久しぶりの荷馬車
みんなが夕食の仕上げに取り掛かった頃、俺は姫様が手紙の返答を書くことに没頭している合間を縫ってシンシアにこっそり合図を送り、みんなから少し離れたところに呼び寄せた。
仲間達と一緒に居るのに内緒話なんかしたくはないんだけど、こればかりは仕方ないからな。
「なんでしょうか御兄様?」
「なあシンシア、お前にだけ言っておきたいことがあるんだ。で、これは、お前にしか頼めないことなんだよ」
「は、はい」
声のトーンで深刻な話だと感じ取ったシンシアが、いきなり不安げな表情になる。
「俺とパルミュナが山に向かった後、たぶん姫様は自分が囮になるつもりだと思う。エルスカインの注意が俺に向かないようにね」
俺がそう言うと、一瞬、シンシアの目が泳いだ。
やっぱり分かっていたか・・・俺より百倍くらい聡明な子だもんな。
「しかも姫様の性格からすると『リンスワルド家で』その囮役を引き受けようとするはずだよ」
ちょっと目が泳いでるシンシアに、俺の想像している姫様の行動を確認する。
「エマーニュさんに男装させて俺と一緒にいるフリをして馬車に乗り、シンシアが御者役かな? 正直、三人のうち誰が男装したとしても俺の身代わりを演じるのは無理があると思うけど」
「それは、まあ、その...雰囲気で?」
「だけどレビリスは引かないよ? 身代わりって話になったら俺の役をやるって言い出すのは目に見えてる。ウェインスさんも飄々として的になろうとするだろうし、ダンガたちは言うまでもない。あの三人は絶対に途中で仲間と離れたりするはずがないからね?」
「そうですね...ええ。確かにそういう方々だと思います」
「もちろん俺は誰にもそんなことをさせるつもりは無いよ。シンシアがそれを口にしなかったのは、最初から自分も姫様と一緒に囮になるつもりでいたからだろ? ダメだよ絶対に」
「ごめんなさい...」
「あの晩餐の席で話したよね? 俺は、自分の親しい人達を犠牲にして何かを成し遂げるつもりはないんだ。そうしなきゃ出来ないことなら、最初から俺には出来なかったことだと思う。だから、このキャラバンから犠牲者が出るとしたら、それはまず俺からじゃなきゃいけない」
「でも御兄様! 御兄様は勇者です。それは他の誰にも肩代わりできません! 他の誰が生き延びられても、御兄様が居なくなってしまったら終わりなんですから!」
「そんな事は無いよ」
「そうです!」
「いや違う。俺がいなくなってもシンシアがいるよ。勇者の血を引く天才がここにね」
「そんな! 私なんかが御兄様の代わりを出来るはず有りません!」
「俺の妹になった時のことを思い出してくれ。シンシアはもう仕組みの強さを知ってるだろ。アスワンはずっと一人きりで勇者を育ててきたけど、いつか人の世に勇者は必要無くなる。いや、逆に勇者や天才が必要無くなるような『仕組み』をみんなで作っていかなきゃダメなんだ。それが本物の『大きな屋根』になるんだよ」
「でも...」
「姫様は自分たちが生き延びても俺が斃れたら希望はないって言ったけど、俺にしてみればそれは逆だ。たとえ俺が生き延びても、パルミュナとシンシアが二人とも斃れたら希望はない。それは今現在よりも未来への可能性の問題なんだ」
「そうなんでしょうか...」
「そうなんだよ。いいかシンシア聞いてくれ」
シンシアが顔を上げて俺の目を見る。
天才だけど、その中身はどこまでも真面目な年相応の少女だ。
「そもそも、みんなで一緒に王都を出ることにしたのは、姫様達にとっても俺やパルミュナと一緒に固まっていた方が安全だって考えたからだ。別邸に残していく訳にも行かないし、アスワンの屋敷に居て貰うにしてもいつまでになるのか予想も付かないからね。シンシアが精霊魔法を身に着けて手紙箱も開発しくれたから状況はかなり良くなったけど、それでも姫様は一緒に行きたいと望んでくれたから俺も同意したんだ」
「それは...」
「忘れないでくれ、この旅はみんなで一緒にエルスカインと闘う為で、エルスカインに負けない為だ。みんなで仲良く冒険する為じゃない」
「それは...分かっているつもり...でした」
「だから、もしも本当に危険な状況だと感じたら、迷わず全員を連れて屋敷に跳ぶんだ。絶対に姫様の指示を仰ぐな。いつ撤退するべきか、それはシンシアが自分で判断するんだ。約束だぞ?」
シンシアは俯いた。
姫様に判断を委ねれば、恐らく撤退の機を逃すだろう・・・それは理解しているのだ。
「みんなを頼むシンシア。危険だと感じたら迷わず撤退しろ。転移門のことがエルスカインにバレるだなんて欠片も気にしちゃダメだ。いいか、敵の見ている前で堂々と転移しろよ?」
「はい」
「お前に責任を押しつけるしか出来ない粗忽な兄貴からのお願いだけど、聞いてくれな?」
「...わかりました。御兄様」
「ありがとうシンシア。苦労を掛けて済まない」
俺はシンシアをそっと抱き寄せた。
