荷物の詰め直し
心優しいアサムは魔獣によって家を追われた人々の事を案じているが、ここの状況は南部大森林のルマント村とはかなり異なっている。
「魔獣の目撃談を集めると、『知らない魔獣』とか『これまで見た事も聞いた事もない』とかってセリフが出てくるそうだ...ねえウェインスさん、ウォーベアやブラディウルフなら北部大山脈にもいますよね?」
「普通に居りますな。餌が豊富なら里や街道には降りてこないでしょうけれど、存在自体は知られているでしょうし、シュバリスマーク側でも時たま山奥に深入りしすぎた樵や山菜採りが犠牲になったりしていました」
「じゃあ聞いた事もないって話にはならないな。こりゃ当たりか...ホントにアサシンタイガーかもよ」
「だけどレビリス、ちょっと不思議じゃないか?」
「なにがさ?」
「普通の村人がアサインタイガーを『目撃した』って後に、そのまま無事に生きて戻れるもんかな?」
「あ...」
凶暴な魔獣のテリトリーに入って遭遇すれば即座に襲われる。
破邪や手練れの狩人ならともかくも、農民や炭焼きにどうこう出来る相手じゃない。
魔獣を見たけど被害は出てないって言うのは、ちょっと旧街道の化物騒ぎを思い出させる話だ。
「まあ今はそれは置いといて...家畜を皆殺しにされたって話がある高原の牧場の場所も突き止めてあるな...それと避難所仲間で、ドラゴンが飛んでるのを見たって人も見つけたって。山奥で樵をやってる人で、レンツの真北に見える山並みで三番目の高さの山の中腹当たりに降り立つ姿を何度か見てるんだそうだ」
「おっ! ついに来たか!」
「何度か降り立ってるって事は、やっぱりそこにねぐらがあるのかな?」
「多分そうさ!」
ドラゴンは確実にいる。
だけど暴れてるのは魔獣だけ。
やっぱりレビリスの推測が有ってるとしか思えないな・・・とにかく、一日も早くドラゴンに辿り着けるように急ごう。
明日からは俺とパルミュナがみんなと少し離れて行動することになるから、早速準備に取りかかる。
なんの準備が必要かって言うと、俺がみんなの側を離れた途端に『革袋』からの補給が途絶えるっていう重大事があるからだ。
もちろん、シンシアがアスワンの屋敷に転移して補給物資の運搬を担うことも出来るけど、切迫しつつあるこの状況の中で可能な限り無駄な魔力を使って欲しくないし、なによりもシンシアが屋敷に戻ってる間は、こっちに残っているみんなの防護結界を動かせないというのが危ない。
かと言って、パンや塩漬け肉を取りに屋敷に戻る度に、八人で揃って転移するって言うのも馬鹿馬鹿しい話だろう。
それこそ魔力の無駄遣いだな。
なので、保存に問題の無い食料なんかを革袋から出して、できるだけ荷馬車の方に移しておく。
荷馬車はこのまま姫様達の側に置いておかないと、もしもレンツやドルトーヘンで俺たちを観察していた奴がいたら『馬車が一台少ない』となってしまうからね。
代わりに俺とパルミュナが明日からどうやって移動するかというと、実は取って置きの手があるのだ。
俺はみんなから少し離れて空いてる処に行き、初めてアスワンの屋敷に行った時に収納したままだった荷馬車と馬を革袋から引っ張り出した。
馬は、一瞬体を震わせてビックリしているようなそぶりを見せるが、怯えて暴れたりはしないようだ。
いま立っているのは収納した時の屋敷の玄関ではなくて森の中の草地だけど、この馬にとっての一瞬前と変わらず目の前には俺が立っている。
それに時間も午後遅めってくらいでそれほどズレてないし、どうやら納得してくれたらしい。
「おぉぅライノ、それどうしたんだよ?」
「コレか? リンスワルド牧場からアスワンの屋敷まで最初に乗っていった時の荷馬車だよ。元を正せばギュンター邸からシャッセル兵団が乗ってきた奴だ」
「そう言えばあったな、そういうの...」
「生きてる馬もずっと革袋に仕舞ってたのか、凄いな」
「明日から俺とパルミュナはこれに乗っていくよ。悪いがそっちの荷馬車の御者役はアサムかダンガに頼む」
「了解ですライノさん」
「わー、懐かしい匂い! あの牧場の草の匂いがしっかり残ってますね!」
さすがレミンちゃん、恐るべき嗅覚・・・
だけどこれは人の匂いじゃないから暴露しても問題ないね。
俺とパルミュナが二人で使っていた馬車は、元からほぼ寝台車兼荷馬車状態だったけど、ここから先はもう完全に貨物専用車だ。
窓のカーテンを閉めていれば中に人が乗っているかどうかは分からないから、荷物が満載状態でも囮としては問題ない。
さらに緊急時には魔馬が牽く方の荷馬車を放棄することも考慮して、みんなの乗用馬車の方にも可能な範囲で食料を分散させて積むことにした。
