誰も居ない高原の牧場
悪戯っぽい笑顔で俺を見上げてくるパルミュナの頭をポンポンと軽く撫でて、俺自身の心を落ち着かせる。
「ドラゴンに会う前に、この先の何処かでエルスカインの仕込んでる何かに出会う可能性は高いからな」
「レンツの様子とか避難民のこととか考えると当然よねー」
「姫様達なら、ヒューン男爵家の魔道士や騎士団ぐらいなんとかできるだろう。でもエルスカインはダメだ」
「まだシンシアちゃんにも無理かなー。戦闘力って言うよりも闘う意志みたいな意味でー?...」
「そこはアスワンが言ってた通りだろうな。それに出来ればダンガたちに対人戦をやらせたくないんだ」
「だからみんなを目の届くとこに置いておきたかった?」
「まあな。いよいよヤバイとなったら全員まとめて屋敷に強制送還すればいいって思ってたんだけど」
「だとするとー、お兄ちゃんはエルスカイン自身...本人...って言っていいのかどうか分かんないけど、エルスカインそのものが、この先のどっかに居るかもって思ってる訳ねー?」
「可能性としてな。噂の出所になった高原の牧場には何かあるかもしれないって気がしてる」
「じゃー、ある意味で予想通り?」
「いやあ、奴もドラゴンを求めてるんだからどっかで遭遇して不思議じゃないとは思ってたさ。だけど、ここの領主まで巻き込んで大々的にやってるとは想定外だったな」
「エルスカインがレンツの街で何やってるとしても、そもそも巨大魔法陣を整える井戸と杭の方が本来の目的で、ドラゴンはついでってゆーか、オマケってゆーか、そんな感じ?」
「おまけでドラゴンを手に入れようとするのも相当に凄まじいけどな」
「まーねー。エルスカインのやってる事ってさー、姫様と出会った頃に考えてたよりも大掛かりだよねー」
「分かってくれば来るほどな」
「魔力を散らすどころか奔流そのものを弄ってるとかアタシ達だって気付いてなかったし...」
「まあな。なんとしても俺たちでエルスカインの正体を暴いて謀略を止めないと...奴にとってはリンスワルド領だって過程の一つに過ぎないんだから、完全に止めるまで終わりは無いよ」
「うん」
「で、それを調べる意味も有って、ちょいと高原の牧場の方にも立ち寄っていたいんだけどいいか?」
「もっちろーん」
「よし、じゃあ様子を探りながら行ってみよう...そうだパルミュナ、念のためにこの馬車の荷台にも転移門の魔法陣を仕込んでおいてくれるか。イザという時は馬車を停めたらすぐに跳べるようにしておきたいんだ」
「りょーかーい!」
俺たちはドラゴンを目指して進むと同時に、他のみんなにとっては先行した偵察要員として役に立てる。
この先に本当に危険な存在・・・例えばエルスカイン本人とか・・・が居ると確信したら、その時点でシンシアに緊急通信を飛ばして避難させることも出来るだろう。
++++++++++
姫様達と離れてから、俺とパルミュナは山脈に向けてひたすら北上した。
いつ以来だよ? って言いたくなるほど久しぶりにパルミュナと二人きりでの野営もしたけど、今回は緊張感が強いな。
それでも、『だったら夜の間は安全な屋敷に転移して休もうか?』とならないのは、いつ何がどう動くか分からないという思いがあるからだ。
防護結界があるから寝てる間に奇襲される心配は少ないし、それよりも屋敷に戻っている間に何かの動きを見逃すのが怖い。
二手に分かれた日の夜に手紙箱でやり取りした報告によると、俺たちが野営地を出発した後に、姫様は街道まで馬車を出した上で、レビリスとウェインスさんに頼んで予備の車輪や道具類をこれ見よがしに外に出し、修理に難儀しているフリをしていたそうだ。
危ないことを・・・
本当に襲われたら即座にシンシアが転移してくれたとは思うけど、あまり危険な事はして欲しくない。
ともかく、半日ほどそうやって過ごしている間に通りかかった人は、山裾から避難してレンツに向かう炭焼き職人の一家と二人の猟師だけだったという。
俺たちはその人達に出会ってないから、途中の枝道から街道に入ってきたんだろうな。
逆にレンツから山へ向かう人は一人も通らなかったと・・・
まだレンツからの追っ手が出ていないと考えることも出来るし、以前ドルトーヘンからレンツへ向かった時と同様に、『どうせ行き先は分かっている』と監視者が捉えているとも考えられる。
だけど、レンツで全く監視されてなかったという可能性は無いと考えるべきだろう。
エルスカインが暗躍していて領主までグルになっているなら、王都の方から来た妙な組み合わせの一向に注意を引かれないはずはないからね。
「やっぱり、人に会わなさ過ぎるな」
「ホントだーれにも会わないねー」
