ミルシュラント大公
そして大公陛下との面会当日・・・
「あら? ライノ殿は、そちらの服になさったのですか?」
「ええまあ。大公陛下に会うのに貴族服というのもなんだか面映ゆくて」
姫様がちょっと意外そうな顔をしているけど、今日の俺とレビリスは、随分久しぶりに引っ張り出した破邪の装いだ。
これを着てると、なんとなく心が落ち着くね。
ダンガたちも姫様が誂えてくれたアンスロープ族の装束にしているし、パルミュナもフォーフェンで買った旅装に着替えている。
「いや、パルミュナは萌葱色のドレスでいいんじゃないのか?」
「こっちがいーの!」
「そうか? まあ王宮内に出る訳じゃないからいいけどな」
「だって初めてお兄ちゃんに買って貰った服だもん!」
「まあ、そう言って貰えれば嬉しいけど...でもその服に真珠のネックレスはどうなのかなって...」
「いいの!」
「はいはい...じゃあ姫様、俺たちは牧場経由でアスワンの屋敷に行ってから、昼前を見計らって居室に転移しますね」
「承知しました。よろしくお願い致します」
姫様と段取りを確認した後、俺たちは皆で牧場に向けて出発だ。
この人数でいっぺんに会議室や客間に長時間籠もっているフリをするのはちょっと辛いし、メイドさんや家僕の人のウッカリって言う危険もあるからね。
なにより別邸はそれなりに外部の人間の出入りが多いのだ。
幾ら大きな屋敷だと言っても、気を遣うに越したことはない。
「離れの茶の部屋が完成したらさ、用心の為にこういう見た目の手間を掛ける必要も無くなるよなあ」
「そりゃ面倒と言えば面倒だけど、別邸と牧場を馬車で行き来する事はエルスカインの目を眩ます意味があるから、無駄って訳じゃないよ。むしろ回数が多いほどいいんだ」
「それもそうか...にしてもさ、連日、結構大勢の人が出入りしてるよな。さすが大貴族」
「そりゃ別邸にいる家人だけでも結構な人数だからな。日々の飲食だけでも相当な量が搬入されてるだろうし、いまは茶室の建設もあるから尚更だろうね」
「職人達や資材を搬入してくる業者の数だって凄いもんな」
「後は貢ぎ物を抱えた商人とかも多いらしいね」
「それってさ、賄賂持ってきて商売させてくれ、みたいな奴?」
「そもそもリンスワルド領って『御用商人』の制度が無いんだよ。でも、それを逆に受け取って、貢ぎ物が多ければ御用商人になれるチャンスがあると勘違いする商家もいるんだって。まあ基本的に門前払いだそうだけど」
「それも姫様っぽいな」
「それに姫様の場合は、日頃は王都にいないからってのも理由らしいけどね。だから、このチャンスに姫様に会いたいって人達の面会希望が多いらしいよ」
「逆に言うと他の領地持ちの貴族ってさ、自分の領地よりも王都にいる人の方が多いって事かい?」
「らしいね。前にエマーニュさんが『自分が官邸にいなくても特に問題ない』って言ってたけど、割とそういうものだって」
「そうは言ってもさ、領主としてやる事は沢山あんじゃないの?」
「そうだけど国政に関わるレベルの上位貴族にとっては、王都にいる方が都合がいいらしいね。ただ、姫様はそういう国議への参加義務は免除されてるそうだけど」
「ふーん、色々と特別だな姫様のところは」
「そりゃあ、一人娘の爵位継承者が実は大公陛下の娘って時点で、何が特別でも驚かないけどな」
「まあな...でも領主が王都にいるって事はさ、領民や領地の商人達は陳情やら商談のたびに王都まで来なきゃいけないって事だろ? 周りも大変だろうな」
「それもあって御用商人制度が一般的なのかもな。だけど、そもそもで言えばリンスワルド領やキャプラ公領地みたいに、領民からの声を受け取る窓口が整ってる方が希だよ」
「そんなもんか」
「ああ。姫様達が異色なだけで、何処の国でも貴族なんて似たようなもんだ。レビリスも余所の土地に引っ越したら、制約の多さとかに色々ビックリするぞ?」
「制約はどうあれ、俺は肉の値段が高い土地には行きたくないね」
そう言えばレビリスは初めて会った時も肉に拘ってたな。
もっとも俺に言わせれば、この郷土愛に溢れる男が肉の値段を理由に旧街道地域から遠く離れる訳が無いと思うけど・・・
「でもさ、姫様が伯爵本人だって事、ずっと秘密にしてたんだろ? いまさら大っぴらにして大丈夫なのかな?」
