大公陛下の愛娘
「え、娘? えぇ?...えええぇっ!!!」
「はい。シンシアは大公陛下の愛娘です」
「愛娘って言うのはどうでしょうね?」
「そんなことを言うと陛下が泣きますよ?」
「それ、ちょっと見てみたいです」
って事は、シンシアさんの父親って大公陛下なのか!
シンシアさんの父親については、話題にしちゃいけないことだろうと気を回して口にしなかったけど、これはさすがに想定外だ。
きっとアルファニア貴族の男性辺りだろうと思っていたのに・・・
まさかの展開に、俺たち全員が口をあんぐりと開けて馬鹿面を晒していた気がする。
それを見ながら姫様とシンシアさんと、それにエマーニュさんは我が意を得たりとばかりにニヤニヤ顔だ。
ってことはつまり、母親である姫様のお相手・・・というのも微妙な言い方だけど、恋人というか非公式の夫と言うか内縁関係というか・・・そりゃあ、滅多に口に出来ないはずだ。
あ、そう言えば、離れの屋敷はもともと保養で来る大公家のために普請したって言ってたっけ?
「じゃあ、以前は離れの屋敷も頻繁に使ってらっしゃったんですね」
「ええ、私が幼い頃は父も避暑や保養を名目に、度々リンスワルド領を訪れていたそうですので...ただ、自分の記憶はないのですが、私も生まれてしばらくは王都で過ごした時が長かったそうです」
「シンシアは王都の生まれなのです。本当は領地に戻って産みたかったのですけれど、産まれるまで絶対に近くにいるようにと懇願されまして...産まれたらすぐに駆けつけたいからと」
おっと待てよ、大公陛下が人間族なら、シンシアさんが産まれたのはそう昔の事じゃないはずだ。
俺は勝手にシンシアさんを年齢不詳って考えてたけど、ひょっとすると見かけ通りの年齢だったりするのかな?
出会い頭に破邪の挨拶をかましてきたのも、年齢相応の悪戯心とか興味本位だと思えば納得できるけど・・・
それならそれで、シンシアさんの恐ろしいほどの早熟ぶりというか天才ぶりが凄いけどね。
「ようやくシンシアの首が据わった後も、なんやかんやと領地に連れて戻るのを先延ばしにされまして...いざ戻る時には公国内を視察して回るなどと名目を立てて一緒にリンスワルド領まで赴き、そこから先の視察は事情を知る家臣と影武者に任せて、ずっとシンシアと一緒に過ごしておりました」
「愛されてるんですね、シンシアさん」
「えぇまあ...それは実感してますから先ほどの発言は取り消します」
「わたくしが正式に大公陛下の妻にならなかった理由はライノ殿もご存じの通りです。さすがに大公家の世継ぎが永遠に女性だけ、という訳には参りませんから...」
なるほどなあ・・・
『リンスワルド家の女性は娘しか産めない』か。
さすがに大公家に正室として入る訳に行かないのも仕方ないのだろうね。
「私は、大公家の娘であるよりもリンスワルド家の娘である方が幸せだと思っているので、この方が良いです」
「ありがとうシンシア」
「お父様とお母様が私を産んで下さったのが、私にとって一番の幸せですよ。いつかは...えっと...私もお母様と同じように、その...自分の娘を、み、身ごもりたいと思っていますから」
「まあシンシアったら、いつの間にか...」
「お母様! その先を口にされたら詠唱を始めますよ?」
「マジですかシンシア?」
「大マジです」
ああ、パルミュナの悪い影響がシンシアさんにまで・・・
主に語彙関係で。
「ともかく...先ほど申し上げたように大公陛下はエルスカインの存在をご存じで、大公家においてはすでにある程度の対策も取られておいででした。もちろん精霊魔法が使える訳ではありませんが、城に出入りする者や軍人に対しては、常に厳しく見ているようです」
「なるほど...しかし大公陛下がエルスカインの存在をそもそも知っていた、と言うのは、やはりガルシリス辺境伯の叛乱絡みですかね?」
「詳しく話してはおりませんが大元はそのようです。やはり、魔獣を王都に放つ計画があったことや、そもそもガルシリス辺境伯を誑かしてルースランド王家と繋いだのも魔獣使いの仕業である、との認識でした...ただ...」
「ただ?」
「陛下と話している途中で気が付いたのですが、陛下は『魔獣使いのエルスカイン』という呼び方を、わたくしどもとは別の捉え方をしておいででした」
「ん、それは、どういう意味ですか?」
「エルスカインの二つ名として『魔獣使い』という呼称があるのでは無く、『魔獣使い』と称する一族におけるキープレイヤーとして『エルスカイン』という名の人物がいるのだと」
あ! なるほど!
「そうですか...言われてみればそう言う捉え方もあるんですね」
「はい。むしろ人間族の感覚からすれば、二百年前の事件に関わりを持つのは個人では無く、結社のような組織や家柄だと捉える方が自然でございましょう」
俺は思わずレビリスと目を合わせた。
実際に俺も旧街道に入る時にパストの食堂でレビリスと話すまで、二百年という時間を一人の人物が繋いでいられるって感覚は無かったからなあ。
人間族だったら、その感覚になるのは分かる。
ただ、スライから聞いた『傭兵達の与太話』からすると、四百年前の大戦争の頃、すでにエルスカインという名が知られていた可能性が高い。
「今日は正式な謁見としてお目に掛かったのであまり詳しい話をする時間を取れませんでしたが、ホムンクルスの危険性についてはご忠告しておきました。ですが、エルスカインの狙いやホムンクルスを使った悪事の企みからなどに関しては、今度ライノ殿が陛下とお会いした際に、きちんと話し合って頂いた方がよろしいかと存じます」
「わかりました。そこは大切なところですから、きちんと把握して貰えるように話しましょう」
「お願い致します。わたくしの口からでは、きちんと伝えられたか自信がありませんので」
いやいやいや、姫様の方が俺の百倍は分かりやすく話が出来ると思うんだけど?
