クルト・ラミング連隊長
ギュンター卿の話によると、王都に着く前に走らせた報せを受けて、クルト卿も兄を迎える為に、今日は軍に出勤せずに在宅しているはずだった。
馬車は貴族街から出ることなく、街路樹の植えられた広い道を淡々と進んでいく。
路上での襲撃もないとは言い切れないという事と馬車の中に姫様と向かい合って座っていると言うことの、二つの緊張する要素の重なりから最初はどうにも落ち着けなかった俺だけど、王都と真珠の話からパルミュナの貰った真珠のネックレスを糸口にして、師匠と南方大陸で遍歴をしていた頃の話を披露してなんとか盛り上がることが出来た。
そんな中でパルミュナは、『汗や汚れを放置していると真珠の輝きがくすむことがある』と姫様から聞かされたとたん、真剣な目をして何重にも防護と保存の魔法を真珠の珠に掛けている。
なんというか・・・我が妹ながら即物的というか現金な大精霊だな!
毎度のことだけど。
しばらくして南東から流れ込んでいる川の大きな橋を渡ると、軍関係者の多くが居住しているという区域に入った。
クルト卿の屋敷はここから少し北にある軍の基地に近いと聞いている。
クルト卿がすでにエルスカインの手に堕ちていた場合も含め、慎重に行動する必要があるだろうな。
なにせ、エルスカインの脅威に直面してない人にとっては、そもそも絵空事のような話だからね・・・二人の兄からの話といえど現実味が薄いというか、それこそ逆に何かに騙されているんじゃないかと疑ったとしても不思議はない。
それに問題は・・・
クルト卿が正気なら、公国軍の指揮官として『魂への宣誓魔法』など絶対に受けてくれるはずがないだろうと言うことだな。
それこそ、ギュンター卿が言ったように、『公国軍の指揮官を務める人物が、ある一個人の配下に下るなどあり得ない、それはミルシュラント公国と大公陛下に対する背任行為である』ってことになる。
エルスカインの脅威を知らない人にとっては、エルスカインも、リンスワルド伯爵も、勇者と大精霊を名乗る得体の知れない兄妹も、等しく公国軍人が恭順を示す必要があるとは考えられない相手だからね。
もしどうしても必要なら、姫様を通じて大公陛下に命じて貰うって事も出来るんだろうけど、とりあえず、シーベル家内部の問題である内は、あまりそういう手は使いたくない。
今後、クルト卿がエルスカインとの戦いに直接関係してくるかどうかは未知数だからな・・・
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クルト・ラミング連隊長の屋敷は貴族街の外れ、公国軍基地からすぐの処にあった。
貴族街にある屋敷と言っても、ごく普通の貴族の屋敷としては小さいかな? と思うぐらいの感じだ。
リンスワルド家で俺の感覚が麻痺しているのかもしれないけど、エドヴァルの基準で考えてもそんなところだろうと思う。
開きっぱなしだった門から屋敷内に乗り入れてみると、一応は前庭も馬車寄せもある玄関だけど、馬車が三台も入ればギリギリだ。
リンスワルド邸基準だと『花壇一個分』と言う感じか・・・
「レビリス、とりあえず待ち伏せなんかは無さそうだけど、用心はしておいてくれ」
「了解さ。今日の俺は御者に徹するからそんな感じで」
「うん、すまないけど頼む」
御者に徹するのがどんな感じなのか良く分からないけど、とにかくレビリスに任せておけば大丈夫だろう。
「兄上! お久しゅうございますな!」
ギュンター卿の到着を知って、玄関からクルト卿が出てきた。
もったいぶったことは一際せずに、さっさと馬車に駆けよって降りてくるギュンター卿を出迎える。
軍服ではなく私服姿だけど、兄二人とはまるで雰囲気が違って服装もシンプル、質素。
兄弟三人の共通点としては、みな髪型がきっちりと整えてあるぐらいか。
「久しいなクルトよ。息災であったか?」
「おかげさまで家族共々、万事順調にございます。兄上の方はいかがで?」
「うむ、まあ私も妻も健康だ。最近ちょっと平穏とは言い難かったがな...」
ギュンター卿の発言に、クルト卿が少し怪訝な顔をする。
「して、あちらの方々は?」
