意趣返し
「し、しかし...今から手紙を出しても王都に届くまでの日数は早馬を使っても...」
オッサンがなんとか報告させるのを断念させようと取り繕う。
「気に致しませんわ。どうせ荷物の確認に三日、徴税金の返還に一週間かかる予定だったのですし、そもそもわたくしどもは急ぎの用があって旅をしている訳ではございません。ですので気が変わりました。税率表では無く、三日後に積み荷の確認をして頂いてから税金をお支払いすることに致します。その後は、この街の周辺で捜し人の情報を集めながら、一月ほど物見遊山して過ごしましょう」
もし本当にそうなっても、俺とパルミュナは自由に行動できるから問題ないね。
「その手紙が、正しくリンスワルド伯爵家に届くかも定かでは無いし、往復でもっと日数が掛かる可能性も...」
「かもしれませんが、リンスワルド伯爵家では常にわたくしどもの居場所を確認しております。今日も、ドルトーヘンの街に到着していることは伝わっておりますので心配有りませんわ。こちらで何か動けなくなる事情があったのだと理解されるでしょう」
「す、すでに手紙を?」
「いえ、これがあれば、わたくしどもの居場所は常に伯爵家に伝わります」
そういって姫様は胸元からリンスワルド伯爵家の家紋入りペンダントを引っ張り出した。
「この紋章をご存じでしょうか? ミルシュラント公国の貴族家に連なる方であれば一度は見ていらっしゃると思うのですが」
「そ、そのペンダントは、も、もしや...」
「ええ、正式なリンスワルド家の探知魔法ペンダントです」
この紋章に手を出せば田舎町の代官など一瞬で吹き飛ぶ。
「これは、わたくしが生きて身に着けている間だけ機能しますので、持ち去られたり、わたくしにもしもの事があれば、その場所で何かあったと分かります。もちろん、手紙のやり取りがございますので心配はありませんが、あまりにも長い間動きが無く、手紙も届かないとなれば伯爵家からの捜索も来ることでしょう」
このオッサンが起死回生の一手と錯乱し、紋章を見なかったことにして姫様を襲ったり、馬屋から手紙を出させないようにしたら逆に終わりだ。
もちろん実際は姫様に傷一つ付けることも出来ない・・・と言うか、このあと転移で屋敷に戻れば済む話なんだけれど、彼らにはそのことが分からないからね。
これ以上の面倒ごとを避ける為にも『手を出せない』ってことは飲み込んでいおいて貰った方がいい。
「ところでインメル殿、税制の中身を報告に添えなければなりませんので、先ほどの公布を拝見させて頂けますか? こちらとしても内容を控えておきたく存じます」
はい、もう姫様が完全に逆脅迫モードに入りました。
「あ、後で写しをお届けしよう」
「はい。それはそれとして、いまは要点だけ書き写しますので」
「しかし、書き写しに間違いや誤解があると...」
「インメル殿と騎士殿たちの見ている前で書き写し、その内容をご確認頂ければ問題ないのでは? それとも公布を読み上げることは出来ても、見せることは出来ない事情でも?」
「そ、そんな事は無い! あれは正式な物だ!」
「では、正式に効力を発した公布を見せられない事情など有り得ませんわ。そこに書いてある内容自体に問題があるので無い限りは」
「くっ...」
オッサンが従者に顎をしゃくった。
これ以上抵抗してもムダだと悟ったのだろう。
従者がオッサンの顔色を窺いつつも、公布を記した巻物を姫様に差し出す。
それを優雅に受け取った姫様はするすると開いて目を通すと、ニヤリと微笑んだ。
ちょっと怖い。
「公布の日付が記してありませんが?」
「それは、先ほど話したように緊急の案件ゆえ本日発効したばかりだからだ」
このオッサンとしては、臨時収入が得られるならばそれで良し、女性を屋敷に連れ込めるならそれでも良しってところで、本当にこの税制が発布されたことは無いに違いない。
オッサンが獲物を見つけたら当日発布で、目的を果たしたら執行停止だな。
だから、この『公布』には本来は絶対に有るべき公布日がワザと記していない。
「そのような理由で正式な公布であるにも関わらず、ここに日付が記していないのですね?」
「その通りである」
「ではそれで良しと致しましょう。公布に日付が記載されていない、ということをインメル殿が認められたので、こちらも誤りなく王都に報告できますから」
オッサンの顔が真っ青になった。
恐らく、本来の代官も親戚筋でなあなあの話が付いているんだろうし、領主であるヒューン男爵自身も血縁者には甘いに違いない。
そうで無ければ、爵位も持ってない代行の代行がここまでの無茶は出来ないはずだ。
しかしリンスワルド伯爵家を通じて、この話が大公家に上がったとしたらどうなるか?
そうなったら、事はこのオッサン一人の処分では済まない。
本来の代官だろうヒューン男爵の血縁者にも責は及ぶし、男爵自身が王宮に呼びつけられて釈明を求められる可能性もある。
このオッサンがその後にどんな立場に陥るかは火を見るよりも明らかだ。
命があればめっけもの、かな?
