リンスワルド牧場
牧場で働く人達が住み込んでいる家や搾乳小屋など、色々な建物が集まっている場所に近づいていくと、建物からバラバラと大勢の人達が飛び出してきた。
この人達はシャッセル兵団とは関係無く、以前からこの牧場で働いていた人達のようだ。
四台の馬車が一番大きな建物の前で停まると、その集団の中から年配の男性が進み出てきて姫様の白い馬車の前に跪いた。
ガヤガヤしていた後ろの人達も慌てて跪く。
いつも通りにサミュエル君の開けた扉からエマーニュさんが現れ、ヴァーニル隊長に手を取られてステップを降りる。
そして姫様、シンシアさんと続いて馬車の前に並ぶが、年配の男性は顔を上げずに蹲ったままだ。
「どなたが此処の責任者でございましょう?」
姫様の柔らかな声が響くと、その男性は誰にも目を合わさないようにしながら挨拶をした。
「当牧場の管理責任者の命を賜っておりますマクベインと申します。その馬車の紋章を拝見致しますに、新たに当牧場の主となられたリンスワルド伯爵家様のご一行とお見受け致しますが、姫様方をお迎えする準備がなにも出来ておりません事、どうか御堪忍頂けましたら幸いにございます」
「ご丁寧にありがとうございますマクベイン殿。ご賢察の通り、新たにこの牧場を経営させて頂くことになりましたノルテモリア・リンスワルド家のレティシアでございます。どうか、お顔をあげてお立ち下さいませ」
マクベインと名乗った年配の男性は護衛騎士の中でヴァーニル隊長が一番偉いと言うことを見て取り、微かに顔を上げて必死にアイコンタクトを試みている。
どうやら本当に姫様の言う通りに行動していいのかを確認しているっぽい。
相手は貴族だもんね。
ハーレイの街の顔役達もそうだったけど、姫様の中身がどういう人かを知らなければ警戒するに決まってるよ。
和やかな顔のヴァーニル隊長がマクベイン氏の方に目で合図を送り、顔を上げて立つように促した。
「は、それでは失礼致しまして、お言葉通りにさせて頂きます」
そう言って漸くゆるゆると立ち上がる。
「マクベイン殿、報せも送らずに急に訪れてしまい申し訳ありません。今日はとても良い天気ですので皆でピクニックに行こうと相談し、折角ですから牧場に行ってみようと言うことになったのです」
「左様でございましたか...なにぶん、ここは日頃ご身分の高い方がいらっしゃるような場所では無いものですから、おもてなしどころか、礼儀をわきまえている者さえおりません。どうか、どうか、御堪忍下さいますよう、平にお願い申し上げます」
「ピクニックの準備はすべてこちらで用意して持ち込んでおりますので、ご心配は無用ですマクベイン殿。折角の機会ですので皆様にご挨拶したいと思ってこちらに伺いましたが、後はどこか見晴らしの良い場所で寛ぐついでにギュンター卿の私設兵団の様子でも眺めていけば、それで十分でございます」
「はっ、かしこまりました。こちらから、牧場の様子を知るものを誰かお付けした方がよろしいでしょうか?」
「いいえ、お気遣い無く。牧場のあらましはイザード准男爵家のエイベル卿から伺っておりますので問題ありません。もし、なにか分からないことが出て参りましたら、その節には声を掛けいたします」
「御意にございます。わたくしはこの建物に常駐しておりますので、いつでもお声がけ下さいませ」
とりあえずマクベインさんも、これ以上は貴族家の相手をしなくて済むらしいことを悟ってホッとした表情を見せた。
いつも思うけど姫様の型破りな行動って、『普通の貴族』しか知らない人にとっては本当に心臓に悪いよね・・・
でも実のところ、ここに来た本題は顔見せでも興味本位でも無い。
シンシアさんが前に進み出て、マクベインさんに問いかけた。
「マクベイン殿、私はリンスワルド家筆頭魔道士のシンシア・ジットレインと申します。今回、この牧場の経営がリンスワルド家に移管したことを持ちまして、ここで働く皆さんに新たに宣誓魔法を掛けさせて頂くことになります」
「は、左様でございますか...」
「宣誓魔法を受けて貰う対象者は今後もここで働き続ける意志をお持ちの方のみとなります。退職希望の方は含みません」
「承知致しました」
「今日、なにかの都合や所用でここにいないという方はいらっしゃいますか? 急な病で寝ているとかも含めて」
