馬屋に宿泊
少しばかり好奇の視線を浴びながら世話係の男達に馬車を引き渡し、番頭さんに案内して貰って二階の客室に向かう。
歩きながらみんなに部屋割りを説明したけど、誰からも異論が出なかったので俺の思いつき通りの采配で各部屋に分かれて貰った。
驚いたのは姫様達三人が見るからにワクワクしてる事。
もうね、表情がキラキラしてて楽しそう。
考えてみればこの御三方は、乗合馬車が使う馬屋の安宿なんて泊まったことがあるわけないよな。
領地の視察の時なんかも、下手に小さな宿屋を使うよりは、あの巨大な白い馬車で寝泊まりしてる方が快適かつ安全そうだもんね。
王都までの旅路でも基本は野外で幕営だったし。
よし、庶民体験のついでに今夜の食事はここで用意して貰うか!
この手の宿では好きな料理を注文するっていうのは無理だけど、一行の身なりが良いからお店側としては作れる範囲で良いものを出してくるだろう。
「番頭さん、食事は用意して貰えますか?」
「はい。下の食堂には個室もございます。十人様でしたら窮屈にはならないでしょう。もちろん、お部屋で召し上がる方がよろしければ運ばせますが?」
馬屋の中庭とは言え、あれだけ注目を浴びておいて今さら目立たないようにもへったくれもあったもんじゃ無いよな。
それに今日はできるだけ全員揃った状態で話をしたいし、二人部屋に十人で入り込んで座るのは難儀だろう。
「いや、食べに行きますから個室を空けておいて貰って下さい」
「承知致しました。準備が出来たらお声がけしましょう」
ちょっとした身の回りの荷物と手紙箱だけを持ってそれぞれの部屋に分かれ、食事の準備が出来て声を掛けられるまで一休み、ということにした。
馬車の方は四台ともパルミュナの結界が張られているから、馬や荷物をどうこうされる心配はない。
こっそり何かを仕掛けることも不可能だ。
実際は扉の鍵を壊すことすら出来ないだろうけどね。
「パルミュナ、みんなの部屋にも一応の用心と静音を頼めるか? それと、手紙箱のやり取りは姫様の部屋がいいと思う。念のために結界隠しの魔道具も部屋ごとに置いとこう」
「りょーかーい!」
部屋に入ってまずベッドにゴロリと転がるパルミュナに頼んでから、備え付けの小さな机に斥候班からの手紙を置いた。
見たところ開封された様子はないようだ。
外見的に異常が無いことを確認してからナイフで封蝋をガリガリと剥がすと、手紙を巻き止めてある帯紐と封蝋が一緒に崩れて全部が粉々になった。
姫様達がやり取りするような手紙は、途中で内容を盗み見られないように紋章を押した封蝋の上に封印の魔法を掛けたりもするけれど、斥候班にはそういう魔法を使える兵士がいない。
なので、商会などで普通に使われている魔道具の封蝋と帯紐で留めてあるんだけど、これは力技での開封を防げはしないものの、もしも開封されたら跡が残る。
丸めた紙を帯紐で縛った上から対になっている封蝋で固めてあるんだけど、これは魔力で固めてあるから普通のロウのように熱で溶かすことが出来ない。
一度粉になった封蝋は溶かして固め直すことも出来ない上に、帯紐も一緒に千切れてしまうから、どうやっても元通りには出来ないっていう上手い仕掛けだ。
そもそも商会の連絡文書なんて、無関係な人の興味を惹くものでもないだろうけどな。
一つ目の手紙の中身は付近で収集した情報をとりまとめた報告と簡単な地図だったけど、報告内容は出発前にスライから聞いていた下調査の内容と大きくは変わらなかった。
二つ目の手紙は斥候班がレンツに着いてからまとめてくれたものだから、ドルトーヘンからレンツまでの街道筋の街や村で集めた情報だ。
こっちにはレンツまでの街道筋の詳しい情報や幕営候補地、途中の街や村で補給できる物資なんかも細かく書いてあって有り難い。
二枚分の報告を読み耽っているとパルミュナが戻って来た。
「結界張ってきたよー」
「おう、ありがとな」
「お手紙って、なにが書いてあったの?」
「斥候班が調べてくれたレンツまでの街道筋の情報と、ドラゴンについてだ」
