アスワンの小箱
「お父様、ここだから良いですけど、私のことは軽々しく口にされない方が良いのでは?」
シンシアさんがちょっと説教臭い台詞をジュリアス卿に投げかけた。
なんでこう娘さんと言うのは父親に対して厳格なんだろう?
実際シンシアさんがジュリアス卿のことを心の底から敬愛していることは、見ていても良く分かる。
なのに、どうも当たりがキツイというか言葉が厳しいというか・・・
「許してくれシンシア。逆に、この仲間達の間で無ければ、我が如何にお前を愛しているかさえ口にできんのでな? ここは気を緩められる数少ない場所なのだよ」
「それはまあ、分かりますけど...」
「シンシア、ジュリアは日頃、最愛の娘を誰にも自慢できずに寂しいのですよ。仲間内では許してあげましょう?」
今度はちょっと照れてる風な表情になったシンシアさんに向かって、姫様がやさしく諭した。
「はい、お母様」
シンシアさんはそう言ってスッと椅子から立ち上がると、ジュリアス卿の処へと歩いて行く。
ジュリアス卿も、いきなりの娘の態度に何事かと少し驚いているけど、シンシアさんは気にせずジュリアス卿に近づくと、その頬に軽くキスをした。
「お父様、いつも気に掛けてくださってありがとうございます」
「おお、おおぅっ! 父は嬉しいぞシンシア!」
シンシアさんはさっと自分の席に戻って何食わぬ顔をしてるけど、ジュリアス卿の表情は天にも昇りそうな感じだよ。
父親だなあ・・・
「うぅっ、いつのまにかシンシアが本当に親思いの淑女に育ってくれて...」
「お母様! そこで涙ぐみますかっ?!」
ジュリアス卿とは対照的に姫様が目頭に指を当て、それを見たシンシアさんがちょっと憮然とした表情になる。
うん、話題を変えよう。
「それにしても、ジュリアス卿が急に来てたんでビックリしましたよ?」
「うむ、実はシンシアに頼んで融通して貰ったのだ」
「融通?」
「実は今日、私とお母様の二人でお父様の私室に伺ったのです。日頃は王宮内では出来るだけ目立たないようにしているのですけど、腹心の方々は私やお母様のことも存じてらっしゃいますし、使用人の方々を人払いして頂いて...」
「ああ、じゃあ転移魔法陣を?」
「はい。勝手ながら、お父様の私室の奥に転移門の魔法陣を置かせて頂きました。お父様一人でここに転移することは出来ませんが、手紙箱でのやり取りなら出来ますから」
「なるほど、その手がありましたね! 直接ジュリアス卿と手紙のやり取りが出来るなら俺も心強いですよ」
「ライノ殿にそう言って頂けるとは、大公冥利に尽きると言うものだ」
待てパルミュナ、いつの間にジュリアス卿に『冥利』なんて言葉を教えた・・・
それともこれってシンシアさん経由なのかな?
++++++++++
空気が和んだところで、俺が銀の梟亭で仕入れてきた料理をテレーズさん達に渡そうとダイニングから出ると、シンシアさんがすっとその後に付いてきた。
「どうしました?」
「あの...ライノ殿にちょっと伺いたいというか相談したいことが...」
「はい?」
「先日、大精霊アスワン様から頂戴した小箱なんですけど...」
「ああ有りましたね、そう言うこと。甘いものでも入ってましたか?」
「ええ、砂糖菓子が入ってました。本当は触らずに家宝にしようかと思ったんですけど、手紙箱の件が上手く行ったので自分自身へのお祝いに一つ食べたんです。吃驚するくらい美味しいものでした」
「うんうん」
「それで、今日もお父様の部屋に上手く転移門を開くことが出来たので、そのお祝いという理由でまた一つ食べたんです。ホントは美味しくて我慢できなかっただけなんですけど...」
「いいじゃないですか。パルミュナを見てれば分かると思いますけど、大精霊だって意外と甘いものが大好きですよ?」
精霊の水を使うだけでスープがグンと美味しくなる位なんだから、アスワンが作った砂糖菓子なんて美味しくて当然だろう。
あの賢者姿で砂糖菓子を作ってるというビジュアルのアンバランスさはさておきだ・・・
「でも、食べてから気が付いたんですけど、砂糖菓子が減ってないんです」
「え?」
「とても大切なモノですから数を数えていました。手紙箱が上手く行った時に一つ食べて、今日も一つ食べて、本当なら二つ減っているはずなのに、よく見たら一つも減ってないんです!」
「あー...そういうことですか...」
これはアレだ。
精霊の『箱』を使った補給と同じスタイルの魔法が効いている感じだな。
食べた分だけ自動的に補充される仕組みになっているとしても驚かないぞ。
「シンシアさん、それはアスワンが俺に補給物資を渡してくれる時に以前使ってた方法とかと同じで、その小箱の中が精霊界と半分繋がってるような感じだと思いますよ」
「えぇっ?!」
「きっと食べた分だけ補充されるような仕掛けをアスワンが施してるんでしょう。彼はそう言う手の込んだ物作りが大好きですからね」