「いえ、基本的にここの作業員は全員が住み込みでございます。今日、欠けている者はおりません」
「では、今回の経営譲渡の話が出てから新しく入った方はいらっしゃいますか? あるいは長期の暇を取ってから戻ってきたという方は?」
「いえ、そう言う者もおりませんが...」
マクベインさんがちょっと不思議そうな顔をする。
まあ、なんでそんなこと聞かれてるか分からないよね。
この牧場は最近までリンスワルド家や大公家とは特に繋がりの無いイザード准男爵家の所有だったんだから、エルスカインがもっと以前から何かを仕込んでいたという懸念は無いはずだ。
「今この場所に全員がお揃いであれば都合が良いです。では宣誓魔法を掛けさせて頂きますので、皆様、少しずつ間を開けてお立ち下さい。退職を希望される方は脇へ外れて下さい」
もちろんだけど、宣誓魔法を厭がって退職するような人は元から貴族家の事業で働いてないよね。
早速、シンシアさんが無事全員に魂への宣誓魔法を掛けて牧場の従業員達は安全になった。
ホムンクルスも混じっていなかったし、何処にも怪しい気配は漂っていない。
エルスカインが何らかの手段で俺たちの行動を監視していた場合、今日の訪問でシャッセル兵団がギュンター卿の護衛などでは無く、リンスワルド家の臨時兵力として王都まで連れて来られたと確信するはずだ。
場合によっては、これからこの牧場に何かを仕込もうと試みてくる可能性はある。
予防的措置は必要だな。
「パルミュナ、ここにも例の結界を頼めるか?」
「もっちろーん! だけど、スライさん達が寝泊まりしてるのもこの建物なのかなー?」
「あ、どうなんだろ?...おーいスライ、シャッセル兵団のみんなは何処に寝泊まりしてるんだ?」
馬車の後ろに付いてきていたスライに声を掛けて聞いて見る。
「ここじゃ無くて、厩舎の方の建物だ。軍馬と魔馬は全部、俺たちが預かって世話をすることにしたからな。使わねえ馬はこっちの古い厩舎に移しちまったが」
「そっちには元の従業員はいないのか?」
「いねえよ。資材や食料を届けてくれるだけで、泊まり込んでるのは俺たちだけだ。って言うか、傭兵団と一緒の建物に寝泊まりしたがる奴なんて、普通はいねえぞ?」
「それもそうだよな...じゃあパルミュナ、まずはそっちに行って結界を張ろう」
「りょーかーい!」
++++++++++
兵団の寝泊まりしている厩舎兼臨時兵舎に入って結界を張ったあと、少し見晴らしの良い場所を見つけてそこで今日の本題というか建前である『ピクニック』を始めることにした。
スライの心配は無用で、目的地が牧場だと聞かされたトレナちゃん達は、ちゃんと折り畳みのベンチとテーブルを積み込んできていたよ。
さすがだね。
早速テーブルをセットしてピクニックの準備が進められていく。
「スライ、さっき言ってた弓兵が馬の上でクロスボウを扱う訓練って見せて貰えるのか?」
「あのなあボス...競技会ならともかく、貴族様が閲兵している目の前で弓矢を使う馬上訓練なんてありえねえよ?」
おぉ、それもそうか!
不慮の事故や操作ミスでとんでもない方向に矢が飛んでいったとかが起きたら大問題だもんな。
それに大規模な軍隊だったら、暗殺者が紛れ込むとかって懸念もあるかもしれない。
「本当なら団体の模擬戦でもやって見せるところなんだが、今日はボス達が来るとは思ってなかったから何の準備もしてねえ。お望みなら、個人同士で模擬戦でもやらせるか?」
「いや、わざわざやってくれなくていいよ。今日は本当にピクニックに来たんで、閲兵とかそういうつもりじゃないし」
「そうか?」
「スライが前に、俺たちが見に来た方が士気が上がるって言ってたから聞いただけだ。模擬戦はまた今度でいい」
「分かった。じゃあ次は出来れば来る前に連絡をくれ。特に訓練成果を見せる必要が無いなら、今日は離れた場所で、さっきの弓兵の騎馬訓練の続きをやらせて貰うとするよ」
「ああ、それでいいよ」
「一応は危険な事故がないように、一人、この近くにいさせようと思うがいいか?」
「うん。ランチの後でちょっとした頼みごとがあるから、そっちに声を掛けに行くと思う」
「了解だ」
スライはそう言うと馬を走らせて仲間達の処へ戻っていった。
ホント、気の利く男だなあ。