知恵の発祥
「井戸に溜まってる水を釣瓶で汲み上げるみたいに、精霊魔法のつるべで魔力を汲み上げるとかって訳には行かないかなあ?」
「俺も釣瓶は知ってるぞライノ。ロープを結んだ桶で深いところの水を汲み上げる道具だろう?」
「ああ。井戸とか谷底とかから水を汲むのに使う奴だ」
「そんな風に魔力を汲み上げる道具か。でも魔力を『溜める』とか『汲む』って、どんな容れ物なら出来るんだ?」
「さあ? そう言うモノがあればいいなって思っただけだ」
「なんだ空想かよ」
「試した事の無い話なんだから想像するしか無いよ」
「そりゃごもっとも...まあ俺たちドラゴンはあんまり道具を使わないからな。自分の身体でも魔法でも済まない面倒事には、そもそも手を出そうって言う気持ちが無いし」
「でも、アプレイスも最初に俺たちに会いに来た時は人の格好をしてただろ。あの姿で過ごす時には色々な道具とか使うんじゃ無いのか?」
「いや。普通なら、あの姿を取るのは考え事をしたい時だ。じっと座って物思いに耽る時が多いから、あの姿でなにかしようって思ったりしないよ。服を着てる風にするのは単に『人の真似』をしてるだけだし、それこそ魔法で片付かない事が出てくれば本来のドラゴンの姿に戻るだけだからな」
「あの、アプレイスさん。差し支えなければ教えて欲しいのですけど、どうして考え事をする時に人の姿になるのですか?」
お、シンシアの好奇心が再び頭をもたげてきたな?
「ああ、単純にその方が頭が良く回るって言うか、深く考えられるって言うか...人族みたいな思考が出来るからだな。別に、このドラゴン姿でも不自由は無いけど、人族姿のほうが落ち着いて考え事に集中できるんだ」
「そうなんですか。取っている姿で頭の使いようが変わるなんて面白いですね!」
「そうか? ドラゴンだって大精霊だって似たようなもんだと思うけどな? まあエルフ族は人の姿以外の貌が無いからそう思うのか...」
「それって、どういう意味ですか?」
「ん? 大精霊だって人のように考えたいから人の姿を真似するだろ?」
「えっ?」
「え?」
「アプレイス、大精霊が人の姿を取るのは人と会話する為だろ? 人族と会ってない時ならどんな格好をしていたって構わないんじゃ無いのか?」
「...それじゃあライノは、大精霊が『人族』じゃ無い姿をしているところを見た事があるのか?」
「いまパルミュナはちびっ子の姿になってるけど...これは好きでなってる姿じゃ無いから関係ないか。って言うか、俺に会う時は人の姿になって出てくるんだから、普通、それ以外の姿なんて見た事ある訳が無いよ」
「わざわざ人の姿に、か?」
「そうだろ? 精霊界で人の姿をしてる必要は無さそうだし」
「違うなライノ」
「え?」
「どうしてドラゴンが人化するか、それは頭をよく使いたい時だ。まあ今朝は単純にライノやシンシア殿と会話する為に人の姿になったけど、一人きりでも考え事をしたい時には人族の姿を取ったりする」
「俺的には、それも面白いと思うけどな」
「大精霊だって同じなんだよライノ。なぜ人の貌を取ろうとするのかって言えば、別に人と会話する為だけじゃ無いんだ。人族姿のほうが思考が深まるからだ」
「ん、理屈が分からん」
「そもそも...大精霊もドラゴンも人から知恵を得たからだよ」
「はあぁっ?!」
「えっ、アプレイスさん、それってどういう意味なんですか?!」
「どうもなにも、そのままの意味だ。いいか、ドラゴン族は古い種族だ。だから原初の頃の記憶や伝承もかすかに残ってる。人族が生まれる以前、まだ猿の魔獣がただのちょっと強い猿に過ぎなかった頃には、大精霊は現世に出てきてなかった」
「いや、いやいやいやいや。何言ってるんだアプレイス。人族のほうが大精霊より古いって言うのか?」
「そうだ。少なくとも人の姿をしてる大精霊よりはな」
「あ、それはつまり、人族が生まれる前は人族って『姿』が無かったってことでしょうか?」
「そうだよシンシア殿」
「ああ、なるほどな。まあ『形』って言うんならそうなるか...人族がいないなら人族の姿を真似て会話する必要も無いって言うか、そもそも会話の相手がいないって言うか...」
「違う。そうだけど、そうじゃない。ライノはまだ意味が分かってないと思う。知恵を付けたのは大精霊よりもドラゴンよりも『人のほうが先』ってことなんだ」
