竜の背中で座談会
アプレイスの背中の上から眺めると北部大山脈の全貌が見渡せた。
さっきまで俺たちがいた山もそうだけど、もうすぐ夏だというのに頂には白い雪を纏っていて、地平線まで続く山稜が白く尖った鋸の歯か巨大な鱗のようにも見える。
こういう一列に並んで尖った鱗を持ってる動物っていたよなあ・・・なんだっけ?
まあ、いま座っているアプレイスの背中だってそんな感じか。
背中が平坦では無くデコボコがあるお陰で、逆にちょっと腰を乗せる窪みと手で掴んでおく出っ張りがあって、心理的な安定感がある。
俺は革袋からクッションを出してシンシアに渡し、自分も一つを尻の下に敷いた。
「あー...ところでアプレイス、ちょっと相談があるんだけど?」
「相談ってなんだよ? 業務命令外って意味か?」
「まあ、そんな感じだな。だからこれは強制じゃないし、気が向かなければ無視して構わないってことだ」
「変な命令だな!」
「だから命令じゃ無いんだってば」
「いいから言ってくれよ。それに従うかどうかを俺に決めろって言うのなら、そうするからさ」
「じゃあ言っておくよ。いまじゃ無くて、いつか、そういう気持ちになれたらって事でいい。俺はアプレイスと友達になりたい」
「は?」
「アプレイスには僕じゃ無くって、友人になって欲しいんだ」
「俺をクビにするって意味か? ライノから僕をクビになったら俺は姉上に鱗を剥がれるんだが?」
「そういう意味じゃ無いよ...ドラゴン族は人族と仲良くなれないかな? そうじゃないなら、俺はいつかお前と友達になりたいよ」
「なんでだよ?」
「追々分かる」
「ふーん、妙な事を言うもんだ...なら、これは命令じゃ無いってことで心に留めておくとする」
「それでいい」
「あの、アプレイスさん、私もアプレイスさんと友達になりたいです!」
うんうん、シンシアだってそうだよね!
「無論、シンシア殿は紛う事なき終生の友であり伴侶だ。俺に出来る事ならいつでもなんなりと言って欲しいと思う」
「おい!」
「なんだよ?」
「お前、さっきから俺とシンシアで随分態度が違うくないか? って言うか、ずっとその態度で使い分けていく気か?」
「むしろ、それが当然だと思うんだが?」
「...良い度胸だなアプレイス。俺がシンシアの兄だって事を忘れかけているようだけど?」
「いや決してそんな事は無いぞ、義兄上どの!」
「誰がお前の義兄だ! ライノと呼べって言っただろ」
「少し展開を端折った」
「少しじゃ無い。永遠に来ない未来を仮定するのは端折るとは言わん!」
「くっ、氷のように冷たい義兄だな!」
「やかましいわ。今度シンシアの事を伴侶とか言ったらぶっ飛ばす」
シンシアが目を丸くしているけど口は挟まない。
まあ、俺とアプレイスが互いにじゃれ合っている事は分かるんだろう。
ただし十三歳のシンシアに向かっての伴侶発言はちょっと逸脱しているので、今度言ったら本当にぶっ飛ばす。
++++++++++
白く尖った鋸の歯を後ろに置いて、アプレイスが物凄いスピードで飛んでいく。
もしも結界の中で守られていなかったら風圧で吹き飛ばされているだろう。
緩やかな傾斜になっていた大山脈の麓をあっという間に過ぎ、俺とシンシアが魔獣の大群に襲われた森へ差しかかかる。
この先には高原の牧場があって、そこからちょうど南西に進めばレンツの真上を通り過ぎるはずだ。
「なあアプレイス、ひょっとしていま、割と奔流からの魔力を濃く感じるコースを飛んで来ていないか?」
「ん? 確かにそうだな...無意識だったが」
「やっぱりな...ドラゴンの移動は道や地形に左右されない。奔流が濃く滲み出ているところを無意識に辿って飛べば、自然とあの牧場に行き当たるって訳だ」
「ドラゴンを捕らえる罠が張ってある場所か?」
「そうだ。その近くを飛んでるときに、奔流からの魔力が溜まってボコボコ湧き出してる場所を眼下に見つけたらどうする?」
「そりゃ降りてみるよな」
「で、湧き出す魔力に惹かれて降り立ったところには転移門があって、地面に立ったと思ったら、そのまま吸い込まれるって寸法だ」
「えげつないな...」
「いやいや、エルスカインのえげつなさはそんな程度じゃ済まないぞ?」
