ガルシリス辺境伯
ルーオンさんは、一度お茶を口に含むと、少しばかり声を低くして内緒話のように話を続けた。
「当時は、国境を接してるルースランドは明確に敵国でしたし、大戦争の時の功績で『辺境伯』って爵位を貰ってたわけで...立場的にもリンスワルド伯爵より上位だし、当時の大公陛下にも文句を言われない立ち位置でもあったんでしょうなぁ...」
辺境伯という肩書きは滅多に聞かないが、大抵どこの国でも、ある程度の自治を許された領地を国のはずれに持つ貴族の称号になるだろう。
建前上は国の機構に組み込まれているが、裁量権は大きい。
元は小さな独立王国だったところが、隣り合う大きな王国に帰順して辺境伯を名乗るようになっていたり、あるいは敵対する隣国としのぎを削っている地域の統治を任されたりしている関係で、騎士団や衛兵というレベルに収まらない、つまり治安維持には過剰な自前の軍隊を持つことが容認されていることも多い。
だけど『過剰な戦力』って、平時はただの無駄飯食いになるんだよね。
国境防衛軍みたいな扱いの正規戦力として国から援助が出ている状態ならともかく、単に辺境伯としての見栄を張ってそんな軍隊を維持しようとすれば金もかかるし、そりゃあ強欲にもなるか・・・
見栄っ張りで、しかも頭の中が戦争時代のままの古いタイプの貴族の姿が目に浮かぶようだ。
「ところがですねぇ...」
ルーオンさんの声がいっそう、ヒソヒソ話っぽい雰囲気になる。
もう大昔のことだし、誰に聞かれて困る内容でもないだろうけど、まあ、雰囲気重視って感じなのかも。
「なんと、その時にガルシリス辺境伯がルースランドの王家と組んで、ミルシュラント大公陛下の王権を転覆しようと企んでたって話が表沙汰になったんですよ!」
「ええぇっー...」
「どういう仕組みか分かりませんが、ガルシリス辺境伯の武装蜂起とタイミングを合わせてルースランド軍が公国に攻め込み、一気に王都を抑えてミルシュラント大公陛下に退位を迫るって筋書きで...」
さすがにこれは驚いた。
まさに下克上か。
「後はルースランドと組んだガルシリス辺境伯が大公陛下の代わりにミルシュラントの摂政に収まって、そのままルースランドの属国になるだか傀儡王家になるだかって話だったらしいですね」
「なるほど。ルースランドにしてみれば、大掛かりに戦争を起こすんじゃなくて、内乱を起こさせて王都だけ押さえれば、最小限のリスクで目的を果たせるって狙いですか」
「ええ。つまり、さっきのリンスワルド伯爵の領地を攻めるって話も、実はその武装蜂起の兵力を動かすための目眩しだったってわけですな」
「すごいな、それを兵を集めるための建前に使ったのか」
「で、いったん兵を挙げたら、リンスワルド領に攻め込むふりをして実は素通りし、そのまま王都まで進撃するということだったんでしょう」
「いやそれにしても凄まじいなあ。でも、どうしてそれが実行前に表沙汰になったんです?」
「よくは知りませんが、内通者から大公陛下の元に報告が上がって、それが俗にいう『動かぬ証拠』って奴だったらしいですねえ」
「ほう」
「しかもね、それをミルシュラント大公陛下に暴露したのがガルシリス辺境伯の甥っ子だったということで、当時はもう、上へ下への大騒ぎだったそうですよ」
身内に裏切られたってわけか
やっぱりガルシリス辺境伯は相当エグい人物だったのかな?
「まあ、こっから先はただの噂話なんですけどね...辺境伯の甥っ子は騎士団長だったんですが、王都襲撃の計画が絶対にうまくいきっこないと思ってて、それで、ガルシリス家の存続と領地の維持を引き換えに、伯父を大公陛下に売ったという話です」
あー、こういうのは、お家騒動絡みだとよく耳にする類の話だな。
次期当主の座を巡って兄弟や親戚が対立すると、それはもうどろどろした足の引っ張り合いになるという・・・
「要は、未遂で済ませたから首謀者である当主の首だけで勘弁してくれと、そういう話ですな」
ルーオンさんはそこでまたお茶を啜り、話を続けた。
「ところが! ところがですねぇ...大公陛下は甥っ子騎士団長の陳情を受け入れて、ガルシリス家の爵位存続と領地の維持を認めたそうですが、当人の辺境伯が反逆者として王都へ護送されるってことになった際に、派遣されていた国軍の兵を何人か殺して脱走し、その甥っ子の首を刎ねたんだそうです」
「自分が死刑になる前に復讐だけ済ませとこうってわけですか!」
「そういうことでしょうなあ。で、自分を裏切った甥っ子を殺して、脱走を手引きした腹心たちと一緒に、ルースランドへ向かったそうです」
「いやでも、それでルースランドが亡命?を受け入れますかね?」
「ないですないです。まあそうなるとルースランド王家は、ガルシリス辺境伯を手助けしたりするわけはなくて、知らぬ存ぜぬですよね。言ってしまえばガルシリス辺境伯は、そういうことさえ考えが至らないような、幼稚で身勝手な人だったってわけです」