いやいやいや、姫様を脅迫して屋敷に連れ込んでナントカしようなんて企んでたって話が伝わった時点でジュリアス卿から八つ裂きにされるよな・・・
青い顔になったオッサンが固まっていると、エマーニュさんとダンガが戻って来た。
ダンガはずっしりと重そうな木箱を抱えている。
本当に金貨を運んできたのはいいけど、その箱、三十枚と言わずに入ってそう。
「ごめんなさいエマーニュさん、ダンガ殿。折角運んできて頂いたのに、インメル殿に税金をお支払いするのは三日後になりました」
「あらそうですの? ではまた戻して参りますわね」
「明日で構いませんわ、今夜はわたくしたちの部屋に置いておきましょう」
「わかりました」
闖入してきた五人の顔色が悪い。
金貨の詰まった木箱を自分たちの目前で平然と持ち歩き、あまつさえ宿屋の部屋に置いて眠れるというのが、どういうことなのか・・・いや、自分たちがどういう一団を相手にしているのか、このオッサンや騎士達にもはっきり分かってきたらしい。
この一行に手出しするのは、間違いなく伯爵家と大公家に喧嘩を売ることになる。
代官ごときが証拠隠滅を謀って誤魔化せる相手じゃあ無い。
「ですがインメル殿...私が納税をしない代わりに王都に報告をしないという可能性もあります」
姫様がそういってニッコリと微笑んだ。
怖い。
もはや、清楚な旅装の姫様が美しい毛並みの豹だとしたら、この装飾過剰な服を着込んだオッサンは豹に睨まれている野良猫に見える。
「む、無論、税額については酌量の余地がある。徴税が必須という訳でも無い」
「左様でございますか。ただ、わたくしどもとしても報告をしなくて済む『理由』が欲しいところですわね」
「それは、どのような、その、条件で...?」
ついにぶっちゃけたな。
許して貰える条件を言ってくれ、と。
「先ほども申し上げたように、わたくしどもは人捜しの為にこの地を訪れております。探している理由は申し上げられませんが、言うなれば身内だけの問題でございます...従いまして、わたくしども一行がこの地を訪れていると言うことを、余所の方々には一切知られたくありません」
「その、つまり...例えばシャッセル商会の者は誰もドルトーヘンを訪れてなどいない...ですとか?」
「仰る通りでございますわ。わたくしどもの消息はリンスワルド伯爵家と大公家だけが知っていれば良いのです」
「なるほど...では...我が輩も騎士達も今日この馬屋を訪れてはいないし、商会の方々にも会っていないという訳ですな?」
「ええ。何も起きていないのであれば、誰もなにも口にすることはありません。騎士の方々も、何処かで証言を求められることなど決して起きないでしょう。インメル殿はシャッセル商会の者になど会っていないのですからね」
そこに決着を持っていったか!
さすが姫様だ・・・
いつの間にかオッサンの口調が丁寧になってるし。
「りょ、了解ですな。では、その...そう言う話となりまして、我が輩達は馬屋で誰にも会わなかったままに戻りましょう」
「それで結構です。明日になれば、この馬屋の者たちも今夜泊まった客のことなど綺麗に忘れていることでございましょうし?」
この部屋に入ってきた時とは打って変わってビクついた様子で五人はすごすごと去って行った。
騎士達も代官代理の命令には逆らえないから、護衛というか威圧係って感じで連れて来られたんだろうけど可哀想だったな。
これじゃあドルトーヘンの街が衰退する訳だ。
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「あの様な者が跋扈することを許しているのは領主の責任です。血縁故に甘やかしているとするならば、ヒューン男爵の統治は言語道断でございましょう!」
変な闖入者たちが立ち去った後に、姫様はズバリと斬り捨てた。
あのオッサンも、本当の代官も、恐らくヒューン男爵家も、未来は暗いな。
だけど俺としては姫様が一緒にいればこそ、こういう解決が出来たんだなって改めて認識したよ。
正体を明かさず、暴力も使わず、見事に撃退しただけで無く口封じまで。
リンスワルド家紋章入りのペンダントを、あれほど見事なタイミングで使ってみせることが俺に出来ただろうか・・・
言うまでも無く無理だったな。
俺はエルスカインの暴力から姫様達を守るにはどうすればいいかって発想しかしてなかったけど、リンスワルド家一族の知力や知識に頼ってる場面は幾らでもある。
実際、シンシアの能力があったからこそ手紙箱が出来上がったことを目の当たりにしていたのに。
その立場を使うかどうかは別として、ジュリアス卿が姫様を『博士』という肩書きにしておいたのは冗談でも何でも無く、それが姫様に一番活躍して貰いやすい立場だと知ってたからだ。
そして姫様は自分の能力を正しく理解しているからこそ、自分が役に立つ場面があると信じてドラゴンキャラバンに一緒に来てくれたのだ。
ここのところ姫様を保護対象としてしか見ていなかった俺って、実は勇者の力に酔ってたのかもしれん。
世の中は、武力で片が付くことばかりじゃないし、大抵が良い結果にはならないって自分でも分かってたはずなのにな・・・
今回もしも姫様が一緒にいなかったら、俺はあのオッサンに対してどう振る舞っていたんだろうかと考えずにはいられない。




