馬車を降りて森の中へ
シンシアが来て三日後には、手紙箱が使えなくなった。
もっと沢山の魔石を収められる大きな手紙箱でも作れば良いのかも知れないけど、特に伝える事も無い現状で、シンシアにそんな事までやって貰う必要を感じないからまあいいか。
「手紙箱が上手く動かなくなったのは単純に距離の問題では無く、エルスカインの手で無理矢理に束ねられた奔流の影響が強く出てるのだと思います」
「やっぱりそうか?」
「はい、御兄様と合流してからずっと、なんて言うか...魔力の霧の中にどっぷりと浸かったまま進んでいるような感じですよ?」
そう言えばシンシアや姫様、というかリンスワルド家の一族は精霊の視点を使わなくても天然の魔力を『視る』才能があるからな・・・そんな風に感じ取れるのか。
それに、ここまでなんとか荷馬車で進んできた道の状況も、周囲の木々が色濃くなってくるに連れて、いよいよ厳しくなってきている。
まだ荷馬車で通れるだけの幅は有るけれど、それは恐らくこの道が国境を越える昔の街道の名残だから、と言うだけだ。
以前レンツの街で聞いた話の通りであれば、もうしばらく進めば深い森に閉ざされて道跡も判然としなくなるのだろう。
「そろそろ馬車で進むのも難しくなってきたなあ...」
「ええ。道のでこぼこが激しいし短い距離で上り下りが繰り返し続いて...上がったり下がったり変な感じですね」
「街道を潰した山崩れって言うのがどの辺りで起きたのか分からないけど、結局は復旧できなかったって位だから相当な規模だったんだろうね。きっとこの辺りにも土砂が押し寄せてきてたんじゃ無いかな?」
「道がでこぼこしてるのはそのせいですか?」
「たぶんね。きっとその後に街道を復旧しようとして一度は道普請をし直したんだと思う。わりと道が真っ直ぐに伸びてるのはそのためだよ。でも結局は山越えの要所を回復出来なくて諦めたんだろうな」
恐らくそこが、馬車で尾根筋を越えられた唯一の隘路というか抜け道だったのだ。
いくらその前後の道を復旧させても、一カ所でも『岩登り』が必要な部分が残っていたら馬車を通すための街道としては役に立たない。
しかもこの地方では、雪が積もる冬の数ヶ月の間は頑張って岩登りをやってさえ人には越えられないだろう。
そして馬車が通れなくなった時点で、当時のシュバリスマークとこの地方一帯の交路は途絶えて、お互い直接に行き来の出来ない『遠い外国』になった。
何しろ山越えが出来ないとなったら、ここからシュバリスマークに行く為にはいったん西に向かい、王都のあるキュリス・サングリアを越えて沿岸部まで出ないとならない。
それから海岸沿いに北上してエストフカ王国に入り、さらに東に向かうというとんでもない遠距離コースになるのだ。
かかる日数も十倍やそこらでは効かないだろう。
その当時に現ヒューン男爵領を治めていたというシュバリスマーク系貴族の家が、地元との繋がりを断たれてその後どうなったのか知るよしも無い。
「シンシア、ここらで馬車は諦めようか。これ以上無理して進ませても車体を壊してしまうかもしれないしな」
「はい。この馬車はどうしますか?」
「魔馬と荷馬車は、そのままシンシアが鏡の奥に仕舞っておけばいいよ。俺の革袋には乗用馬車の方が三台とも入ってるし、荷物は分散して持っていた方がいいからね」
「わかりました」
シンシアが辛うじて水平な場所に馬車を停めたので、荷台から飛び降りる。
パルミュナを降ろす時のようにシンシアも抱え降ろそうかと振り向いたら、自分でぴょんと飛び降りた。
意外に身が軽いなシンシア!
「どうかしましたか?」
俺の表情を見たシンシアが怪訝な顔をする。
「いや、シンシアって意外に身が軽いと思ってな。パルミュナはこういう段差を上り下りする時とか全部、俺におんぶに抱っこだったから」
「だとすると、あのまま御者台の上で降りられなくてまごついてるフリでもしてれば、抱っこで降ろして貰えたんですね?」
「うん。その代わりにこの先の道で足場が悪くなってきた時は、早めにシンシアへ撤退指示を出したと思うけど?」
「で、す、よ、ね! 分かってます!」
そう言ってシンシアは笑いながら荷馬車の方を振り向き、微かな躊躇いも無く小箱の鏡に魔馬と荷馬車を収納した。
すでに荷馬車に積んでいた食料その他の資材はシンシアの小箱に分けて収納しておいたから、不測の事態で狩りの出来ないシンシア一人になっても食料の調達に頭を悩ます必要は無いはずだ。
水と熱の精霊魔法はとうの昔に習得済みだし、鍋や調味料もあるから野営で困ることは無いだろう・・・と判断しかけて思い出した。
シンシアは料理が全く出来ないんだった!
