荷馬車に乗った兄妹
翌日からはシンシアと二人で・・・革袋の中にちびっ子パルミュナもいるから三人、いや、クレアの魂も勘定に入れたら四人でか・・・ドラゴンのいる中腹を目指して進んでいく。
すでに道の様子はリンスワルド家の岩塩採掘場へと登っていく道のような雰囲気になってきていた。
力強い魔馬が牽いているからグイグイ進んでいくけど、普通の荷馬車なら時折苦労しそうな路面のうねりやぬかるみもちょくちょく現れている。
そんな状況でシンシアが来てくれて、まず楽になったのは精霊魔法でも何でも無く、彼女が御者を代わってくれたことだ。
路面の状況に注意を払うことはシンシアに任せて、俺はひたすら地図上の現在位置と周囲の気配に神経を研ぎ澄ませる。
ドラゴンの居場所まではまだ距離があるはずだけど、それでも近づくほどにエルスカインの手下の者と鉢合わせする確率は高まるだろうし、ドラゴン自体だって、ほんの一羽搏きで飛んでくる距離だからね。
もはや村人風のカモフラージュなんて意味を成さないので、俺は破邪の装いに着替えていたし、シンシアも今回は最初から魔道士姿で跳んできていた。
破邪と魔道士か・・・
『騎士と魔道士』とは別の意味で有りそうな無さそうな珍しい組み合わせだけど、二人並んで荷馬車の御者台に座っていると、こういう討伐パーティーも悪くない気がしてくる。
「御兄様、いま枝道のような箇所を通り抜けましたけれど、このまま進んで良かったのでしょうか? あちらの道の方が幅が有ったように思えます」
山裾を通る道での枝分かれは、平地のように分かりやすく見えてはいない。
枝道との合流点を通り過ぎた後に振り返ると、一見、逆方向に進むような本筋が見えているなんて事もザラだ。
大抵の余所者はそういうところで迷ってしまう。
「いや、たぶんこのままでいいと思うよ。さっきの枝道は尾根を巻いて上がっていく感じだから、隣の谷の集落へ抜ける道じゃ無いかな?」
シンシアも俺の口ぶりに若干の自信のなさが伺えてるだろうけど、地図には分岐点の細かな情報なんか描かれてるはずが無いのだから仕方ないよね・・・
「なるほど! 私には全く区別が付きませんでした」
「いやあ俺にも確信は無いけどね」
「そうなのですか? でも私には見分ける基準すら分かりませんけど...」
「うーん...これは経験みたいなものかなあ。遍歴破邪って言うのは野山を歩いてナンボっていう仕事だからね。いつも知らない場所、初めての場所をひたすら歩いてる内に、だんだんと人の流れの歴史って言うか、その道が使われてきた履歴みたいものが薄ら分かってくるようになるんだよ」
「へぇー!」
「そうすると、本筋と枝道の区別も付きやすくなるし、山歩きの経験の浅い人が良くやっちゃうような、『獣道』を人間の作った道と間違えて彷徨い込んだりする事も無くなってくる。獣道は道跡がはっきりしてる割には人の気配が希薄だからね...ま、それも絶対とは言えないけど」
正直に言って、大きな魔獣が逃げていった魔力の痕跡を追うよりも、山奥の細い道を正確に辿ることの方が難しいんじゃないかと思う。
目の前に次々と出てくる複数の選択肢の中から、誰にも教えて貰わずに『正しい道』を見いだすことは至難の業なのだ。
「私もこれから頑張って修行すれば、そういう能力を身につけることが出来るでしょうか?」
「能力って言うよりも経験値だよ。場数を踏めば自然と身に付くものだと思う」
「だったら大丈夫ですよね」
「え? 何が?」
「あ、えっと...」
シンシアが何をどう大丈夫だと思ったのかピンと来なくて素直に口にすると、シンシアはハッとした表情をして急に挙動不審になった。
「あ、その...今後も御兄様と一緒に行動する時に...です。出来るだけ足手まといにならないように...」
「それなら問題ないよ。こういうのは旅馴れるって事と同じようなものだし、日頃から気にして過ごすだけでも身に付く速さは随分と違うからね」
「それなら良かったです!」
なんだ、そう言う意味だったのか・・・