「食べても減らないのですか?」
「たぶん。いつか限界はあるのかもしれませんけど」
「では...あの砂糖菓子は皆さんにも振る舞った方が良いのでしょうか? それとも頂いたモノを勝手に振る舞ってしまうとアスワン様の機嫌を損ねたりしてしまうでしょうか?」
そう来たか・・・
悩むポイントがいかにもシンシアさんらしいよね。
「えーっとですね。まずシンシアさんがあの小箱をどういう風に扱ったとしても、アスワンは絶対にそれを不愉快に感じたり機嫌を損ねたりはしませんよ。それは俺が保証します。だけど...別の意味で砂糖菓子をみんなに振る舞うのは控えた方がいいかもしれませんね」
「そうなのですか? それは何故でしょう?」
「その砂糖菓子が精霊魔法によって産み出されているものだからです。俺とシンシアさんは、すでにアスワンから精霊の力を得ているから問題ありません。だけど、普通の人が迂闊に精霊の力を体内に取り込んでしまうと、思いがけない影響が出ることもあるんです」
俺は精霊の水を体内に取り込んだことによってダンガ兄妹に何が起こったかを、シンシアさんに簡単に説明した。
変身したダンガ兄妹の『狼姿』が他のアンスロープに較べ、著しく大きくて力強いことはスライが証言している。
俺の目から見ても、ポリノー村の時点に較べてギュンター邸でのダンガたちは二回りほど大きくなり、アサシンタイガーを瞬殺できるほどのパワーとスピードを身に着けていた。
ただ・・・パルミュナがそれを『相互作用』と評したように、あれは防護結界を移されたアンスロープ族という特殊な器というか、事情があってのことだし、逆に言えば他にどんな理由でどんな作用が出るかもハッキリ分からない。
ダンガたちだって、さらに精霊の力を取り込んだ時に、もっと強く大きくなるのか、それともなにか意外な副作用的なモノがありうるのか、それは大精霊自身にも分からないことなのだ。
「そうだったんですか...では、あまり迂闊なことはしない方が良さそうですね...」
「まあアスワンには何か考えがあって、シンシアさんにあの小箱を渡したんだと思いますよ。だから、シンシアさんは自分が思うように扱えばいいと思うし、食べても減らないって事は、好きなだけ食べていいって事です」
俺がそう締めくくると、シンシアさんはにっこりと微笑んだ。
「あんな美味しい砂糖菓子を食べ続けたら、あっという間に太ってしまいます。あの小箱は、自分を節制する心の強さを試されているのだと考えるようにしますね!」
パルミュナに聞かせてあげたい、このセリフ・・・
++++++++++
シンシアさんと話した足で、俺はキッチンに行ってテレーズさん達に仕入れてきた料理を渡した。
「テレーズさん、料理はテレーズさん達の分も併せて十四人分貰ってきたんですけど、予想外にジュリアス卿が飛び入り参加してたんで、これで十五人分に適当に配膳して貰えませんか?」
「大丈夫ですわクライス様。昼に頂いた川鱒が余っていますので、私達はそれも頂きますから」
「いいですか?」
「もちろんでございます!」
「すみません、こんどなにかで埋め合わせしますね」
「どうかお気遣い無く。わざわざ料理をお運び頂いた上に、主様と同じものを頂戴できると言うことは身に余る光栄でございます」
「大袈裟ですよ、テレーズさん」
取り敢えず、料理一式とエールの樽をドンと渡してダイニングルームに戻ると、ウェインスさんもようやく口が滑らかになってきている感じだ。
しばらくそんな感じでワイワイやっていると、トレナちゃん達が人数分の皿に取り分けた夕食を運び入れてきた。
あらかじめキッチンで用意してくれていたパンや副菜と一緒に、スープ皿から湯気を立てている羊肉の煮込みとダンプリングが運ばれてくる。
何しろ、出来たてをそのまま革袋に入れてきたからキッチンで出した時には、まだ熱々だ・・・って言うか、この熱々を維持する為に、ギリギリまでテレーズさん達に渡さなかったんだからね。
そしてエール。
折角の『銀の梟亭』の料理なんだから、今日は貴族風の晩餐じゃなくて『市井の食堂で晩ご飯』っていうノリで行かせてもらうよ。
「昨日の茹で豚も凄かったけど、これも旨いなあ...羊特有の臭みが全然無くって」
「むしろ芳しいってぐらいですね!」
「どうやったら、こんな風に出来るんだろうね?」
喜んでくれ料理人兄妹、匂いに敏感なアンスロープにも好評だぞ。
「なんだか煮込む前に肉から脂をよく抜いて、更にいったん炙るとか、ハーブで煮込んでとか、凄く手を掛けてるらしいよ」
「へー、こんどやってみるかなあ...」
「でも兄さん、これはそう易々とは真似出来ない気がします」
「そうだよね、みんな自分たちの目玉商品のことは本当に色々と研究してるもんだよ!」
料理の寸評にまで兄妹の個性が出てて面白いな。