屋敷へ避難
こちらがどんなに加速していても、魔獣達が飛びかかってくる速度は変わらないから、飛びかかってくるアサシンタイガーやブラディウルフを次々と斬り捨てながらも、俺はそこに足止めされてしまう。
かと言って、俺とアサムがこいつらを抜けさせたら真っ直ぐシンシアや姫様に向かって行くに決まってるのだ。
いったん後ろに回り込まれたら、レビリスとウェインスさんだって危ない。
この面倒臭さこそ、まさに数の暴力!
「シンシア、先にレビリスとウェインスさんを連れて跳べ!」
「はい御兄様っ!」
その声を聞いてレビリスとウェインスさんが互いを返り見て頷きあった。
呼吸を合わせて一気に転移門に向かって走り、レミンちゃんがその横をカバーする。
魔法陣の中にレビリスとウェインスさんが転がり込んでくると同時にシンシアが叫んで転移門を作動させた。
「跳びます!」
屋敷までの距離が遠いせいか、三人の姿が薄らいでいくのに時間が掛かっているように見える。
その間、アサムとレミンちゃんの隙を縫った数匹のブラディウルフが転移門を守る姫様に向かって飛びかかっていくけれど、一匹たりともその牙を姫様に届かせることが出来ずに屍になっていく。
ブラディウルフを次々と細切れにしていく姫様は、まるで両手に小太刀を持って舞を踊っているかのようだ。
じれったいほどの時間が過ぎてようやく三人の姿が魔法陣の上から消えると、ひとときとは言え背中側の不安が軽くなる。
俺はその場から力一杯にジャンプして、ダンガの上にのし掛かっているアサシンタイガーの上に向けて跳んだ。
着地と同時にガオケルムを振るって一匹目の首を刎ね、返す刀で飛びかかってきた二匹目の首も落とす。
動きを止めたアサシンタイガーの死体を振り払って血塗れのダンガが立ち上がると、その身体の下からエマーニュさんが這い出てきた。
彼女の防護結界はまだ無傷だ。
「エマーニュさんは姫様の後ろに!」
「はい!」
駆け戻ってきたアサムに横を守られた状態でエマーニュさんが姫様の脇に辿り着くのと、シンシアの姿が再び魔法陣の中心に現れたのがほとんど同時だった。
さすがに屋敷から跳んでくる時はレスポンスが早い。
「シンシア、三人で跳べ!」
「分かりました!」
姫様とエマーニュさんが魔法陣の中に踏み込むと同時に、シンシアが再び転移門を作動させる。
「跳びます!」
すぐに俺も魔法陣の側に駆けつけた。
この距離感なら、アサシンタイガー相手でも全員をカバーできるだろう。
ダンガは満身創痍で全身から血を流しながらもアサム、レミンちゃんと並んでしっかりと立ち、押し寄せてくる魔獣達に叫んだ。
「掛かって来い! ここは絶対に通さんぞ!」
再びじれったいほどの時間が過ぎて、ようやく姫様達の姿が魔法陣の上から消えた。
残るは俺たちだけど、この場で俺が転移門を動かせば、その瞬間は防護結界への魔力供給が弱まるし、それはガオケルムの鞘に埋め込まれた結界でも同じ事で、そんな即座にちびっ子たちが集まってくれる訳でも無い。
だから、魔獣の群に囲まれたこの状況で俺たちがここから転移するには、シンシアに戻って来て貰うほかないのだけど・・・
この数でもアサシンタイガーとブラディウルフ相手なら俺一人で血路を切り開けると思うけど、この包囲網を物理で突破したところで、次に何処に行けば安全かというと、恐らくヒューン男爵の領内に安全な場所は無い。
それに逃げる途中でダンガたちの魔力が尽きて狼姿を保てなくなったら色々と厳しいし、アサムとレミンちゃんは手負いのダンガを守ることにかかりきりになるだろうな。
かと言って、気絶させられている魔馬を起こして馬車に乗って逃げるとか論外。
やっぱり、転移して屋敷に戻る以外に方法は無いか・・・
逡巡しているうちに、シンシアが転移門の中心に現れてくれた。
だがこれで二往復、屋敷に戻った際に魔力は補充されているだろうけど、魔力抜けの疲労はかなり溜まっているはずだ。
息苦しそうな表情を見ただけで疲弊しているのが分かる。
「御兄様、跳びます!」
「まてシンシア、俺の代わりに防護結界を動かしてくれ」
「え?」
「俺がみんなを跳ばす。その間、無防備にならないように転移門全体を防護結界で包んでくれ、早く!」
「は、はい!」
ダンガたちは三人とも巨大な狼姿のままなのだ。
このまま彼らを運ばせたりしたら、長距離の転移を二往復して疲労を溜めているはずのシンシアに、その二回分以上の魔力を一気に放出させることになる。
さすがに危険すぎるだろう。
短時間の防護結界維持ならそれよりは軽く済む。
「構築しましたっ!」
「行くぞ!」
シンシアが防護結界を肩代わりしたことを確認し、五人で乗る転移門を動かした。
朧気に浮かぶ地下室の情景に意識を集中するが、周囲の鮮明さが高まっていく速度がとてもゆっくりだ。
防護結界の周囲には猛り狂った魔獣の大群・・・
さすがにこの遠距離で狼姿のダンガたち三人に俺とシンシア・・・なかなか時間が掛かるな。
それでも我慢して待ち続けていると徐々に景色が鮮明さを増し、空間のズレる感覚と共に俺たちは無事に地下室に立っていた。
予想はしていたけど、凄まじい魔力の喪失感に思わず床に膝をついてしまう。
幾ら二人ずつとは言え、よくまあシンシアは短時間にこの距離を二往復も出来たな・・・
「御兄様!」
俺の傍らに立っていたシンシアが慌ててしゃがみ込み、俺の肩を支えようとする。
「いや大丈夫だ。この程度の喪失感は予想してたよ。みんなを無事に戻せてホッとしたんでな」
そう言って立ち上がろうとした時、背後でドサッと大きな音がした。
「兄さん!」
「兄貴!」
レミンちゃんとアサムの悲鳴が響く。
振り向くと狼姿のダンガが倒れていて、見ている前で狼形態から人族形態にゆっくりと戻りつつある。
屋敷に辿り着いた時点で狼姿を保てなくなって気を失ったのか!
