草原の幕営地
俺は驚きを隠せなかった。
まさか、こんなところでエルスカインという名前を知っている人物に出会って、『魔獣使い』という呼び名を聞くとは思わなかったな。
「エルスカインを知ってるのか?」
「噂だけだけどな」
「どんな風に?」
「あやふやな話ばっかりだけどな。どっかの戦場で魔獣を操って沢山の兵士を皆殺しにしたとか、敵将の陣に魔獣を送り込んで首を取ったとか、そんなえげつない噂だ」
破邪の噂と似たような感じだな。
そういうことしかやってないんだろうけど。
「有名なのか?」
「傭兵達の間じゃそれなりにな。っても、実際に見たことある奴なんていねえし、噂ってのも昔の話ばっかりらしいし、正直、俺もさっきまで酒場の与太話だと思ってたね」
そう言ってスライはデカブツを指差した。
「でもまあ、アレを見たら本当にいてもおかしくないぞって思えたところだったぜ」
「正解だよ。あれをここに送り込んできたのは魔獣使いのエルスカインだ。そいつが俺たちの敵なんだ」
「痺れるねぇ...勇者の敵は伝説の大物かよ」
「勇者も伝説だろ?」
「はっ、違いねぇ! ...だけど一つ教えて貰っていいか? 勇者の敵は人の敵って事だろ? 少なくとも勇者は国同士の争いには加担しねえ。だから、俺たちの敵もどっかの国って訳じゃないはずだ」
「そりゃもちろんだ」
「だけど、魔獣使いのエルスカインは、もしも噂通りならって事だけど、昔からいろんな国の戦争に首を突っ込んでる一味だ。いまは、どっかの国の肩を持ってミルシュラントに攻めてきてるって訳じゃねえのか?」
微妙な質問だな・・・
でも中々鋭い質問だ。
さすが、常に雇い主の素性を気にしていないと長生きできない傭兵ってだけはあるな。
「俺がどっかの国や貴族に肩入れしてエルスカインと闘ってる訳じゃ無いよ。リンスワルド伯爵家やシーベル子爵家と共闘するのも、エルスカインの企みを阻止するためだ」
「魔獣使いの企みってなんだ?」
「まだ詳しく分からん。だけど魔力の奔流を弄くって、この世界全体をどうにかしようとしてるのは確かだ。それは絶対に放置できない」
「ふーん、じゃあ戦争が始まるって話じゃ無いのか?」
「そこは、さっきの話が逆なんだ。俺じゃ無くってエルスカインがある国に肩入れしてる。...秘密だけど、ここ二百年ほどエルスカインはルースランド王家を陰から操って、あの国自体を支配してる可能性があるんだ」
「ほんとか!」
「はっきりした証拠は無いけどね。恐らくそうだと思う」
「うーん...でもまあ、確かに昔の魔獣使いの噂ってのも、ルースランド絡みの話もあったなあ。まあ俺たちは雇われた側に付く。ライノがボスなんだからボスの敵は俺たちの敵、それだけだな」
「ああ、それでいいさ。相手が魔獣使いのエルスカインだと聞いて腰が引けた奴は、いまなら抜けて貰ってもいい。ただし、秘密保持の宣誓はそのままにして貰うけどな」
実際、傭兵団って言うのは大抵の場合に『不足してる戦力』を補うために雇われるのだから、そもそも先陣を切って相手に斬り込んでいくような役目じゃないからね。
戦場の仕事では後衛とか守備隊とか、武器や食料を戦地に輸送する輜重隊の護衛とか、そういう役目が中心になるだろう。
彼らには貰った金以上に命をかける義理は無いし、郷土愛だの忠誠心だの正義だなんだの為に動く存在でも無い。
強大な敵と聞いて『じゃあ抜ける』と言って来ても当然だとは思う。
「馬鹿言わんでくれよボス、俄然面白くなってきやがったぜ!」
スライはそう言って豪快に笑った。
やっぱり傭兵って度胸が据わってる連中だよ。
++++++++++
しばらくするとヴァーニル隊長が戻ってきた。
何故か、レミンちゃんに乗ったままのパルミュナも一緒だ。
「お兄ちゃんただいまー!」
コイツ絶対に、レミンちゃんに乗っていたいだけの理由で往復したな?