「ここ二年は療養中のご両親に代わって姫様が代行してるって建前だったから実務上は関係ないらしいよ。それにミルシュラントは爵位の生前継承が出来るから、それで姫様が正式に伯爵家当主になったって言う体にすれば問題ないんだって」
「ん、『ミルシュラントは』ってさ。他の国だと爵位の生前継承って出来ないの?」
「出来ない国もあるよ。エドヴァルなんかもそうだ」
「へー、色々面倒なんだなあ」
「エドヴァルは面倒だな。爵位継承も男子のみって決まってるとか」
「え? だったら貴族家に女の子しか生まれなかったらどうなるのさ? まさかお家断絶?」
「いや、男の子の養子を取るか、直系の娘と結婚した男が爵位を名乗るんだ。だけどその男は、もしも離婚したら爵位を失って家に残った妻が再婚した次の旦那か、もし産まれてたら息子が新たに爵位を名乗る」
「元旦那は爵位剥奪!?」
「爵位持ちの家を離れた時点で無関係な人になったってこと」
「冷たいなあ」
「もっとも上位貴族と結婚するような男は、他の貴族家の三男坊だったりとかで、全くの庶民ってことはまずないけどな」
「なんかさ...色々と大変そうだ」
「正直、そういう決まりが多いのはトラブルの元のような気がするよ。正妻の子供が女の子で側室の子供が男の子で揉めるとか、前に姫様達とも話したお家騒動なんて、エドヴァルじゃ日常茶飯事だもの」
「だろうなあ...」
そんな益体もない話を徒然としていると、ようやく二台の馬車はリンスワルド牧場に着いた。
俺たちは建前上、二日ほど牧場に泊まり込む事にしてあるので、御者さん達にはいったん別邸に戻って貰い、明後日改めて迎えに来てくれるよう頼む。
ちょうど昼飯の為に兵舎に戻ってきていたスライ達に声を掛け、揃って転移門のある荷物部屋に入るとアスワン屋敷へ跳んだ。
シンシアさん達はとうの昔に王宮に着いているはずなので、そのまま地下室で様子を窺うと、居室に座っているシンシアさんとエマーニュさんの姿が見える。
特に問題は無さそうだ。
「じゃあ、このまま王宮に跳ぶから動かないでくれ」
「了解だライノ」
リンスワルド家の居室に出現した俺たち一行を見て、シンシアさんとエマーニュさんがホッとした表情を見せる。
「問題ありませんか? 姫様は?」
「はい、問題ありません。お母様は、共に昼食を取るよう陛下に誘われたという建前でこちらにお連れする事になっています。ここは一番奥の間ですが、ダイニングルームは手前側ですので、大公家の家人が出入りしても見られる事はありません」
先日、パルミュナと一緒に初めてこの部屋に飛んだ時に驚いたけど、『居室』というのは執務室だけの一部屋のことじゃなくて、居間やダイニングルームにキッチン、それに複数の寝室まである、ちょっとした平屋のお屋敷ぐらいの規模だった。
ここは中庭に面した一角にあるそうだし、ザックリ言うと王宮の一部エリアを占有しているって感じらしい。
もしかするとシンシアさんって、別邸じゃなくてここで生まれたのかもしれないな。
「じゃあ、食事が済んだらこっちに来るって感じですかね? 俺たちは念のためにこの部屋から出ないようにしますよ」
「まさかライノ殿に会うよりも食事を優先する事は有り得ません。昼食一回ぐらい抜いても我慢していれば良いだけです」
んー、娘ってどうしてこう、父親に対して辛辣なんだろう・・・?
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まずは俺とパルミュナだけで大公陛下と会って話しをする方がいいという姫様の意見で、レビリスとダンガ達にはここで待って貰い、二人だけで居間の方に移動する。
最初は俺とパルミュナが会って、途中からみんなを紹介するという段取りだ。
居間に入り、置いてあったソファに腰掛けて待つ事しばし・・・
やがて、なんとなく居室内に複数の人が入ってきてザワついた気配が伝わってきた。
シンシアさんは居室全体に静音の結界を張っているそうだから、中で話す事は外には漏れないけど、個々の部屋は区切られてないのかな?
いや、そもそも外部の人間が入ってくる場所じゃないんだから当然か。
そのまま待っていると廊下に繋がるドアが開き、威風堂々たる中年男性が入ってきた。
この人がミルシュラント公国の現君主、ジュリアス・スターリング大公・・・
えっと、つまりはシンシアさんの父親だな!