アサシンタイガーの攻撃を受け続けている間、防護結界と同時に魔力も削られ続けていたのだ。
「ダンガ殿っ!」
部屋の隅で俺たちを待っていたエマーニュさんが悲鳴を上げた。
「しっかりしろダンガ!」
見ると全身の傷がエグいし、服のほうはもはやバラバラになって布としての体裁を為していない。
狼姿から人族姿に戻った際に、傷口の大きさが皮膚の面積に合わせて縮んでいるからいいようなものの、あそこで受けた傷がそのままのサイズだったら、もはやダンガの体は細切れになっていただろう。
咄嗟にシンシアと一緒にダンガに魔力を流し込みながら、深い傷口を精霊の水で洗い流す。
アサシンタイガーの牙や爪に毒があるという話は聞いたことが無いけど、防護結界を削るほどの魔法が掛かっている爪の攻撃だ。
用心するに越したことはない。
それにしても凄まじい数と深さの傷だ。
この想像を絶する苦痛に耐えてエマーニュさんを守り抜いたダンガの精神力には驚かされる。
「いやぁ! 兄さん頑張ってぇっ!」
レミンちゃんが泣きながらしゃがみ込むけれど、いまは身体のサイズ差が大きすぎて手を出せない。
その向かい側に慌てて駆け寄ってきたエマーニュさんが跪く。
「お願いします、わたくしに!」
そう言うが早いかダンガの体の上に覆い被さると、全身でぴったりとダンガに寄り添って頭を抱きしめる。
一拍の後、エマーニュさんの体全体が光り始めた。
得意の回復術だ。
「ダンガ殿しっかり! わたくしの為に申し訳ありません!」
シャッセル兵団の一員がギュンター邸で刀傷を負った時にその技を初めて見たけど、今回の光の強さはあの時の比じゃない。
いまダンガの体はほとんどエマーニュさんに覆い被さられているので全貌はよく見えないけれど、手足の傷口が少しずつ塞がっていってるようだ。
姫様もエマーニュさんの背中に手を当てて、自分の魔力を渡している。
俺とシンシアもダンガの体に魔力を注ぎ込み続けた。
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そのままどれくらいの時間が経ったのか、気が付くと、ダンガの全身を切り刻んでいた傷口は見事に塞がっていた。
まだ微かに痕跡を見つけることは出来るけれど、見えている限りで皮膚が裂けている箇所はない。
ダンガは気を失ったまま目を瞑っているけれど、呼吸も安定しているし眠っているかのようだ。
精霊の視野を強めて魔力の流れを見ても、体内の活動が安定しているのが分かる。
まだ意識はないけど、どうやら危険な状態は脱したか・・・
絡まるようにダンガに抱きついた状態のエマーニュさんも気を失っている。
恐らく姫様から供給された魔力も上乗せして、自分の限界以上にダンガの体に回復をかけ続けたんだろう。
「もうダンガは大丈夫みたいだよ。魔力の流れも安定してる」
「うわぁん良かったぁ...」
レミンちゃんが安心してさめざめと泣き始めた。
家出したアサムを狩猟小屋で見つけた時も、こんな風に泣いたのかな?
姫様がそっと肩を揺すると、エマーニュさんが目を覚ました。
「御姉様...ダンガ殿の傷口は...塞ぎきったと思います。でも、失った血が多すぎて補填し切れていません」
「大丈夫ですよエマーニュ、ダンガ殿の容態は落ち着きました」
「良かった...ですが...しばらくは安静に...」
「分かりました。お部屋でゆっくりと過ごして頂きましょう」
「シンシア、一階に上がってトレナちゃんに声を掛けてくれ。レビリス、アサム、ウェインスさん、俺と一緒にダンガを運んで下さい」
三人に声を掛け、革袋に入れてある資材から大きめの帆布と天幕用の支え棒を取り出した。
「レビリス、これで応急の担架を作ろう」
「了解だ」
「エマーニュ、貴女も限界を超えているはずですから、すぐに休んで下さいね」
「はい御姉様」
エマーニュさんがゆっくりと身体を起こした。
全身が血塗れのダンガに抱きついてたんだから当然だけど、エマーニュさんのドレスも血塗れだ。
これが返り血だったら、凄まじい戦闘を生き延びたと思うところだろうな。
いや、実際にその通りか・・・
「貴女のドレスも血塗れですから横になって休む前に浄化しておきましょう」
姫様がそう言ってドレスに手をかざそうとすると、エマーニュさんは思いがけない言葉を口にした。
「いえ御姉様、このドレスはこのままで」
そう答えたエマーニュさんの表情は、俺がこれまでに見たことの無いものだった。




