寄り合い所の情報
翌朝、俺たちが出発する時には馬屋の中庭は静かで、昨日の番頭は姿を見せなかった。
まあ無理もない、か。
番頭さんの代行らしき若者に諸々の料金を払って礼を言い、中庭から三台の馬車を出す。
なんで馬車が三台かって言うと、早朝の内にウェインスさんに荷馬車で出発して貰っているからだ。
フォーフェンなんかに較べればドルトーヘンはこぢんまりした街だし、四台の馬車で乗り付けるのは避けたい。
スライじゃ無いけど、『目立ちたくないなんてどの口が言うんだ?』って状態だからな。
そこで、姫様の馬車の御者をレビリスと交代して貰って、ウェインスさんが一人で荷馬車に乗って寄り合い所に行き、適当に話を聞いてから街の外で合流するって言う段取りにした。
雇われの荷運びや警護要員が、お客人達を乗せた馬車に先行して下調べや調達に向かったりするのは、ごく普通の振る舞いだからな。
もちろん、こっちの存在を凄く気にしている人達がいたら、こんなのカモフラージュにもならないだろうけど、それは構わないというか仕方が無い・・・
しかし昨日の姫様の見事な政治手腕で、俺たちのドルトーヘン入りが予想外に隠蔽されることになったのは嬉しい誤算だな。
もちろんエルスカイン自身の手が回っていれば別だし、人の口に戸は立てられないって話ではあるけど、レンツまで隠密に行ける可能性が高まったとしたら、それだけで万々歳だ。
仮に、あの馬鹿なオッサンの繋がりでこの土地の領主を全面的に敵に回したとしても、それがエルスカインに関係無いのであれば、俺や姫様にとってはどうと言う事も無い相手ではある。
ちょっと面倒臭いって言うだけだな。
昨夜の一件で、ヒューン男爵が『私利私欲』で動くタイプの領主だって疑惑はかなり濃厚になったけれど、それでも現時点ではあくまでも可能性の一つに過ぎないしね。
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馬屋を出た俺たちは、そのまま何食わぬ顔でドルトーヘンの街を通過し、レンツへ向けて数刻ほど馬車を走らせたあたりの川沿いに、ウェインスさんと荷馬車の姿が見えた。
出発して以来ずっと天候には恵まれているけど、今日も良い天気だ。
街道脇の広くて明るい草地に停めてある荷馬車と、その脇に座っている破邪の装いのウェインスさんの姿がとてもマッチしている。
それに魔馬も遠目に見ると、本当に北方系の大きな長毛種みたいに見えるもんだな。
まるで北方諸国から南下してきた遍歴破邪の旅姿って感じだろうか?
いや、ウェインスさんはまさに『北方諸国から南下してきた遍歴破邪』そのものな人だったな。
遍歴破邪が滅多に馬や馬車を移動に使わないって事は、この際忘れておこう・・・見た目の雰囲気もいいし。
「ありがとうございますウェインスさん。寄り合い所はどんな状況でした?」
俺たちも馬車を草地に乗り入れながら、立ち上がったウェインスさんに尋ねる。
場所も頃合いも丁度いい按配だし、ここで情報共有を兼ねた午前の休憩としよう。
「ある種、クライスさんの想像通りでしたかな?」
「じゃあ家畜の殺戮は魔獣の行いって事で落着ですか?」
「ええ。最初はドラゴンの仕業として話が伝わってきたそうですが、その日に飛んでいるドラゴンを目撃したものは誰もいない。それに放牧していた家畜たちがやられたのは深夜だそうで、どうにもドラゴンらしくないと」
ドラゴンは特に夜行性という訳じゃあ無い・・・と言うよりも、捕食者として考えれば最上位にいるから夜の闇に紛れる必要性が無いって言う方が正しいのかな。
それにパルミュナが『ドラゴンは魔力を食べて生きてる』と言ってるように、食料として獣の肉が必要な訳でも無いからね。
気晴らしに喰らう事はあっても、必須じゃあ無い。
まあだからこそ、さしたる必要も無く牧場の家畜たちを根こそぎにしたとなれば、それは『気晴らしや遊びで獣たちを惨殺した』という訳で、暴れ者と評価されるのも無理はないのだけど。
「大山脈の近くは凶暴な魔獣も多い、それがドラゴンの影響で山を降り、麓に追い出された魔獣達が飢えて家畜に手を掛けたのじゃ無いかと、そんな話になっているそうです」
「ドラゴンがレンツの先に来てることは確定事項なんですね」
「ええ。それとレンツの向こうは元から魔獣の多い土地なのだそうです。実際、大山脈が魔獣の巣窟である事は疑いようのない事実ですから嘘では無いでしょう」
そこを一人で山越えして通り抜けてきたウェインスさんが言うと、半端じゃない重みがあるね。
改めて凄い人だって思うよ。
「ただ、森から魔獣が出てくる事は滅多になく、レンツの先の集落でも、家畜はともかく人が被害に遭う事はこれまで滅多になかったそうです。なんでも、レンツから先の古い街道沿いに集落が続いていて、その周辺には魔獣が寄りつかないらしいですな」