「みんなのところに戻る前に涙を拭けよ? それと俺からも愛する妹へ一つ約束しておくよ」
シンシアが俺を見上げる。
「俺は絶対に戻る。だからもう泣くな」
頼むよシンシア。
妹たちに頼ってばかりの身としては、お前やパルミュナに泣かれると底抜けに辛いんだよ・・・
++++++++++
翌朝から俺とパルミュナはみんなと離れて、ごく普通の馬が牽く、ごく普通の荷馬車に、ごく普通の服装で乗り込んだ。
実は乗っている二人が勇者と大精霊だってのは普通じゃ無いけどね。
ま、それは見た目じゃ分からないはずだ。
荷馬車と同様に服の方も、二人ともリンスワルド牧場から屋敷に向かった時に来ていた村人風の衣装に着替えているから、ぱっと見では産物を持って商いに出た村人か行商人にでも見えるだろう。
以前にリンスワルド牧場からアスワンの屋敷にこの荷馬車で赴いた時のパルミュナは、村娘の安い服と高級肌着のギャップが云々と面白がって騒いでいたけど、さすがにあの時よりは真剣だ。
お気に入りの真珠のネックレスも、万が一にも誰かに見られたりしないように俺が預かって革袋に仕舞い込んだし、馬車の荷台には、もしも誰かに覗き込まれた時に怪しまれない程度の荷物と飼い葉を載せて帆布を被せてある。
しかし、パルミュナと二人、荷馬車に乗ってノンビリ旅をするなんてあの時の妄想が、まさかこんな形で実現するとはな・・・
もちろん心情的には欠片もノンビリなんか出来ないんだけど、これは普通の馬が牽く普通の荷馬車だからね。
そもそも大したスピードは出せないし、物理的にノンビリした移動にならざるを得ないのだ。
「ねー、ドラゴンがいるらしい場所まで、レンツから十日くらいかかるって話しっだけー?」
「そうだったな」
「馬車でー? 徒歩で?」
「どこまで馬車で行けるか次第だろうなあ。山の中腹って事は最後の数日は絶対に徒歩だろうけどね。山頂とか言われてないだけ、まだマシだよ」
「じゃー最後の方はずっと革袋の中かー。退屈しそー」
つまり徒歩の行程は全部、俺に運ばせる気だなパルミュナ?
いいけどさ。
本当はパルミュナに姫様達を守って貰って、俺一人でドラゴンに会いに行くつもりだったんだけどなあ・・・シンシアが精霊魔法を自在に操れるようになったから、逆にパルミュナを麓に残していく言い訳が立たなくなってしまった。
「むしろ退屈なら有り難いかな。山に入る途中の『家畜を皆殺しにされた』って牧場の辺りでは、何が出てきてもおかしくないって思ってるよ?」
「そーよねー...」
「気になるのは、なんでエルスカインが魔獣を持ち込んでまで山裾の住民達を追っ払ったのか、さ」
「それってさー、ドラゴンが暴れ者だって印象にする為でしょー?」
「それはそうなんだけどな...レビリスの言ってたように、領主をホムンクルス化して操ってるんだったら、住民達を追い払うほど魔獣を暴れさせる必要なんてなさそうだろ?」
「逃げてきた人達もみんな、ドラゴンが怖く逃げたんじゃなくって魔獣が怖くて避難したって言ってるらしいもんねー」
「だろ?」
「んー、じゃあレンツの古井戸を魔法陣にする工事の為に人を集めたかったからとかー?」
「それは理由の一つにはなっても、そのために...とまでは思えないんだよな。土木工事くらいは領主の命で人を集めれば済む話だし、避難民達は丁度良くそこに居るから使うって程度の存在じゃないか? しかもレンツより先に行かせない理由にもなるし」
「つまりー...ドラゴンの噂を立てるだけじゃなくって、山裾から人を追っ払うこと自体が目的で魔獣を暴れさせたとかー?」
「ああ。そんな気がしてる」
「なんでー?」
「さあ? 人に見られたくないものが山裾にあるのか、これから作るのか、単にそこに人が居ちゃダメなのか」
「んー、仮に人嫌いなドラゴンだとしてもさー、山や森にポツポツ住んでる人達の気配まで嫌うってのはなさそー」
「だよなあ...街のレベルで気配が集まっていない限りは、気にも留めないだろうしな」
「昨日見た避難所の人達くらいの人数じゃさー、まとめて住んでも街にはならないよねー」
「それにな、エルスカインなら見られたことを気にするよりは、サクッと皆殺しにしそうじゃないか? それこそ魔獣の群で」
「たしかにー!」
「じゃあなんで人を追っ払ったんだ? 何を隠してるんだ? ってのが謎だな。それは行ってみなきゃ分からん」
「はっはーん...」
パルミュナが不意に俺の顔を覗き込んでニヤニヤし始めた。
「なんだよ?」
「なんだかんだ言ってたのに、それで姫様達と二手に分かれるのにアッサリ同意したんだー!」
「ホントはお前もみんなと一緒に残してきたかったんだよ?」
「知ってるー」
正直、俺の中にも葛藤はあるんだ。
認めるのは辛いけど、まだ修行中の見習い勇者というかへっぽこ勇者の俺には、パルミュナの助力なしで乗り切れる状況がそう多くないことも分かってるからね・・・