「姫様達は初日に避難していく人に会ってるけど、俺たちはここまで上り下りどっちからも一人も会ってないからな。まあ普通じゃないさ」
この街道筋の住民は一人残らず追い払われたってことか・・・
それにしても、やっぱり不自然だ。
いくら寂れた古い街道で、しかも最終的にはどこにも抜けられない行き止まりの道だとしても普通じゃないだろう。
追っ手が来ないのはともかく、この街道筋から人と生活の気配が綺麗に消えている。
「魔獣から逃げるにしても変?」
「だな。人の中にはびっくりするほど強情なタイプが居て、すぐ目と鼻の先が戦場になってるのに、『住み慣れた場所を離れたくない』とか『きっと戦争はすぐに終わる』とか言って避難しようとしない人達が一定数は出てくるんだそうだ」
「それってー、お兄ちゃんがレンツの門番のことで言ってた『危機不感症』みたいなもの?」
「まあ似てるかな? 今まで通りの生活を続けたいって願望が現実を見えなくして、ありえない希望的観測ってやつを抱かせちまうんだ」
「ホントの希望じゃないのにねー」
「もちろん、そう言う人達の多くはそのまま巻き込まれて犠牲になってしまったりするんだけどな...それでも残っている住民がゼロっていうのは考えにくいよ」
「そっかー...」
「そう言う人達も這々の体で逃げ出すとしたら、身近な人達が実際の被害に遭った場合だけだけどな。今回の場合、斥候班からの報告では魔獣に人が殺されたって話は出てないだろ?」
「だったら危険を軽くみる人もいるはずー、みたいな?」
「まあ、そんなところだな」
そのまま『家畜を根こそぎにされた高原の牧場』があるはずの道へと進んでいくと、しばらくしてパルミュナが前方を指差した。
「あ! アレじゃないかなー? 地図に書いてあった目印の大木が並んでるってゆー場所」
目の前の丘の縁、空との境界線に大きなと寝るこの気が一定間隔で並んで立っていた。
斥候班からの情報にあった目印だな。
ここに立ち寄ったのは、魔獣に家畜が根こそぎにされたのに住民達は無事に避難してるっていう不自然さの正体を確かめたかったからだ。
エルスカインには出来るだけで関わらないようにしてさっさとドラゴンの元へ向かうべきなのは承知しているけど、後からみんなが近くを通ることも考えると放置しておきたくないし、エルスカインの企みの内容が少しでも分かるのなら見ておきたい気持ちもある。
「多分そうだな。あれはアッシュの木だし人が植えたものだろう」
「そーなの?」
「ああ。アッシュは成長が早くて加工しやすいから木材として良く使われるんだ。枝を良く広げるから木陰も作るし、この牧場を開墾した人達が植えたんだと思う」
「それで木の間隔が割と揃ってるんだねー」
「だろうな...それにしても長閑で、家畜が皆殺しにされた現場だなんて思えないよ」
「ねー!」
斥候班が渡してくれた地図に書いてあった『殺戮現場』の目印を見つけたのに、周辺に不穏な空気や澱んだ魔力なんかは一欠片も感じない。
ちびっ子たちだって普通に居る。
目に見えている景色だけなら相も変わらず長閑この上ないんだけど・・・
さらに進んでいくと牧場の囲いが見えてきた。
その柵の位置は街道からは少し離れていて、間には草地が広がっている。
どうして街道ギリギリまで牧草地を伸ばしていないのかと不思議に思ったら、どうやら草地の中心を小川が流れているようだった。
牧草地はなだらかな起伏に富んでいて丘の向こうまでは見通せない。
街道に近い側に、畜舎や冬の間に牧草を保管しておく建物なんかが固まって建てられている。
「あそこが牧場の畜舎だな。一応行ってみるか?」
「うん、気を付けてねー」
「気配に惑わされないようにしような。シーベル城やギュンター邸で使われてた例の魔道具も、俺たちに出会った後で更に改良されてるかもしれないぞ?」
「アタシも真似したしねー! って言うか魔道具はずっと動かしてるよー」
パルミュナ版の結界隠しの魔道具が、精霊魔法による魔力の放出そのものを隠蔽できることは最初にテスト済みだ。
あの時の俺はじっと椅子に座っている状態でも、すぐ近くでパルミュナが放出した魔力の波動を全く感じ取れなかった。
アレは俺が鈍感だったのではなくて、魔道具の性能が良かったと言うことのハズ・・・
それに、この荷馬車はレンツの街を出るまで革袋に入っていた、つまり現世には存在していなかったんだから、乗っているのが俺たちだって事はバレてないと思うんだけど。
ごく普通の馬が牽く、ごく普通の荷馬車に乗った、ごく普通の風体の男女・・・これで平和な状況なら商いに出た村人程度には見えるはずだけど・・・さて、どうなるかな?