シーベル卿の手紙
俺たち一行はクルト卿に誘われて屋敷の中へと入った。
まだ、念のための警戒は怠っていないけど、玄関の内側に入っても怪しい気配はない。
仮にシーベル城のゲオルグ青年の部屋みたいに気配を密封されていたとしても、すでにあの魔道具を知ったパルミュナなら勘づくはずだからな。
俺はともかく。
しかし、あのエルスカインがクルト卿にまったく手を出していなかったとすると、エルスカインが力を及ぼせる対象の数はパルミュナの予想通りにかなり限られていると言うことだろうか・・・
そのまま一行は、にこやかな表情のクルト卿に案内された。
「皆様、どうぞお掛け下さい。謙遜ではなく言葉通りで大したおもてなしは出来ませんが、お寛ぎ頂ければ幸いです」
豪華ではないけれど品良く整った客間に通され、みなが適当な椅子に腰掛ける。
チラリとパルミュナと視線を交わすが、やっぱり彼女も怪しい気配はなにも感じていないようだ。
「急に押し掛けてしまってすまんなクルト」
少し緊張している様子のギュンター卿に、クルト卿は微笑んで答えた。
「いえ、それは良いのですよ兄上。軍人は急な出来事に対応する為の存在。不意のお客様に慌てふためくようでは、どうして軍の指揮など執れましょう?」
「なるほど、それはもっともな話だ」
「それとは別に、おもてなしできないことで心苦しいのは事実ですが...しかし、皆様わざわざフランツとギュンターの弟の顔を見にここへ?」
ギュンター卿が俺の方をチラリと見る。
視線を交わして、クルト卿がホムンクルスではないことを知らせると、ホッと安心した表情をして頷いた。
「実はなクルト、今日は折り入って話があって参ったのだ。姫様方はその付き添いという処なのだが、私の口からそれを説明する前にこれを読んで貰った方が良いだろう。兄上からの書簡だ」
そう言うとギュンター卿は封をしてある手紙を取り出してクルト卿に手渡した。
「フランツ兄さんからの?」
「そうだ。不審に思うだろうがまずは今ここで読んでくれ。聞きたいことも色々出てくると思うから、言える範囲で答える」
「お客様の前で構わないのですか?」
「うむ、家人達は人払いをした方が良かろうな」
「そうですか...では失礼して」
茶菓子を運んできていたメイドと控えていた執事がそれを聞くと、黙って頭を下げて退出する。
怪訝な表情のクルト卿が封印を切って手紙を開いた。
俺は直接読んでいないけど、シーベル卿がエルスカインの企みで息子を殺されそうになったことと、騙されたギュンター卿がそれに巻き込まれる寸前だったことを綴ってあるはずだ。
そして、シーベル家の危機に兄弟三人手を取り合って立ち向かおうと。
果たして、書いてある内容を信じてくれるだろうか?
誰一人として、パルミュナでさえ一言も喋らない中で、手紙を読み進むにつれてクルト卿の眉間に皺が寄ってくるのが分かる。
見ている間に、クルト卿は二回手紙を読み直したようだった。
「兄上、その...この手紙の内容について話す前に聞きたいのですが、今日、リンスワルド伯爵様とご友人がここにいらしているのは、この手紙に書かれている内容に関しては伯爵様もご存じだからと考えて良いのですか?」
ん、姫様への呼び方が変わった?
