山腹へ向けて
馬車から徒歩に切り替えて二日目にはとうとう道跡が途絶えた。
道の無い深い森の中というのは本当に歩きづらい。
おとぎ話のように子供達がキノコ狩りやピクニックに行ける森っていうのは、ある程度の手入れがされている集落近隣の『明るい森』だけで、人跡未踏っていう場所になると、張り出した木の根や生い茂る下草に邪魔されて足運びさえ難儀だ。
こうなると森の中を直進すること自体が困難で、普通なら道迷いの原因になる獣道が、むしろ辿りやすいコースにさえなって来る。
シンシアの開発した方位魔法で進む向きを確認しつつ、地図に描かれている山並みの形と位置を頼りに自分たちの居場所を推測しながら歩いて行くしか無い。
「シンシアが発明した方位魔法があって、ホントに助かったよ」
「そうですか? だったら良かったです」
「いやあ実際に使ってみると、霧や木々に遮られて周りが見えない場所でも進んでる方向が分かるって言うのは凄いことだよ。これが無かったら無駄な遠回りを沢山してただろうと思う」
「この前の話ではありませんけど、こんなにデコボコしてる場所では人にクセが無くても真っ直ぐに進めませんものね!」
そんなこんなで方位魔法に助けられながら、『三番目に高い山』を目指して二人でひたすら進んでいく。
やがて森を抜け出ると同時に、斜面の角度が少しずつ迫り上がり出し、ある時から周囲に大きな木が見えなくなった。
いま周囲に生えているのは背の低い小ぶりな木々だけで、それが密集してこんもりと茂っている様子を見ると、もう今以上に背丈を伸ばすことは無い種類の木なんだろう。
「シンシア、足下はまだ大丈夫か?」
「はい、このくらいはなんともありません。靴もしっかりしたモノを履いてきていますから」
まだ急斜面と言うほどでは無いけど、時々休憩して後ろを振り返ると、さっき通ってきた場所が遙か足下に見え、進むに連れて高度が上がっていくことが実感できる。
背の高い木々が消えた事で、背後の見通しだけは良くなったな・・・
代わりにゴツゴツした大きな岩がそこかしこに突き出ているから、先に待ち伏せされると厄介な場所だけど。
しばらく登った後、斜面の大岩の上に座って休憩していると、シンシアが小箱から細紐を取り出して杖に結びつけ始めた。
「どうして紐を?」
「杖を落とさないようにです。この先はもっと足場も悪くなってくると思いますから、両手で岩にしがみつきたくなるような場所だって有るかも知れません」
「そういう時は、小箱に収納してしまえばいいんじゃ?」
「えっと...不安定な場所でポーチから小箱を出したくないんです。もしも取り落としてしまったらと、とても不安なので...」
言われてみると、砂糖菓子がバラバラと崖から落ちていくシーンが脳裏に浮かぶ。
菓子だけならともかく箱ごとはキツイ。
アスワンは新しい箱を造ってくれるかも知れないけど、シンシアが中に入れた、恐らく本人にとって大切なモノは失われる訳だからな。
「なるほどな。でも、逆にその紐を足や岩に引っ掛からせて転んだりしないようにね。杖は何度でも作り直せるんだから」
「そうですね...」
「咄嗟に杖を手放したい時は、小箱を出さなくても俺の革袋に突っ込めばいいさ。俺の革袋はシンシアにも使えるんだから」
「あ、そうですね! その時には是非お願いします!」
「うん、いつでも好きに使っていいから」
革袋への出し入れには魔力を使うけど、いったん入れたものを運ぶことには魔力を消費しないから、シンシアの魔力量なら大抵のモノが放り込めるだろうし、それは俺にとって全く負担にならないからね。
++++++++++
その後、一日掛けてひたすら登り続けた山道は高度を増し、たまに振り返って見ると『下界』と呼びたくなる眺望が眼下に広がるようになった。
ここまでの足下はなんとか『歩ける』状態だったけど、見上げる山並みはどんどん鋭角になってきていて、明日には両手両足を使って『よじ登る』という箇所が出てきそうだ・・・
そうなってくるとシンシアに同行させるのは厳しい。
なぜかって言うと、そう言う難所は『登る』だけならまだしも、『降りる』というのが極端に難しいから。
