信じるということ
「クルト殿、こちらにいらっしゃるライノ・クライス殿は、実は勇者様なのです」
俺が躊躇している間に、姫様がサクッと断言した。
「いや、なんと?」
「冗談ではありません。貴族風の装束は世を忍ぶ仮の姿、クライス殿は間違いなく人々を導く勇者様なのです」
「まさか? いやしかし...」
クルト卿は、自分自身がなにも危険な目に遭っていないし、恐らく家族も直接的には危険な状態にあったりしていないだろう。
誰かが襲われた現場も実際に見てはいない。
俺やパルミュナに助けられてもない。
・・・だから、信じる根拠がない。
それは致し方ない事だと思う。
「クルト卿、信じられなくても仕方ないと思いますし、なにがなんでも信じて欲しいという訳でもありません。姫様が俺の正体を話したのは、同盟の約束を結んだシーベル家に対して嘘をつかない為ですから」
「クルトよ、この兄が錯乱したと思うのは構わないが、姫様とクライス殿の言葉は疑わないことを強く勧めるぞ」
「えぇっと、素直にお話しすると俺たちがここに来たのは、クルト卿がエルスカインの手に堕ちていないかを確認する為なんです。ギュンター卿のところにいた偽オットーのような、魂を持たないニセモノのホムンクルスは、本人の意志に関係なく死体さえあれば造れるんですよ」
クルト卿が絶句した。
「...では...自分がすでに殺されて、ニセモノにすり替えられていないかを確認しようと...」
「その通りです。そうではないと分かって安心できましたよ。ギュンター卿もホッとされたことでしょうし、俺が勇者だなんて話は忘れて貰っても構いません」
クルト卿は、何か口に出そうとして言い淀んでいる。
何か聞きたいことがあるけど言いづらいとか、そんな感じかな?
例えば、俺が勇者だって証拠を見せてくれとか・・・
「その...伯爵様、どうかお怒りにならないで頂きたい。兄上もだ。もちろんクライス殿も...しかし、自分は公国軍人として、この問いを口にしない訳にはいきません」
「どうか気にせず仰って下さいませクルト殿。どんな話であろうと、わたくしやクライス殿は決して気分を害したりは致しません」
「兄の手紙にも書かれていたホムンクルスが実在し、魔獣使いがそれを作って操れる存在だとして...その...あなた方がそのホムンクルスではない、という証拠はどう確認すればよろしいのでしょう?」
「それは...」
ギュンター卿が驚いて口を挟もうとするが、クルト卿は構わず続けた。
「仮にですが、もし本当のギュンター兄さんもリンスワルド伯もすでに殺されており、そのホムンクルスが私を訪ねてきていたとしたら、自分には、それを見分ける方法はあるのでしょうか?」
なるほど!
言われてみればそれもそうだ。
まず大前提からして疑うべきだよな?
さすがは治安部隊の連隊長だよ!
「すべての話がでっち上げで、フランツ兄さんの封印が押された手紙さえも偽造であったとしても、自分にはそれを見分ける術がありません。魔獣使いの実在は確信しておりますが、逆にクライス殿が魔獣使いの手下や本人であったとしても、自分には判断できません...兄上たちでさえ、何年も身近にいた従僕や家令がホムンクルスにすり替わっていたことを見抜けなかったのだとすれば、どうして自分ごときにそれが出来ましょう?」
「うーむ...」
「伯爵様とそのご友人に対して限りなく無礼なことを口にしているのは自覚しております。しかし、自分がクルト・ラミング個人ではなく公国軍人として考え、動くならば、その可能性を無視する訳には行かないのです。どうか分かって頂きたい」
うん、勇敢な人だな。
俺たちが本当にエルスカイン側の人間だった場合、逆にこんな問題定義をしてしまったら、この場で口封じに殺される可能性だって低くはないだろうに。
「クルト殿、わたくしもその疑問はもっともなことだと思いますわ。まず、わたくしどもがホムンクルスではないという証拠としては、まずこれを見て頂かなくてはなりません」
そう言った姫様の足下に椅子全体を包むように魔法陣が広がった。
ポリノー村の馬車の中で受けた魂の宣誓魔法だ。
それを見たシンシアさん、そしてヴァーニル隊長とギュンター卿の足下にも魔法陣が広がる。
「それは?...」
クルト卿が怪訝な顔をした。
「これは、魂に掛ける宣誓魔法を受けた証です。魂のないニセモノのホムンクルスはこの宣誓魔法を受けること自体が出来ません。ですので、ホムンクルスではないという証拠になるのです」
「しかし、その...私はその魂への宣誓魔法というものを知りません」
「もちろんですわ。知らないものを見せられて証拠だと言われても、とても納得は出来ないでしょう」
「では何故?」
「それでも納得して頂けるからですわ。この宣誓魔法は人族の魔法ではなく精霊の魔法なのです。そして、わたくしどもにこの証を授けて下さったのが、ここにいる大精霊のパルミュナさんなのです」
「大精霊、まさか?」
「その、まさかでございます」
「ねー姫様、精霊の証拠ってどうするのがいーのかな?」
パルミュナは、こういう時にも躊躇しないよな。
「そうですね...わたくしとしては普通の魔法や幻術の類いと思われてしまうようなことは向いていないと思います」
いやいやいや、そう思われる心配のない事ってなにか有るかな?