「うーん、殺された騎士団長だった甥っ子が、武装蜂起が絶対に失敗するって読んだのは正しかった気がするなあ...」
「ですよね。きっといい加減な計画だったんでしょう。ひょっとしたら、ルースランド側がタイミングを合わせて王都に進軍するって話だって、辺境伯が騙されてただけかもしれません。別に王都の占領なんかできなくても、公国に混乱が起きれば、それだけでも当時のルースランドにはメリットがあったでしょうからね」
「ああ確かに。それで、万が一でも辺境伯の手勢だけで王都を抑えることができたら、ルースランド軍はそれから駆けつけても言い訳はいくらでも立つでしょうし、事態が長引けば辺境伯も自分が危ないですから拒否はできなかったでしょうね」
「つまり、ガルシリア辺境伯はルースランド王家にいいように手駒にされてたのが真相だろうって話ですな。欲をかきすぎる人は、得てしてそんな立場に落ち込んだりするもんですよ」
「うーん、自業自得とはいえ悲惨な展開だなあ...それで結局、辺境伯はどうなったんですか?」
「国境を越えようとしたところで戦闘になって死んだらしいです」
そりゃあルースランド側としても、逆に国境を越えられちゃあ困るだろうからな。
「この顛末には当時の大公陛下もさすがに激怒されて、ガルシリア辺境伯家は廃爵となって関係者は処断、領地は陛下直属の公領地となったんです」
「そりゃ当然といえば、当然か...」
「それ以来、リンスワルド伯爵の分家に連なる家系が大公陛下の命で公領地の長官を務めてますよ。本家の領主様の方がノルテモリア家で、長官を任命されているのがエイテュール家です。いまの長官はフローラシア・エイテュール・リンスワルド子爵ですね。ここら辺の人は伯爵本家の方と区別しやすいように、エイテュール子爵家とお呼びしていますが」
「名前からするといまの領主、じゃなかった長官は女性ですか?」
「そうです。リンスワルド家は男女関係なく長子に相続させるので、その時々で変わるそうです。というか、ミルシュラントの貴族では女性の当主も多いですよ?」
エドヴァルだと家督を相続するのは基本的に長男というのが常識だったのでピンとこないが、これも所変われば、というやつだろうな。
「リンスワルド家の方々は一族の結束が固いらしくて、諍いごとの話は耳にしませんね。いまでは、この広い土地を両方合わせて親族で仲良く管理してるわけですから、この地方で生きていく者にとっては面倒がなくてありがたい話ですよ」
「そういえばラスティユの村でも、領主がうるさくないから助かるなんて話を耳にしましたね」
「ここに泊まっていく遠くから来た旅商人さんからは、余所では色々と面倒なことがあるって話を聞きますが、リンスワルド領とキャプラ公領地...というのが、元ガルシリス辺境伯領のいまの呼び名ですが...は、商売の免許制も徴税対象も少ないので助かりますね。法の範囲なら大抵のことが自由にできます」
「そりゃ、領主が強欲なのは珍しくないって言うか当たり前って感じでしょうね...だからこそ、最初に橋を架けて通行税を取らなかった、リンスワルド伯爵の慧眼には恐れ入りますが」
「まあ、橋ができた頃は、ここら辺で一番大きな街がコリンで、フォーフェンなんて、まだ街にもなってなくて単なる四つ辻の名前だったそうですがね。十字路のある原っぱに時折、自由市が立つって程度の場所だったと聞きますから、街の賑わいなんて領主様の匙加減一つで変わるもんだなって思いますよ」
もっともな意見だ。
どうやら当時のリンスワルド伯爵の領地経営手腕は凄かったみたいだな。
「こう言っちゃあなんですが、結果としてガルシリス辺境伯が排除されたことで、この地域の発展が始まった感じですね。逆に言うと、もしもガルシリス辺境伯が王都に攻め込んでいたらどうなっていたやら」
俺がそう言うと、ルーオンさんは笑いながら首を横に振った。
「いやいや、きっと失敗したでしょうよ。ここから王都まで全速で進軍したとしても、リンスワルド領を素通りした時点で、大公陛下には早馬で報告が届いただろうと思いますよ」
「そうなると街道の途中で待ち構えられて、そこで終わりだったでしょうね」
「まあ仮に、ルースランド軍が本当に約束通りにこちらに進軍して来たなら、王都の防衛軍も苦戦したかもしれませんがね...ただ、普通に考えれば辺境伯の手勢だけで王都の防衛隊に勝てたはずないですから」
ちょっと考えれば賭ける気にならない密約だよなあ。
ガルシリス辺境伯って人は、よっぽど初心だったのか、それともルースランド王家を信頼する理由が何かあったのか・・・
「なので、どっちみち辺境伯領は解体されて公領地に組み込まれる運命だったろうとは思うんですがねぇ...ただ、もしも甥っ子が裏切らなかったら、辺境伯とルースランド王家の思い通りになってたかもしれないって言う人もいたらしいですよ」
「そりゃあ、なんでまた?」
「ただの古い噂なんですがね...辺境伯が魔獣を使役する魔法使いと組んで、沢山の魔獣を手懐けていたって話があったんです」