ああ、クルト卿は姫様が伯爵本人だと知っているんだな。
治安部隊の指揮官なら、それもそうか・・・
「その通りだ。姫様はすべて知っておられる」
「...正直に言うと、兄上方が二人揃って頭がおかしくなったか誰かに騙されていると思いたいところですが...」
「やはり、そう思うか?」
ギュンター卿は冷静だな。
弟の性格をよく知っているのだろう。
「伯爵様、自分からお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます、クルト殿」
「先月、伯爵様が自領内の街道で何者かが操っている可能性のある魔獣に襲撃されたものの、騎士団の方々の奮迅と偶然居合わせた破邪達との協力で無事に撃退した、という情報が入っておりますが、それは事実でしょうか?」
「はい。事実でございます」
「その後、舞台となった村を通じて、グリフォンの亡骸から得た素材が売りに出されているということは?」
「それも事実でございます。襲ってきたのはグリフォンとブラディウルフの群でございました。素材の販売は、わたくしが村に許可したことです」
「お答え頂き誠にありがとうございます伯爵様。...しかし本当にグリフォンに襲われていたとは...騎士団の方々にも、さぞや大きな被害が出たことでしょう。私も兵を預かる者の一人として心中お察し致します」
「いえ、被害はありませんでしたのでご心配なく」
「は?」
「怪我人は数人出てしまいましたが、犠牲者は一人も出ておりません」
「グリフォンに襲撃されたのに、ですか?」
「三頭のグリフォンに、です」
「馬鹿なっ! いや失礼しました。そんな事が有り得るとは...」
「クルト殿が不可解に思われるのは、グリフォンが三頭いっぺんに現れたと言うことにでございましょうか? それとも、それにも拘わらず一人の犠牲者も出さずに済んだということにでございましょうか?」
「...もちろん、事実ならばその両方にですな...いえ、伯爵様の言葉を疑う訳ではありませんが、あまりにも常識と外れているので...」
「それは理解しておりますわ、クルト殿」
「常識としては番い以外のグリフォンが一緒に行動するなど有り得ませんし、また、そんなものに襲いかかられて一人の兵も死んでいないとは、とても信じられません」
「ええ、常識としては仰る通りでございましょう。しかし、それには答えがございます」
「差し支えなければご教示頂けませんか?」
「なぜ三頭のグリフォンが一斉に襲いかかってきたのか? そして同じく普通は群れをなさないブラディウルフが大群で襲いかかってきたのか? それは、わたくしどもの共通の敵である『魔獣使いのエルスカイン』に、それができる力があるからでございます」
「魔獣使い...」
「はい。エルスカインは魔獣を自由に操ります。正直に申し上げて、まさかグリフォンほど強大な存在を操れるとは、わたくしも考えておりませんでしたけれど」
「なるほど...」
「そして、一人の死者も出さずにそれを撃退できた理由は、こちらにいらっしゃいますライノ・クライス殿が、瞬きする間に三頭のグリフォンを討ち取るほどの力をお持ちになっているからでございます」
「え?」
さすがにクルト卿も怪訝を通り越して困惑した表情をするね。
姫様が何言ってるのか分からないって顔だ。
姫様は畳み掛けることはせず、だまってクルト卿の言葉を待った。
うん、なんとなく流れは読めてたから俺は慌てないよ?
「失礼を承知で申し上げるならば、兄上達やみな様方がなにかの妄想にでも囚われているか、幻術にでもかけられているのだったらどんなに良いかと思います」
「クルトよ、私や兄上は構わないが、リンスワルド伯爵を侮辱するのは許されないぞ」
「もちろん、そんなつもりはありません。兄上、伯爵様」
「ではなんだ?」
「話を整理する必要がある、ということですよ兄上」
おおう、さすが軍人は冷静だね!
「兄上、まずこのフランツ兄さんからの書簡、以前だったら兄上はどうしてしまわれたのか? なにかあって錯乱してしまったのかと心配になったことでしょう」
「では、今はその心配はしてないと?」
「この先の話は、本来は家族と言えども話せることではありません。しかし、兄上はともかくリンスワルド伯爵様を王宮にお連れして宣誓魔法を受けて頂くという訳にも参りませんし、兄上も伯爵様も当事者でもあります。どうか、ここからの話は内密にして頂けないでしょうか?」
この言いようは、クルト卿も何か関連のある情報を持っていると言うことだろう。
「かしこまりましたクルト殿、秘密は守ると約束致しましょう」
姫様が返事をして皆が一斉に頷いた。
「では...兄上の書簡の内容、そして伯爵様の今のお話、どちらも頭から一蹴できないのは、それに連なる情報がすでに大公家にもたらされているからなのです
「なんと...そうであったか!」
あ、ギュンター卿には大公家がエルスカインの存在を知っていたってことは、まだ伝えてないんだったな・・・
「兄上、誤解のないように申し添えますとフランツ兄さんの話は初耳です。自分はシーベル家に対する陰謀を知っていた訳ではありません。いかに公国軍人と言えど、秘密保持の為に平然と家族を犠牲にすることなど出来る訳がない」
「分かっているともクルト。お前の優しさは私たちが誰よりも知っている」
「いえ...治安部隊と大公家が掴んでいた情報とは、かねてより『魔獣使い』と呼称されていた正体不明の人物もしくは組織が、最近になってミルシュラントでの活動を活発化させ、なにかを企んでいるようだという事でした」