まあ、レミンちゃんが狼顔でニコニコしてるからいいけど。
「ライノ殿、騎士と従者達には、今後傭兵団の方々が行動を共にすることを伝えて、万端取り計らっておくように指示しておきました」
「助かります。じゃあ傭兵団も幕営地の方に移動して貰いましょう」
「承知しました。自分は姫様に報告して参ります」
「スライ、とりあえず全員草地の方に移動して貰えるか? 今夜はそこで過ごして明朝出立だ」
「了解だ! よし、みんな聞いてたな? さっきと同じ馬車に分乗して行くぞ。それと...姫様の隊列には女性が沢山いるだろうけど、酒場の女は一人もいねえ。死にたくなかったらそれは忘れるな!」
「そりゃ戦場以外じゃ命は惜しいからな!」
傭兵達がふざけた返答をしつつ荷馬車へと移動し始める。
スライは俺の方を向いて笑いながら言った。
「まあ言わなくても大丈夫だけど念のためって奴だ。冗談のレベルは相手によって変わるからな」
「そりゃ確かに」
宣誓魔法でリンスワルド家には害を及ぼせないんだから、当然、邪心を持って従者の女性達に『手を出す』という事は出来ないけど、際どい冗談で不愉快になるなんてのも無駄な行為だからな・・・
++++++++++
幕営地は、ギュンター卿の言っていた通り、森の縁に沿って広がる、なんとも雰囲気のいい草地だった。
森の方からは美しいせせらぎが流れ込み、広い草原の方へと続いている。
恐らくその先に、バルテルさんの言っていた釣りの出来る池と牧場があるんだろう。
「綺麗な場所だなあ」
思わず感嘆の声が出る。
俺の横を歩いているダンガが同調した。
「獣の気配も濃くってさ、もの凄くいい森だよね! 見てるだけで狩りに出たくなってウズウズしてくるよ!」
なるほど、狩人にとっては垂涎の土地って感じか。
「この先の草原と牧場も素敵ですよ! 狼姿のままで走り回ってみたくなります」
「ねー!」
うん、今は止めようねレミンちゃん。
きっと家畜たちがパニックを起こすから。
それとパルミュナ、背中に乗って走り回って貰うつもりだろ?
ダメだからな?
「こういう土地なら牧場で畜産とか酪農するのもいいよね。換金できる商品が色々と作れそうだよ」
アサムらしい視点だね。
国が豊かになれば肉やミルクを欲しがる人も増えるだろうから、畜産や酪農も悪くない方針だと思うよ。
実際、変わった味のチーズを特産品にしてるような村もあるしな。
それにしても三者三様だなあ・・・
将来、彼らの作る村がどんな風になるのか、本当に楽しみだ。
レビリスがいい場所を見つけてくれるといいんだけどね。
「ここはちびっ子たちもいっぱいだよー」
「やっぱりそうだよな」
なんというか、全体に清涼な空気を感じる。
むしろ偽オットーは、よくこんな清らかな場所のすぐ隣に籠もっていられたもんだ。
まあパルミュナが『大量にあった』って言うくらい沢山の闇結界の魔道具を屋敷の中に敷き詰めてたんだろうけどな。
「さっき戻った時なんか、結界の柱になってるレビリスがちびっ子たちに包まれた串団子みたいになってて笑っちゃったー!」
「お前なあ...自分でやっといてヒドい奴だな」
「だって、すっごく面白い姿だったんだもーん。本人は気が付いてないしさー」
「そりゃレビリスはちびっ子が見えないんだから仕方ないだろ」
「まーねー」
草地の中央では、隊列がすでに陣形を組んで幕営の準備が着々と進められていた。
今朝は出発が早かったので、暗くなるまでにはまだ余裕があるけど、せっかくの素敵な幕営地だ。
さっさと準備を済ませてノンビリしたい気分だよな。
スライ達も、隊列から少し離れた邪魔にならなさそうな場所に荷馬車を止めて荷物を下ろし始めた。
傭兵団の幕舎は、隊列が使っているようなものと違って数人用のコンパクトなサイズだ。
狩人や一部の破邪が雪の季節に使うような感じで機能的に見えるね。
オットーが手配したって話だったけど、果たして元の人物のオットーの知識だったのか、ホムンクルスのオットーが新たに仕入れた知識だったのか、ちょっと気になる。
彼らの設営の様子を眺めているとレビリスがやってきた。
「お疲れライノ。なんだかさ、もの凄い魔獣が出てきたんだってな?」
「ああ、南方大陸にいる『犀』って魔物だそうだ。初めて見たけどデカかったよ」
「へー、そいつは見たいような見たくないようなってところだな」
「まあ生身の破邪には無理だと思う。アレは普通なら軍隊が作戦立てて立ち向かうようなシロモノだな」
「ま、俺としちゃそういうのは全面的にライノとダンガ兄妹にお任せさ」
「レビリスだって、ここで結界の芯になってみんなを守ってくれてたじゃ無いか?」
「うーん、ただ立ってただけで守ってたって実感は無いんだよなあ...まあそれでも、みんなの周りから邪気を払えてたんなら破邪冥利に尽きるけどさ」
おっと、レビリスまで『破邪冥利』とか言い出したよ・・・