馬車から降りる俺たちの方に視線を向けて、クルト卿が問うた。
とりあえず、今ここから見る限りではクルト卿に不穏な影はくっ付いていないし、敷地の中に例の魔道具が配置されていると言うこともないようだ。
「実は、今朝お目に掛かった時に、お前に会いに行くという話をしたら、一緒に訪問しようという話になってな。先日、私の狩猟地を尋ねてこられて、その際に親しくして頂いたのだが...」
「はい...」
「ノルテモリア・リンスワルド伯爵家の姫様と、そのご友人の方々だ」
「なんですと!」
「今日はお忍びなので護衛騎士以外のお供を連れていない。詳しい話は後でするが、お連れの方々も従者ではなくご友人なので、その点は間違いないように」
クルト卿が目を剥いた。
まあ当然だよね、サプライズにもほどがある。
「いやしかし...今日は兄上一人でいらっしゃると思っていたので、なんの準備もしておりません!」
「それで良い、先触れを走らせた後でリンスワルド邸に立ち寄ったのでな。姫様も、クルトに余計な気遣いや負担を掛けない為に、先触れを出すのはあえてお控えになられた」
「さ、さようでございますか...最低限のおもてなしも出来ない状態ではございますが...」
「うむ、まったく構わないと仰っている」
「で、では」
クルト卿はこちらに歩み寄ると、軍人らしくピンと背筋を伸ばした姿勢をとって敬礼をし、歓迎の言葉を口にする。
「リンスワルド伯爵家の姫様とご友人の方々、ようこそラミング家へお越し下さいました。自分がシーベル子爵家の三男でフランツとギュンターの弟、大公陛下の公国軍において治安部隊の連隊長を務めます、クルト・ラミングにございます」
「えっ、治安部隊!?」
「は、なにか?」
「いえ、失礼しました。連隊長だとは伺っていたのですが、通常軍のほうだと思い込んでいたもので」
「ああ、自分が貴族の系譜だからですね? ご承知の通り、普通であれば貴族家の者は治安部隊の指揮官に就任できませんし、世襲も禁止されております。貴族家との癒着や腐敗を防ぐ為に必要な措置です」
そうだったんだ。
全然知らなかったよ・・・
「ですが、自分がシーベル家の爵位継承権を放棄していると言うことと、逆に貴族の内情に詳しいと言うことが評価されて、特別に大公陛下より治安部隊の連隊長へ就任することを認められたのです」
「そうだったんですか...お目に掛かったばかりで無礼な言葉を発してしまい、大変申し訳ありませんでした」
「滅相もありません!」
「私は姫様の友人でライノ・クライスと申します。よろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします」
クルト卿と握手を交わす。
ふう・・・
直接触れ合ってみてもおかしな気配はないので一安心だ。
「クルト・ラミング殿、ご丁寧な挨拶痛み入ります。ノルテモリア・リンスワルド家のレティシアでございます。また、ご連絡もせず急に押し掛けてしまって申し訳ありません。ご無礼のほど、どうかご容赦頂けましたら幸甚にございます」
「姫様におかれましてはご機嫌麗しく、この場でご尊顔を拝謁できること、望外の喜びにございます。なにもお構いが出来ませんが、どうぞよろしくお願いします」
なんだか、言い方がシーベル家っぽいな。
騎士団のハルトマン隊長を思い出してしまった。
「とんでもございませんわ...こちらが当家の筆頭魔道士を務めておりますシンシア。そしてこちらがライノ・クライス殿の妹君のパルミュナさんです」
「シンシア・ジットレインでございます。急な訪問、どうかご容赦下さいませ」
「姫様の侍女のパルミュナです」
「おお、クライス殿の妹君が姫様の侍女を務めていらっしゃるのですか。さしずめ花嫁修業とか、そういったところですかな?」
「ハイ!」
ハイじゃないだろ、ハイじゃ。
完全に遊び気分なくせに・・・
滑舌がしっかりしていたのは評価するけどね。
貴族家の娘が、より高位の貴族の侍女やコンパニオンを務めるのは一般的な話らしいけど、クルト卿は俺が肩書きをなにも名乗らなかったことは気にしないのか?
内心どういう解釈をしてるんだろうな?