気休めでも時間差出発
翌朝、ようやく空がすっかり白くなったという頃合いで、俺とパルミュナは荷馬車に乗ってみんなよりも先に街を出た。
夜間は市壁の門を閉めると言っていたから闇に紛れてこっそり出るという訳にもいかなかったし、あまり早すぎるのも目立つから、農家や人足の人達が街を出入りし始める時間帯に紛れ込もうという算段だ。
案の定、門番はこちらに目もくれない。
そもそも、朝になって街から出る人々については気に留める理由もないのだろうけどね。
「よし、このまま少しだけ北上したら、適当に幕営が出来そうな場所を探してみんなを待とう」
「りょーかい。でもあんまり遠くまで行かない方がいーよね?」
「ああ、姫様達が馬屋を出るのは昼前頃にして貰ったからな。半日以上も離れちゃったら、みんなに暗い中を進ませることになりかねない」
スライからも「知らない土地では絶対に夜中は馬車を走らせるな』と忠告されている。
それは路面がよく見えなくて事故を起こす確率が跳ね上がるって言う理由と共に、万が一でも盗賊連中に狙われない為もある。
暗い道を倒木で塞いで馬車の足を止めて襲いかかる、というのは割とポピュラーな手段なんだそうだ。
俺に言わせれば、剣士や魔道士の護衛が一緒でもおかしくない高級馬車なんか、襲った盗賊団が生き延びられるかどうかの方が分の悪い賭けじゃないかな? って思うんだけど。
まあ、世の中には後先を考えない馬鹿が多いのも事実だからね・・・
そのまま街道を少し走っていると、街から離れた草地にシンプルな掘っ立て小屋がいくつかと帆布製の幕舎が建ち並んでいるのが見えた。
どうやらそれが、山際から避難してきた人々を収容している仮住まいらしい。
これから夏だからいいようなものの、この標高で冬だったらあんな幕舎で過ごすなんて目も当てられないな。
遠目にも煙が立ち上っている炊飯所と、その前に列をなしている人々が見えるから、たぶん朝ご飯の炊き出しが始まったところなんだろう。
「お兄ちゃん、お腹空いたー!」
その光景を見たパルミュナが思い出したように叫ぶ。
俺たちは馬屋で朝食が出される前に出てきたから無理もない。
「何が欲しい?」
「甘いものー!」
「朝ご飯だろう?」
「朝ご飯だよー?」
うん、リンスワルド家の朝食は色とりどりのジャム三昧だったからな。
もちろん革袋には色々な料理が入ってるんだけど、御者台の席上で熱い物なんか食べさせる訳にも行かないし・・・馬車が揺れた次の瞬間、スカートの上に汁物をぶちまけて慌てるパルミュナの姿が目に浮かぶよ。
食べ物を粗末にするのは良くないな。
「じゃあコレだ。いつぞやの残り物だけどな」
そう言って革袋から『銀の梟亭』謹製イチゴのタルトを一切れ取り出して渡した。
「わーっ! やったぁ!」
「さすがにお茶は入れてられないから、喉が渇くなら水を飲めよ」
「苦いエールでもいいよ?」
「やかましいわ」
++++++++++
それから数刻走ったところで川沿いの草地を見つけ、馬車を乗り入れた。
その草地は地面の起伏と木立に遮られて街道からは直接見えない場所に有ったんだけど、何本もの轍が道を外れてそちらに向かっていたことに気が付いたのだ。
恐らく、地元を行き来している農家や行商人達が休憩や夜明かしに使っている場所に違いない。
広くて水場も近いし、道からは見えない場所に有るから安心して寛ぐことが出来る空間だ。
「ここなら夕方までに姫様達も着けるよねー」
「だな。ただ薄暗くなってからだと轍の跡を見つけられないかもしれないし、俺たちがここに入ったとは分からないだろうな...歩きならダンガたちが匂いで気付いてくれるだろうけど」
「じゃー、表の道に出て見張ってる?」
「いや、ちょっと歩いて街道に目印を立ててくるよ。破邪同士が使う合図だから、レビリスやウェインスさんは必ず気が付く」
「へー」
「お前はここで休んでていいぞ」
「ううん、アタシも一緒に行くー!」
パルミュナはそう言って自分から革袋に飛び込んだ。
おい、それは『一緒に行く』って言う分類に入るのか?
どっちかと言うと『運んで貰う』って分類に入るんじゃないのかな?