肉と野菜を焼くか茹でるかして塩さえ振ればとりあえず食えるかな?
まあ俺自身も料理は今後の課題だから偉そうな事は言えない。
不安になったので、取り敢えずその場で革袋から焼きたてのパンや調理済み食品を次々に出して、流れ作業のようにシンシアの小箱に収納させておく。
以前、シャッセル兵団が使っていた小型の幕舎も貰ってきていたけど、それも予備を一つシンシアに渡しておいた。
これだけあれば、一時的に別行動の必要が出たとしても安心だろう。
料理技術のほうは、これから一緒に練習だね。
「じゃあ、ここからは歩きだ。行けるところまで頑張ってみよう!」
「はい!」
シンシアが元気よく返事をするけど、実際のところ『行けるところまで』というのは俺にも当てはまっている。
俺だってパルミュナのように空に浮かぶコトが出来る訳でも無く、自力で登れない岩壁なんかに道を閉ざされたら詰みなのだ。
しかも斥候班の情報から地図上で確認できているドラゴンの居場所は、この街道の延長からは少し外れている。
もしも最後の最後で通り抜けられない場所に突き当たったら?・・・いや、そうならないと信じて進み続けるしか無い。
俺とドラゴンは、古からの縁がある存在。
だから、きっと出会えるはずだ。
普通の人だったら、ドラゴンに出会うことを前向きには捉えないんだろうけどさ?
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「シンシア、これを使ってみなよ」
俺はここまで歩きながらずっとオリカルクムのナイフで削り続けていた木の棒をシンシアに渡した。
馬車を降りてすぐ、ちょうど道の縁で立ち枯れて乾いていたイチイの若木を切り落として表面を滑らかに削り、シンシアの身長で胸の高さのあたりを握りやすく加工してある。
要するに『杖』だ。
山歩きに慣れていない人が足場の悪いところを歩く時に杖があると無いとでは、その動きやすさや安全性に雲泥の差が出るからね。
この先で道が消えた後は、普段は狩人しか通らないような場所を抜けていくことになるだろうし・・・
「ありがとうございます御兄様! さきほどからずっと木の棒を削っていたので、何の道具を作っているのかと不思議に思っていました。私の杖を作って下さっていたんですね!」
「ああ。二本足で歩くのは安定が良くないからね。杖でバランスを取っていれば、四つ足の獣のように転びにくくなる」
「はい、やってみます!」
恐らくシンシアは『物理的な歩行の支え』として杖を持ち歩くのは、今回が初めてだろうな。
でも、こういうのは本能的にすぐ覚えるもんだ。
市井の魔法使い達・・・商家や組合に雇われている者はもちろん、独り立ちして商売しているような『魔法使い』達とも違って、貴族家に雇われている『魔道士』は、杖をトレードマークにしない。
街中での商売のように、杖を持っていることで『魔法使いだとアピールする』という必要性が無いし、それに魔力を高める効果というのも貴族家に重用されるレベルの魔道士にとっては『誤差の範疇』だからだそうだ。
まあ、サイズの大小はともかく杖を持つ魔道士もいるそうだけれど、シンシアが杖を使っているところは見た事が無いし、シーベル家の三人の魔道士たちも杖は持っていなかった。
「本当にこの杖があると、とっても歩きやすいですね御兄様!」
しばらく進んだところで、シンシアが笑顔で報告してきた。
「そりゃ良かった」
「杖全体の形も優雅ですし、持つところも綺麗に削ってあってサラサラで...これからもずっと使っていきたいです」
「気に入って貰えて良かったよ。急斜面でも身体をもたせかけるんじゃ無くて、あくまでもバランスを取る感じで使うんだぞ?」
しかし・・・石のように固く乾いた木材でもスルスルと削れるオリカルクムのナイフがなかったら、もっと雑な仕上げで終わっていたかも知れない。
アスワンみたいに器用な物作りが出来るようになるには道遠し、だな・・・




