿ってそのままで美しいから、さらに宝石で飾る必要なんてないと思わないかライノ?」
「だよなだよな!」
「もうっ、二人ともからかわないで下さい!」
「からかってない!!」
おぉう、俺とアプレイスがハモった。
「知りません!」
なんだかシンシアの顔がちょっと赤いな。
頬を染めたシンシアは、結界隠しの魔道具を手に取って蓋を開いた。
魔銀で整形された小さな円盤の内側には、精霊文字でびっしりと魔法陣が書き込まれている。
間近に目を近づけなければ読み取れないほど小さな文字だ。
破邪の下げている『印』みたいな身分証明アイテムに魔銀が使われている理由は、いったん魔法で溶かして型に流し込むと、それを行った術者じゃないと複製も改変も出来ないからだ。
同じ事は魔法陣にも言える訳で、魔銀を鋳溶かして描いた魔法陣は、その作者以外には改変できない。
この結界隠しの道具を作る時にパルミュナがシンシアを誘って一緒に作業したのは、後々の事とかを考えてシンシアに技を伝授する為だったんだろう。
パルミュナめ、なにげに深く考えていたな。
しかも量産作業は、ほとんどシンシアに任せっきりだったから、今こうやってシンシアが自分の手で改造も出来る・・・
あれ?
実は面倒な作業をシンシアに任せて楽してただけって事は無いよな?
でもパルミュナだもんな・・・どうかな・・・
「やっぱり難しいですね御兄様。なんとかなりそうな気はしてるんですけど...」
「ちょっと休憩しろよ。あまり長時間集中しすぎても良くない」
「はい、一休みします」
「何か飲むかシンシア?」
「そうですね、たしかに喉が渇きました」
「あー、でもいまはエールやワインって感じでも無いか...なあアプレイス、ここでお茶を沸かすような事をしても大丈夫かな?」
「は? 湯を沸かすって事か?」
「そうだ」
「そんなもん平気に決まってるだろ。背中の鱗の上で直接焚き火をされてもどうって事無いぞ?」
「だったら助かる。俺も喉が渇いたしお茶を入れよう」
革袋から例の鍋を出して小鍋のほうをアプレイスの背中に置かせてもらい、中に精霊の水を注いで両手で抱え込んだ。
手の平に熱魔法を発生させて加熱する事少々、二人分のお茶なんて量が少ないからあっという間に沸騰するはず・・・
「ああちゃっ、あ熱っ、熱い熱い! 何やってんだライノ! 焼ける焼けるってば! おい止めてくれよ!」
突然アプレイスが悲鳴を上げてビックリした。
咄嗟に鍋を空中に持ち上げてアプレイスの鱗から離す。
「ええっ! いや、ホントに鍋でお湯を沸かしてただけだぞ?」
あれ?
鍋の当たっていたところの鱗が少し赤くなってる?