「は、待て...わからん」
「えぇっとアプレイスさん...大昔は、大精霊が人の姿をしていなかった、という意味じゃ無くて、人のように考えて振る舞う大精霊という存在がいなかった、という意味ですか?」
「そうだ」
「それで、人族よりも後から知恵を付けた精霊が現れて、それが大精霊になった、とか...?」
「その通りだよシンシア殿」
「猿の魔獣が人族に変わっていった時に...理由は分かりませんけど、他の魔獣と違って魔力を筋力とか魔法とかじゃ無くて、考える力に変える事が出来たんですよね? だったら、その始まりが大精霊やドラゴン族が知恵を付けるより早かったってことになるんですか?」
「さすがシンシア殿は賢いな!」
「いや、まさか...」
「すると人族は大精霊から知恵を授かった訳じゃ無かったんですか...」
「その逆だ。大精霊は...その頃はまだ、物凄く強い力を蓄えてる精霊だったけど、そいつらは人族の先祖と触れ合って、初めて『知恵』とか『思考』っていう概念をその身に取り込んだんだ」
「概念を?」
「そうだ。それ以前の、ただ飛び抜けて強いだけの精霊には『考える』という力は無かったのさ。人と触れ合って人の持つ『考える』という概念を吸収して、初めて精霊たちは考える力を身につけた。そして生まれたのが大精霊たちだ」
「ちょっと...さすがに予想外です」
「だから、大精霊が人の姿を取っているのは『人の真似』なんだ。人と同じように、深く広く思考する為に最適な姿だからなんだよ。だって思考するって行為の始まりがその姿だったんだからな?」
「マジで! まさかの逆とは...」
「ドラゴン族も似たようなもんさ。ドラゴン族の始まりは良く分かってないけど、他の魔獣よりは古いと言われている。中にはドラゴンが原初の生物だって言う奴もいる。本当かどうか俺は知らないけど」
「ええ、私もドラゴンの起源は誰も知らないと聞きました」
「まあな。ただ、ドラゴンが人の姿をとるのは、さっきも言ったように考え事をする為の必然で、この『竜』とも呼ばれる姿とは別の意味で、ドラゴン族にとって『人』の姿は自然な貌でもある。いわば第二の自分みたいなモンだ」
「そうなのか...」
「トリ頭のグリフォンやトカゲ頭のワイバーンは人の姿にはなれないだろ? 言っちゃあ悪いが、あいつらはドラゴンと違ってそこまでの思考力が無いんだ」
口が悪いなアプレイス!
いや、俺も人の事は言えないか・・・戦う事になった時はアプレイスを心の中でトカゲ頭なんて呼んだりしたもんな。
「それにドラゴンも最初は知恵なんか持ってなくて、ただ強い力を持ってるだけだったそうだからな。それが、どういう経緯があったのかは知らないけど、人族と出会って知恵という概念の存在を知り、その身に取り込んだ」
「マジかよ...大精霊もドラゴンも人に影響を受けていたとはなあ」
あの泉で始めて『大精霊』という存在に出会った時、妙に人間くさいというか、わざと人間を演じている風に感じたけど、あれは、その印象のままだったんだな。
「だからな、『知恵』とか『思考』というモノの始まりは人族からなんだ。お前たちがどう思っていようと、大精霊にとってもドラゴンにとっても、人族が知恵の源泉なんだよ。逆じゃ無い」
「なんだか...物凄く意外でした...」
「俺もそう思うよ」
「もちろん私も御兄様もアプレイスさんの言葉を疑う訳じゃ無いんですけど、これまでなんとなく思ってた事と真逆で...まさかって感じの話です」
「それも不思議だよなあライノ。人族が知恵の発祥なのに、その人族が自分たち自身の出自って言うか原初を一番覚えてないなんてさ」
「言われてみるとそうだな。人族の多くは自分たちの先祖が猿の魔獣だって事も知らないし、実は俺も大精霊に教えられるまで知らなかった。それに人族がどういう風に枝分かれしていったかも良く分かってないし」
ダンガたちアンスロープ族や、その対でもあるエルセリア族のように出自の特殊な種族は別として、エルフ族、人間族、ドワーフ族、コリガン族等々といった沢山の種族の違いが、いつ、何処で、なぜ生じたのかについては様々な議論があるらしいけど、真相は謎のままだ。
俺は、自分自身がハーフエルフだと言う事を知らずに育ったことを奇妙に感じていたけれど、人族は皆、自分の出自を知らないって意味では似たり寄ったりなのかも知れない。