++++++++++
翌朝、昨日の仕立て職人たちが一晩でパルミュナ用に寸法直しを済ませた萌葱色のドレスを抱えてやってきた。
ドレスを届けさせれば済むだろうにと思ったが、この場でパルミュナに着させて最終確認をするらしい。
さすが職人の仕事、念には念という処か。
昨日同様に、仕立て職人とその助手か見習いかの女性達が丁寧に木枠に掛けたドレスを抱えてどやどやと部屋に入ってくると、まだ若干、寝ぼけ眼気味のパルミュナを連れて奥に消えていく。
それからしばらくの後、姫様が部屋様子を見に来たのと萌葱色のドレスに着替えたパルミュナが奥の部屋から出てくるのが、ほとんど同時だった。
「ドレスの方はいかがでございましたでしょう?」
毎度の事ながら姫様って、なにかこういうタイミングを計る才能というか特殊能力でも持っているんだろうか?
それはともかく・・・
兄の贔屓目かもしれないが、お淑やかなドレスに着替えたパルミュナは、いつにも増して魅力倍増という感じだな!
もちろん、リンスワルド邸でも姫様が用意してくれていた色々なドレスに着替えたりしていたけど、こういう、いかにも貴族の娘のような・・・
つまり、別の言い方をすれば立ったり座ったり歩いたりするだけで大変そうな・・・
もっと隠さず言ってしまえばパルミュナの日常行動とは反りが合わないドレスはさすがに着ていなかったので新鮮だ。
しかも奥の部屋に一緒に入っていった女性陣の中には化粧係もいたらしく、見たこともないような綺麗なお化粧を施されている。
まあ元が綺麗だからな。
化粧はあくまでもパルミュナの美貌を引き立ててるだけだけど!
正直、この兄ですらちょっと驚いたぞ?
「おおっ、可愛いぞパルミュナ! それに、なんだかいつもと違って上品でお淑やかな雰囲気で最高だな!」
「なんかさー、一言余計くないー?」
「気のせいだ」
「そっかなー...」
「とっても可愛いですわパルミュナちゃん! 美しさが際立つとは、まさにこのことでございましょう!」
「えへー、そう?...」
うん、姫様が感極まった様子でベタ褒めしてくれるのでパルミュナもニヤけた。
「実は今日、パルミュナちゃんにこれをお持ちしました。萌葱色のドレスを選ばれたので、きっと似合うに違いないと思いまして...」
そういって姫様は薄い箱を取り出した。
綺麗な葡萄色のベルベットが張られている薄い木箱は、見るからにアクセサリーの類いを仕舞っているものだろう。
「どうぞ、付けてみて下さいませ」
そういって姫様がパルミュナに向けて箱を開くと、中には見たこともないほど大粒の真珠を使ったネックレスが収められていた。
中央にはパルミュナの虹彩ほどもある大粒の真珠が置かれ、その左右には若干サイズの小さな真珠が寄り添うように金の台座と銀の鎖であしらわれていた。
どの真珠も人工的に削り出したかのように綺麗な球だし、その白銀の輝きも揃っていて染み一つ無い。
これ・・・いったい幾らするんだ・・・
最近の俺って値段のことばかり考えている気もするけど。
「わーっ!!!」
パルミュナが歓声を上げる。
「キレー! すっごく! 綺麗な、おっきい! 真珠ーっ!」
興奮しすぎてるのか言葉が途切れ途切れだぞパルミュナ。
「ねーねー、お兄ちゃん、付けて付けて!」
「はいはい」
「あ、パルミュナ、念のために印は首から外しておけ。もしも何かの拍子でぶつかったら真珠に傷が付く」
「あ、そっか。お兄ちゃん外して!」
まずはドレスの内側に収めてあった破邪の印を引き出して、それは俺のポケットに仕舞っておく。
そして少しばかり緊張しつつも姫様から真珠のネックレスを受け取り、パルミュナの後ろに回って首に掛けてやる。
銀の留め金をそっと閉じて手を放すと、胸元の丁度良い位置に大振りな真珠のペンダントが収まった。
「おー、凄く似合ってるぞパルミュナ」
「きれいー、ホントに綺麗な真珠、凄いね姫様!」
姿見の前でパルミュナがネックレスを付けてポースを取る。
「パルミュナちゃんに喜んで頂けて嬉しいですわ。そのネックレスは差し上げますので、是非、今後も使ってあげて下さいませ」
「えっ!」
「え? いいの姫様?」
さすがのパルミュナもたじろいだ。
離れの屋敷を貰った時はサクッと受け取りやがったくせに・・・
まあ、これは完全にパルミュナの為だけの品物だからな、ソファやティーセットとは、ちょっとレベルが違うか。
庶民の感覚からすれば、それなりの家と土地が買えるって金額だろう。
「もちろんですわ! 装飾品は似合う方が使ってこそ活きるもの。これはパルミュナちゃんにぴったりでございましょう。...この品はきっとパルミュナちゃんの手に渡る為に私のところに来て、今日まで待っていたのだと思います」
姫様の言い方も凄いが、さもありなんという気がしてくるから不思議だ。
その時のパルミュナの表情は・・・
うん、フォーフェンでイチゴのタルトを食べた時を思い出したよ。
それはもう幸せそうな顔で、瞳からキラキラと星屑が溢れてきそうな勢い。
もっとも、このネックレスの値段はイチゴのタルトじゃ無くて、イチゴ農家を買い取れそうな気がするけどね?