最初にパルミュナと合流して二人で歩き始めた山あいの道もそうだけど、長い年月に渡って人が通り続けた道には大きな魔獣が寄りつかない。
だからこそ、ラキエルとリンデルを追い掛けてくるウォーベアに出くわした時には面食らったんだけどね。
「人の気配が濃く残ってる場所なんですね?」
「でしょうなあ。ただ、古い街道と言っておりましたが、どこかに繋がってるという訳では無いようです。寄り合い所の世話人にも『人捜しなら仕方が無いけれど、レンツまで行っても結局また同じ道でドルトーヘンに戻ってくる事になるぞ』と忠告されました」
「なるほど。何処かへ抜けるつもりなら無駄足になるって事か」
「じゃあ家畜の殺戮も魔獣の仕業って扱いならさ、破邪が地元の騎士団と一緒に牧場へ検分に行って終わりってところかな?」
「いいえタウンドさん、ドルトーヘンからは誰も検分には行ってないそうですぞ」
「えっ?」
俺とレビリスが驚くと、ウェインスさんはニヤリと笑った。
「寄り合い所に依頼は出なかったそうですな。魔獣の話もあくまで伝聞として流れてきたそうで」
「ええぇ...」
「まあ、寄り合い所の方は『偶然、近場に遍歴破邪でもいたのかも知れないが』とは言ってましたがね。でも結局どこからも誰からも、この件に関する連絡は無かったそうですな」
「ウェインスさん、それはさすがに怪しすぎますよ...」
百歩譲って、ドルトーヘンの街の寄り合い所に話が届く前に、偶然居合わせた遍歴破邪が騎士団から頼まれて検分を引き受けたってのはあり得るとしよう。
でも普通なら、仕事の後で地元の破邪にも一報くらいは入れる。
ましてやレンツとドルトーヘンの間は一本道で、他の土地へ行くルートも無いって事だったら、レンツに来ていた遍歴破邪がどこに行くにしてもドルトーヘンに戻ったはずだ。
それで寄り合い所に一報も入れてないってのは、生まれ育ちに拘らずに連携を重視する破邪らしくない。
遍歴破邪なんて、結構な頻度で地元の破邪の『一宿一飯』に頼る事も多いってのに・・・
いや違うな。
答えは簡単、そんな破邪は存在してないって事か。
ウェインスさんも、寄り合い所の連中の言い訳がさすがに苦しいということは承知しているから先に一本道の話を出したんだろう。
正体不明の破邪なんか元から存在しないってことだ。
「つまり、破邪衆は誰も現場を見てないって訳ですか?」
「少なくともドルトーヘンの破邪衆は家畜を殺戮したのがドラゴンだったのか魔獣だったのかを確認していません。そもそも何頭ぐらいの家畜が被害に遭ったのか、その場で食い散らかされたのか、それとも連れ去られたのか。それすらはっきりした情報は無いようでしたからな」
「いや、もしも連れ去られたって言うならドラゴンでしょうけどね。少々デカい魔獣でも牛や馬を丸のまま運んでは行けないでしょう?」
「ええもちろん。ただ、最初はドラゴンの危険さを伝える話として伝わってきたけれど、また後からあれは魔獣の仕業だったという噂が流れてきたと言うだけです」
「じゃあ公式にはドラゴンの仕業ってままなんですね?」
「そうなりますね。魔獣の方はただの噂でしょうから」
「勝手に調査に行った破邪とかはいないんですか?」
「そういう話は出ませんでしたな。わざわざ地域領民として騒ぎ立てたくも無いでしょうし、レンツまでは結構な距離ですから」
破邪が検分すれば、魔獣の仕業かどうかは確定的になる。
つまり、破邪衆の寄り合い所に騎士団から検分の依頼が出なかった理由は、それを騎士団が・・・つまり領主が、『ドラゴンの狼藉ということにしておきたかった』からだとしか考えられない。
街の住民達はドラゴンの飛来をあまり大袈裟に捉えていないらしいのに、なぜか領主側は恐怖を広めて人々を追い払いたい。
そんな状況が有るとしたら、エルスカインが関係してるって理由しか無いだろうな。
「ウェインスさん、やっぱり俺には昨夜のレビリスの推測が正しいように思えますよ...」
「私も同感ですな。騎士団の判断が解せないと言う事は、つまりヒューン男爵の意図が背後で動いているように思います」
「悩んでいても仕方ないさライノ。とにかく用心してレンツに向かおうよ」
「まあそれしかないな。とにかく急ごう」
昨夜、ジュリアス卿はヒューン男爵の過去の動向について調査してくれると返答してくれたそうだけど、内心では期待薄な気がしてるんだよね。
もしもヒューン男爵が姫様やエマーニュさんのように、日頃から人前に姿を現さないタイプの領主だったとすれば、少々の不在を誤魔化すのは容易そうだしなあ・・・
ともかく、ドラゴンに関してヒューン男爵が大公家へ報告した内容の違和感は、エルスカインの企みに関係している可能性があるかもってことで全員一致の印象だったんだけど、『じゃあ具体的にそれでどんな行動を?』となると、未だ見当が付かない。