「じゃあ居場所が分かったとかー?」
「おおよそは、だな。ドラゴンについての調査内容は以前とそんなに大きく変わってないな...ここから大山脈に向けて北上したあたりにドラゴンが居着いているのはほぼ確実、ただし、目撃情報には時期的にムラがあるので常にそこの寝床にいるとは限らないと」
「それは当然よねー、ドラゴンだし」
ドラゴンはそれこそ何十年も一カ所でじっとしていることもあれば、ただただ、気の向くままにあちこちを飛び回っているように見える時もある。
そして、その理由は人には分からない。
どうやら大精霊も知らないっぽい。
「で、現時点で推測されるドラゴンの居場所に向かうには、分岐した街道の先にあるレンツの街から、さらに小さな村を幾つも通り過ぎて山へ踏み込んでいく必要があると...これはレンツからも結構な日数が掛かりそうだ」
「どのくらい?」
「書いてないな。そもそも道次第だし山の中腹は歩きだろうから予測が付かないよ。それと、ドラゴンによって牧場の家畜を根こそぎにされたという村も、その途上にあるらしいぞ?」
「そこに行けば、もうちょっとドラゴンの詳しいことが分かるかもねー」
「そうだな...ただし、ドラゴンに家畜を根こそぎにされたという話も、犯人はドラゴンでは無く、ドラゴンに怯えて人里に降りてきた魔獣の群では無いか? という噂もある、と」
「えー!」
「うーん、これの判断は悩ましいよ。付近にドラゴンがいるなら、どちらもあり得る話だからなあ...それで『表沙汰になってはいないものの、山際の人々が村を離れて逃げ出しつつあり混乱が起きているという噂がある』とも記してある」
「なんかフワッフワな話ばっかりー!」
「仕方ないさ。結論として、斥候班が聞き込んだ限りでは『領民がドラゴンによる直接の被害に遭った』という事実は確認されなかった、だとさ」
なるほどね。
だったら危険と言うほどでも無いか・・・
ドラゴンが牧場の家畜を根こそぎ喰ったか攫ったかしてたら確かに大騒ぎだろうけど、話に出てるのはその一件だけで、しかも、それを直接見た人がいる訳じゃあないっぽい。
挙げ句に魔獣の仕業だったって噂も出てる上、他にドラゴンが人里に降りてきて狼藉を働いていた様子も無い。
「だったらさー、こっちのドラゴンでもそれほど危険じゃ無さそう?」
「ああ、暴れ者という評判の割には特筆するような被害は出てないらしいって話だ。そうすると予定通りに、まずこっちのドラゴンに会いに行くプランで進めるのが良さそうに思えるな...あれ? 待てよ...ちょっと変じゃないか?」
「なにがー?」
「そうなると、こっちのドラゴンが『暴れ者』だっていう評価は、そもそもどこから出てきたんだ?」
「へ?」
「ちょっと解せない感じがしないか? 暴れ者って言うほど暴れてないだろ?」
「解せないって、暴れてないことが謎って意味?」
「謎ってほど大袈裟じゃ無いけどね。腑に落ちないって言うかなんて言うか...ま、後でみんなと相談かな?」
ちょっと引っ掛かるものは感じたけど、これ以上ドラゴンの情報について二人で考え込んでいても埒が明かない。
まだドルトーヘンに着いたばかりなんだし、後はみんなで一緒に考えることにしてパルミュナと駄弁っていると、馬屋の使用人が食事の用意が出来たと呼びに来てくれた。
早い。
そして楽・・・なんの作業もせずに手紙を読んでパルミュナと駄弁っていただけで食事の時間になってしまった。
いつもなら、幕営地に着いたらまずは魔馬達の世話だ。
飼い葉と魔石を食べさせて、水場が近い時は七頭の身体を洗ってあげたり、ブラシを掛けてあげたり・・・
それが一通り終わる頃には、大抵レミンちゃんとウェインスさんが食事の支度を済ませてくれていて、みんなで焚き火を囲んで夕食を取る。
食事が終わって調理器具や食器の片付けを始める頃には、辺りが少し暗くなり始めてるって頃合いだな。
それに較べると、久しぶりに宿を使うことの楽さを痛感するね。