自分も破邪になるとか言い出すのかと思ってちょっと焦ったぞ。
シンシアの年齢ならギリギリで遅めの修行を始められるリミットだしね。
取り敢えず、これから先しばらくの間は地形的にそれほど難しい道取りでは無いはずだと考え、シンシアに手綱を任せている間ずっと手に持っていた地図を巻いて革袋に収めた。
ここ数日ほど、手を革袋に突っ込んだ時にはついでにパルミュナの部屋の様子を探って、ちびっ子パルミュナがソファの上にいることを確認するというのが、ほとんど習慣のようになっている。
今回もパルミュナの姿を確認し、本当に目が合う訳じゃ無いけど目が合ったような気持ちになってちょっとほっこりしながら、ふと地図とは全く関係ないことを思いついた。
「なあシンシア、考えてみればお前も精霊魔法を自由に使えるようになった訳だろ。すでに防護魔法と転移門は俺よりも自由に扱えてるし、そうなると収納魔法も使えるんじゃ無いかな?」
「収納魔法って、その革袋ですよね?」
「ああ。これも空間魔法の派生だからな」
「さすがにどうやったらそんな凄いものを作れるのか、まだ想像も付きません。大精霊アスワン様だからこそ、だと思います」
「うん、さすがに作るのはね。でも、操作自体はもう、いまのシンシアにも出来そうな気がするんだ」
「あ...」
アスワンが、『食べた数だけ増える砂糖菓子』の入った小箱をシンシアに渡したことには、なにか言外の意味があったはずだ。
それを直接言わなかったのは、恐らく本人にプレッシャーを与えない為だろうな・・・アスワンがそういう性格の持ち主だって事は、だんだんと俺にも分かってきている。
「手綱は俺が持つから、試しにちょっと革袋に手を近づけてみてくれ」
俺に促されたシンシアが荷馬車の手綱を俺に渡して、おずおずと革袋の口に手をかざす。
「魔力の流れを感じるか?」
「吸い込まれているような感じが少しだけ」
「だったら手を差し入れてみるといいよ。それで使えるかどうか分かるから」
「はい、う、動かないで下さいね?」
俺が大きく開いた革袋の口にシンシアがゆっくりと、恐ろしく慎重に指先を差し入れていく。
少しずつ少しずつ手を入れていくけど、特に異変は無いっぽいな。
「どうだ、なにか手に触るか?」
「いえ...ダメです。なにも感じません」
俺はそれを聞いてニヤリと笑った。
何も感じないのなら成功だ・・・だって収納魔法が使えない奴がこの革袋に手を突っ込んだら、空っぽの革袋の内側のザラザラとした感触を感じてるはずだからね!
「何にも触れないか? もうちょっと奥を探ってみろ」
「はい」
シンシアが素直に手を奥まで差し込んでいく。
俺がアスワンからこの革袋を貰った時は、自分でも気が付かずに肘まで突っ込んでたっけな。
「ダメみたいです...」
「シンシア、お前の手はもう革袋の中にすっぽり入ってるぞ。それで指先に何も感じないって言うのは、どういうことだと思う?」
「えっ、あれっ!」
慌ててシンシアが手を動かした。
どうやら革袋の中をまさぐっている様だ。
「なにも、なにも手に触れません! まるで、なんにもない穴の奥に手だけ差し込んでるみたいです!」
「それでいいんだよ。いま革袋に入ってるのは俺が入れたものばかりだから、シンシアの頭の中にはそれのイメージが無い。だから触れられないんだ」
「そうなんですか?!」
「うん。何でも良いから、何か革袋に入れてごらん」
シンシアはいったん革袋から手を抜くと、ローブのポケットから小さな小袋を取り出した。
貴族の女性がよく持ち歩いている香袋みたいな感じだ。
魔道士のローブ姿でもサッとそう言うモノが出てくるところが、いかにもリンスワルド家の女性らしい。
それを指先に摘まんで、再び慎重に革袋に手を近づけていく。
「収納する時に、実際に革袋の中まで手を入れる必要は無いんだ。それが革袋の中に入るんだって事をイメージして口のところに手を当ててごらん?」
「はい...あっ!」
小さく叫んだシンシアの手からは香袋が消えていた。
やったじゃないかシンシア!