俺の離脱で御者が一人減る分はダンガかアサムにカバーして貰えるけど、万が一、彼ら三兄妹が狼姿に変身して闘うとか周囲を警戒せざるを得ない羽目にでも陥ったら、レビリス、ウェインスさん、それに馬車の扱いを覚え立てのシンシアの三人に御者をやって貰うしかない。
その時点で荷馬車か、俺とパルミュナが使っていた乗用馬車か、どちらかは放棄になるだろうな。
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荷物をまとめ直して夕食を作る頃にはすっかり夕暮れが近づいていた。
「では、今日の手紙箱を確認しようと思いますが、ライノ殿からは何かございますか?」
「例によってスライへの報告を頼みます。今日レンツを出たって事と、斥候班とは連絡が取れたけど合流するかどうかはまだ未定だって伝えておいて下さい」
「かしこまりました」
さっそく姫様は、シンシアが開いた転移門の上に乗って屋敷と手紙箱をやり取りし始めた。
これまでの処、俺たちがいなくなった後に王都やリンスワルド領で不穏な出来事は起きていないようだけど、一日ごとに状況は変わる。
ましてや、すでにレンツの街がエルスカインの影響下にあるとしたら、今後はどんな行動を取られるか想像も付かないからね。
「トレナからの報告では、まだいずこでも大きな問題は起きていないようです。それからジュリアがヒューン男爵について調べた結果を送ってきてくれました」
「どんな様子です?」
「今代のヒューン男爵家当主は病弱で以前から人前に出ることが少なく、日頃は摂政として男爵の伯父に当たるイステル卿がほとんどのことを取り仕切っていたようだと。王都での行事にもヒューン男爵自身が参加したことはなく、イステル卿が代理で来ていたようですね。ジュリアもすっかり忘れていたそうで」
「あちゃー...怪しさパンパンって感じだなライノ...」
「ねえライノさん、それに病弱って言うのも気になるよね? 新しい体とか長い寿命とか騙されて、ホムンクルスの誘惑になびきやすい気がするんだよ」
「アサムの言う通りだな」
「これまで病弱で人前に出ることがほとんど無かった当主がさ、今回のドラゴン避難民の件では陣頭指揮を執ってるってのは無理があり過ぎさ。いきなり健康でやる気満々の男に変身したってか?」
「ないよな、それは」
「となるとさ...これはヒューン男爵自身かイステル卿のどっちか...場合によっては両方が懐柔されてるとかさ、ホムンクルス化されてるって可能性もあるよな?」
「いやレビリス、懐柔されただけなら健康にはならないだろ?」
「あー、それもそうか」
「覚悟はしてたけど、なんだかキツイな」
「ライノ殿、確証はございませんがヒューン男爵の状態は推測通りと考えて動く方が安全でしょう。予定通りに明日からは少し離れて行動すると言うことに」
「ですね。姫様達はどのくらい間隔を空けて動きますか?」
「大きく離れる必要は無いと思いますので、明日は街道脇で馬車の修理でもしているフリをしておこうかと思います。もし、追ってくる者がいれば必ず引っ掛かるでしょう。何事もなければ、その後ライノ殿の跡を追ってみようかと」
「分かりました。俺とパルミュナは朝から北上して、その三番目に高い山というところの中腹を目指します」
「承知しました」
「ですが姫様、くれぐれも気を付けて下さい。ヒューン男爵が敵に回ったなら騎士団も敵です。ジュリアス卿からの勅書状で身分を明かしても信用されない...いや、あえて無視したり詐称だと言い出す可能性もあります。治安部隊も上からの指示なしでは味方になってくれないでしょう」
「はい、相手はエルスカインでございます故、元より伯爵家や大公家の肩書きなど役に立つことはないと弁えております」
「危険だと感じたら、躊躇せずアスワンの屋敷に戻って下さいね?」
「かしこまりました。無理はしないとお約束します」
「お願いしますよ。姫様達に危険が迫っていると感じたら、俺もドラゴン探しに注力できませんから」
「優しいお言葉、ありがとうございます」
姫様の返答がなんとなく固い。
ここまで言っておいても、姫様が無茶をしないかどうか微妙なところだと内心思ってるんだけど、やっぱり・・・
いや正直かなり心配だよ。
ヒューン男爵がエルスカインに下ったのなら、もはや大公陛下に従う謂れは無いだろう。
直接の叛乱計画では無いにしても、存在としては二百年前のガルシリス卿と大差ない。
ジュリアス卿の勅書状があろうと、すべて見ない振り・・・いや、皆殺しにした後で知らない振りをするだけだし、仮に治安部隊が味方についても、こんな田舎に常駐している人数なんてたかがしれてる。
加えて姫様がリンスワルド伯爵家当主であることがバレた時点で、姫様もエマーニュさんもシンシアも、もはや誰一人ホムンクルスに出来ないって事を知らないエルスカインは、むしろ積極的に姫様を殺してホムンクルス化しようと動くはずだ。