道とも言いにくい、草を踏みしだかれただけの轍の跡を街道までテクテク歩いて戻ると、パルミュナがしれっと革袋から出てきた。
俺が道端に生えていた木の若枝を数本切り取って棒にし、それを道の端に突き立てている様子を興味深そうに見ている。
「何してるの?」
「これは破邪同士が使うサインなんだ」
「この立て方とかに意味があるの?」
「そういうことだな。何本もぐるっと棒を突き立ててから、上を木の皮でまとめて縛っただろう? これで『ここに野営できる場所がある』って意味になる」
「へー」
「今朝、街を出てすぐに避難民達の仮住まいを見ただろ? コレは、ああいう帆布の幕舎を真似た形なんだよ」
「へーへー」
「ちなみに棒を三本を並べて突き立てれば『救援求む』って意味になる」
「へーへーへーっ!」
「他にも行き先を示したり、逆に『こっちに来るな』って教えたり、色々な合図があるんだ。それから『へー禁止』な」
「へっ、そんな合図もあるの?」
「あるかバカモノ」
「ひっどーい!」
超々久しぶりに腰に両手を当てて仁王立ち、ほっぺたを膨らませているパルミュナの姿が超可愛い。
「万が一レビリス達がこれを見逃しても、俺たちは気配で気が付くだろうけどな。うっかり通り過ぎられると面倒だ」
「そーだね。後は...何かの事情でここまで来れなかったとかー?」
「その場合は手紙箱でやり取りすればいいさ。それも無いとなったら本気の緊急事態だ。シンシアと指通信で事情を聞いて、それでもダメなら全速で戻って探しに行くしか無いだろ?」
「シンシアちゃんがいるから大抵のことは大丈夫だと思うけどさー」
逆に言えば、それでも不測の事態に陥ったとなれば、並大抵の出来事じゃないって話だな。
でもまあ、あまり不吉なことは考えないようにしておこう。
++++++++++
太陽が山際に掛かり始める頃、無事に全員が幕営地に到着した。
俺が立てて置いた目印を見つけたのは姫様達を乗せた馬車の御者をしていたウェインスさんなんだけど、レビリスに言わせると、もしも自分だけだったら怪しかったらしい。
もっともダンガたちは匂いで気が付いていたそうだから、仮に目印が無くても通り過ぎはしなかっただろうけどね。
「いやー、言い訳になっちゃうけどさ、俺はフォーフェンの街と岩塩採掘場を往復してばっかりで、何人かで討伐隊を組んで動くことなんか無かったからなー。そういう追跡サインを使うってことすらサッパリ忘れてたよ...」
「タウンドさんの言うとおり、ここ最近は旧街道の調査以外に大きな依頼や遠征もありませんでしたからな。仕方ないでしょう」
「うぅ、ウェインスさんって優しい...」
「まったくだな!」
「くっ...ついこの前は俺がライノに『そろそろ野宿の技術とか忘れ始めてんじゃ無いの?』なんて生意気を噛ましたってのにさあ...恥ずかし過ぎるぞ!」
勝手に悶えているレビリスはさておき、ダンガが手紙を持ってきた。
「ライノが出発してから届いたんだ。また俺が受け取っておいたよ」
「昨日と同じ小僧さんかい?」
「ああ、同じ子だったな。馬屋のある通り沿いに出してる小間物屋で店番してるんだって。昨日も今日も、服から木材に塗るワニスの匂いをさせてたよ」
「ってことは、木工細工の店で働いてるんだろう。なら、俺たちはその前を通ってきた訳だな」
斥候班からの追加連絡だけど、今回の手紙は例の封蝋と帯紐で封をしてあった。
俺たちが馬屋に入ったことを小僧さん経由で知り、落ち合う為の情報をすぐに寄越したんだけど、こっちの動きの方がちょっと早かったか・・・
早速開封してみると思ったよりもびっしり書き込んであるし、手書きだけど目的地へのルートを説明した簡単な地図も有る。
俺たちがいると確定したから細かな情報も書いてきたんだな。
「おっと、斥候班は難民の避難所に潜り込んでるそうだよ」
「ええっ、あの街外れの原っぱにあった仮住まいか?」
「うん。なんでも山際の集落をぐるっと調べて回ってから街に戻ったら、向こうが勝手に避難してきた猟師の一団と間違えて誘導されたらしい」
「なんだそりゃ...まあでも有りそうな話か」
「そうだな。だから落ち合うとしたら直接避難所に尋ねて来られるよりも、メッセージの受け渡しをしてる小僧さんに居所を書いた手紙を渡してくれたら斥候班の方から会いに来るって」
「妥当だね。避難民に王都の商会が会いに行くのも不自然だろうしさ」
今回も斥候班のメンバーが馬屋に自分で手紙を持ってこなかったのはそれが理由か。
「ライノさん、他に情報は?」
「いくつかの集落で聞き込んだり、途中で出会った猟師とか炭焼き職人なんかに聞いた限りじゃ、みんなが怖がってるのはデカい魔獣の方でドラゴンじゃないそうだ」
「やっぱりなあ...」
アサムがそっと溜息をついた。
アサムたちの立場にしてみれば、この地の住民達は自分たちの故郷と似たような危機にさらされているって話だからな。
同情したくもなるだろう。