「しっかしなぁ...俺が自分で言うのもなんだけど痩せても枯れてもドラゴンだ。異変に気が付いたら当然そこから全力で出ようとするだろうし、それを引っ張り込めるもんなのか?」
「エルスカインは無駄な事はしないよ。奴がそう言う事をしてるって事は、成功させる目算がちゃんとあるって事だ。なにしろ顕現していた大精霊でさえ罠に引き込まれたからな」
「なんだと?」
「俺は現世に肉体を顕現させていた大精霊と一緒にそこを訪れていてな...罠が発動した時に、彼女は俺を罠から押し出す事だけで精一杯だったよ。で、俺の身代わりに吸い込まれたんだ」
「そうだったのか...それはまあ、その、お気の毒に...」
「死んではいないから大丈夫だ。いまもここにいる」
俺がそう言って革袋を軽く叩くと、アプレイスはまたこちらに顔を傾けた。
「いや、どういう意味だ?」
「まあ後でちゃんと説明するよ。それよりもコースを変えておかないか? 幾ら不可視の結界を張ってあると言っても、相手はドラゴンを支配しようと企むほどの魔法使いだ。万が一にも見られたくはないからな」
「そうだな、用心しておくか」
アプレイスはそう言って身体を僅かに傾けた。
すっと前方の地平線が斜めになり、周囲に見えている空と大地の比率が変化する。
しばらくそのまま進んでから、再び水平に身体を戻した。
「これで西向きに逸れたから大丈夫だろう。さっきシンシア殿が見せてくれた結界の範囲から外に離れる方向に進んでる」
「はい」
シンシアは手の平に方位を見る魔法陣を出した。
いまは魔法陣の色が白いから、ツノは屋敷の方向を指しているはずだ。
「アプレイスさん、もう少し西に向けば私たちが向かっている屋敷に真っ直ぐ向かうコースになります」
「え、どうして分かるんだ?」
「方位を調べる魔法を作ったんです。これを使えば何処にいても、御兄様の屋敷の方向や東西南北の向きがわかるんです」
「へえー、シンシア殿って凄いな!」
「もちろんだ、自慢の妹だからな! ちなみにシンシアもアプレイスのブレスを弾けるぞ。石つぶても練習してないだけで、本気になれば俺のより強力かもしれんから怒らせないようにな?」
「脅さないでくれ! あれより強力ってどんだけだよ...」
アプレイスが情け無さそうな声を上げてみせる。
こういうノリのやり取りに、ちゃんと乗ってくるところもアプレイスの良いところだな。
最初は粗雑な奴かと思ったけど、あれは彼なりに戦いに向けてのテンションを上げていたのかも知れない。
知り合ってしまえば気さくな奴だと思える。
「ところで石つぶてと言えば傷はもう大丈夫なのか? 見た目は塞がっている感じだけど、中にダメージが残ってたりはしてないか?」
「ああ、傷自体は完全に塞がってるし、もう何処にも痛みは無いよ」
「凄いな! 元々のドラゴンならではの快復力なのか、エスメトリスの回復魔法の力なのかは知らないけど」
「そこはやっぱり姉上の魔法だからだな...だけどなあ...姉上のかける回復って、大抵の傷は瞬時に、しかも綺麗に治るけど、その代わりに滅茶苦茶に痛いんだよ!」
「えぇっ、回復魔法が痛いのかよ?」
「喩えるとなあ...仮に、その怪我が治るのに普通は一週間掛かるとするだろ? それが姉上に回復を掛けられると数瞬で傷口が塞がるけど、その代わりに、本来だったら一週間の間ずっとジクジク受けてる鈍痛がな、全部まとめて一発で来る感じなんだ」
「それは...怖いな」
「ああ、もう逆に痛さで死ぬかと思うぐらいだ。ドラゴンじゃ無くて人族だったらショックで本当に死ぬんじゃ無いか?」
アプレイスが呻き声を上げていた理由が納得だ。
エスメトリスもそれが分かっていて、アプレイスが逃げたり暴れたりしないように抑え込んでいたんだろう。
「だから姉上と一緒にいた頃は、暴れて怪我をしても姉上に見つからないように必死で隠してたな。とにかく見つかると問答無用で回復を掛けられるから」
「ある意味では怪我そのものよりキツイ気がする...」
「まあさっきみたいに半分死にかけてたら仕方ないって思うけど、少々酷い傷でも姉上に回復されるよりも、ゆっくり自然治癒した方が楽だって思うからな? 痛みをこらえて寝てる方が一気に回復されるよりマシだ」
エスメトリスよ、あんたの弟は回復魔法がちょっとしたトラウマになってるっぽいぞ・・・