「いや姫様もパルミュナも。信じたくないと思えば、幾らでも疑う理由は造れるし、そもそも勇者や精霊が存在することを認めないって考え方さえあるでしょう」
「突き詰めれば、そうでございましょうが...」
「だから、ここで人族には出来ないことをやって見せても意味がないんです。それこそエルスカインの操る転移門やホムンクルスだって普通の人には出来ないことですよ? 魔獣を操るだけでも普通の人には出来ない。だからクルト卿の言うことは至極もっともなんです」
「それは...」
「じゃー、どーするの?」
「俺はアスワンとパルミュナに出会った時、その気配の清涼さで二人を即座に信じた。でもな、『信じる』って言葉自体が『証拠がない』事の裏返しだろ? 信じるってのは事実を確認したって意味じゃあ無いんだ。証拠がないことを人に強要しちゃいけないと思う」
「目の前にいてもー?」
「認めなければいないのと同じだよ。お前がここで姿を変えて見せようと消えて見せようと、それが幻惑ではないことをどうやって示す? だったら堂々巡りだろ?」
「そっかなー...」
「お前がふざけすぎて、俺が精霊たちの本気と悪戯の線引きを怪しく感じたことを忘れたか?」
「んー...」
考えてみれば大公陛下だって同じだ。
シーベル卿や大公陛下が勇者の存在を信じてくれたのは、それが『レティシア・リンスワルド伯の言葉だから』であって、俺という存在を見てのことじゃあ無いって話だ。
その『姫様自身の真贋』さえ疑われるとしたら?・・・
いくら鈍感な俺でも、そのぐらいのことは理解できる。
「お騒がせしてすみませんでしたクルト卿。ギュンター卿が本当の兄上と信じるか、偽物だと考えるかはラミング家の問題として、俺たちにどうこう言う権利はありません。姫様が本当のリンスワルド伯であるかは恐らくクルト卿には直接関係してこないことでしょうし、俺とパルミュナのことも忘れて頂いて構いません」
「クライス殿、しかしクルトに真実を...」
「ギュンター卿、クルト卿はホムンクルスではありませんし、エルスカインの闇に取り憑かれている気配もありません。この家の中全体がそうです。今、この屋敷にいる方の中に怪しい気配を纏わせている人はいない。安心できたのだから、それで十分かなって思いますよ?」
「ふーむ...クルトよ、お前の家族は屋敷の中にいるのか? 他に出かけている者はおるのか?」
「今日は後で妻と息子にも兄上に挨拶させようと思っていましたので、別の部屋に控えさせています。お客様というか兄上を迎える日だと分かっていますので、家人で出かけているものはいないはずです」
「ならば安心か...兄弟三人、嫁に行ったグラティアも含めれば四人だが、そのうち二人がエルスカインの罠に嵌められそうになって危ういところだった。この先、お前になにかを仕掛けてくる可能性も無いとは言えん。どうか、十分に気をつけてくれ」
「結界張らなくてだいじょーぶ?」
空気を読めよパルミュナ!
「身の証が出来ないのに勝手にやる訳には行かないだろ?」
「そっかー」
「わたくし思いますに、クルト殿がこれまで狙われてなかったのは、大公家や公国軍の方々がエルスカインの存在を知って、それなりに対抗手段を講じたり、身辺に注意を払ってきたからでございましょう」
「ええ、実際に自分に限らず、軍の指揮官や要職に就く官僚などは特別な宣誓魔法を毎月ごとに受けていますし、極秘に強い防護も授けられています。たぶん、それで手が出しにくかったのでは?」
ああ、ホムンクルス化されなかったのはそれが理由かな?
それに毎月、新たに宣誓魔法を掛け直されているんじゃ、入れ替わる隙は無いかもしれない。
「ならば安心ではあるが...」
「クルト卿、それも極秘ならば俺たちに話すべきではないのでは?」
「クライス殿、そもそも本気で疑っている訳ではないのです。むしろ、先ほどのクライス殿の言葉を借りるなら信じたい」
「そうなのですか?」
「でなければ魔獣使いの話などお伝えしていません。それに、兄上達を疑いたくなどないのです。しかし、兄上と顔を合わすのも久しぶりで皆様とは初顔合わせ...証拠とは言いません...ですが、信じたいけれど自分の中に信じる為の根拠を持てないという葛藤があるのです」
そうか・・・
『信じなくてもいい』なんて、むしろ横柄かも。
俺も信じて貰う為の努力をしないと駄目だよな。
目の前で魔獣と闘ってみせる以外に具体的にどうすればいいかは、まったく思いつかないけど!