登る時は自分のすぐ上を目で確認しながら手掛かり足がかりを見つけていけるけれど、降りる時はそうも行かない。
ほとんど足先で探るようにして体重を乗せる場所を見つけていかなければならないし、見えていない場所に身体を預けるのだから、踏み外したり足場が急に崩れたりと言ったことにも対応しにくいからね。
実際、山越えしようとして途中で道を間違えたことに気が付き、引き返そうとしたらもう降りられなくなっていて、そのまま遭難してしまうという話も珍しくないんだよな。
「夏場の北の山は歩きやすい代わりに難所が多そうだな。この先は斜面も急になってくるだろうし、ドラゴンを探してウロウロするにしても移動できる場所が限られるだろう。シンシアも足下には十分に注意してくれよ」
「はい、気を付けます。ですが、これでも北方の山のほうが歩きやすいのですか?」
「冬場は雪と氷に閉ざされるから、そもそも高い場所に登ることが論外って言うか夏場限定の話だけど、やっぱり北方の山は木って言うか植物が全体に少なくて背も低いし、岩がゴロゴロしてる場所だらけって印象かな?」
「植物は暖かい方が育ちますよね」
「うん。一年中が暑い南方大陸の山なんかじゃ蔦の絡まる密林が続いていて、むしろ進みにくいんだよ。場所によっては刀で蔦や草木を切り開きながらじゃ無いと、人が通る隙間さえ作れなかったりするんだ」
「へえ、南方大陸も一度行ってみたいですね。それと、レミンさん達の故郷がある南部大森林も行ってみたいです」
「ああ、ウェインスさんも行きたがってたし、いつかみんなで行けるといいなあ」
「ですね!」
切っ掛けがあるとたまにそんな会話を交わしはするものの、後は喋らず黙々と登り続ける。
ドラゴンキャラバンに出て以来、以前に比べれば見違えるほど快活になってきたと思うシンシアも、さすがにこの傾斜を登りながらでは口数が少ない。
むしろ、その華奢な身体でここまで一緒に登って来れていることが驚きだな。
シンシアの負担にならないよう歩くスピードをセーブしているとは言っても結構な運動量だと思うんだけど、未だそれほど息苦しい様子もない。
やはり姫様と同じく保有魔力量が桁違いに多いことで体力や筋力が底上げされているんだろうね。
それでも登ること自体がキツいような地形になってきた時には、俺がシンシアを背中に括り付けて、おんぶしたまま進むことも出来るんだけどな・・・
万が一、その先でシンシアが一人で戻る必要が出た時に、無事に降りられるだろうか?
・・・そう考えると無茶して登っていくのは気が引ける。
いやいや、あまり不吉なことは考えないようにするべきだよな!
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山腹を登るに連れて更に傾斜はきつく、足場も悪くなってきた。
登る前によくよくルートを見極めて、重なり合う大岩の隙間を縫うように登っていくけれど、それでも這うような速度でしか進めない。
後戻りも難しくなり始めているし、そろそろシンシアに撤退を指示するか、このまま最後まで・・・それこそ俺が背中に担いででも・・・一緒に来て貰うか決めなければいけない瞬間が迫ってきている。
今日はそろそろ行動するのを止めて夜明かしの準備をしなければいけない頃合いだけど、シャッセル兵団から貰ってきている小型の幕舎でさえも、きちんと張れるような平らな地面がこの先で見つかるかどうかは怪しいところだ。
まあ魔力は二人ともたっぷり回復しているし、よほどの悪天候にでも遭遇しなければ凍えて困るってことは無いだろうけどね。
「シンシア、今日はこの辺りで夜明かしのしやすそうな場所でも探そうか」
「そうですね。少しでも薄暗くなると足下が危ないですし」
「だな。できれば風を防げる岩陰か、岩の庇が張り出しているような場所でも見つかるといいんだけど」
それから半刻ほど周囲を調べて、ようやく居心地の良さそうな隙間を見つけることが出来た。
言葉通り、岩と岩の隙間。
重なり合った岩の一部が少しばかり頭上に出っ張っていて安心感がある。
二人で横になれるほどの広さは無いけど、背後の岩肌にいい感じで寄りかかる事が出来るから、なんとか安眠出来るだろう。