ニセモノのホムンクルス
俺が加速した動きを止めると、慌てふためくギュンター卿の声が遠くで響いていた。
「な、何ごとですかっ!」
室内に控えていたギュンター卿の家僕やメイド達も、何が起きているのか分からずに固まっている。
俺は足下を見やって、『家令の姿をしたホムンクルス』が完全に力を失っていることを確認し、内向きの結界でその場に固定した。
「あなたは一体何を! その者は当家の家令ですぞっ!」
ギュンター卿が大声で叫びながら室内に入ってくる。
正確に言うと家令のニセモノだけどな。
「大丈夫かオットー! こんな狼藉が許されるとでも!」
「落ち着いて下さいギュンター卿」
姫様は、予想通りという感じで微塵も動揺していない。
「いやしかし...彼は一体何者です!」
「彼は当家の客人です」
「老人に対して理由もなく暴力を振るうなど!...いかにリンスワルド伯爵家のお客人といえど無法が過ぎますぞ!」
「落ち着いて下さいギュンター卿。もちろん理由がありますし、その理由はこれから説明致します」
まず驚愕、次に憤懣、そして困惑と表情を重ねたギュンター卿は、姫様に強い口調で言われてようやく歩みを止めた。
そうでなかったら、俺のところに詰め寄って来ていただろう。
「ライノ殿、その者は例の存在ですか?」
そう言いながら姫様がスタスタと室内に入ってくる。
ほんと怖いものなしだな、この人は。
「そうです。あのモヤを口から吐いて攻撃してきましたよ。やっぱり姫様を見たら前後お構いなしに乗っ取りを謀るって感じかもしれないですね」
「一体、なにを話されておられるのです! 私にも分かるようにご説明頂きたい! それと早くオットーに治癒士を」
ギュンター卿は相手が伯爵家の姫様だから、なんとか理性で抑え込んでるだけで、『怒髪天を突く』という勢いで怒り心頭だ。
まあ、事情を理解できてなければ無理もない。
「パルミュナ、外はもういいぞ! モヤは押さえたからアレを頼む」
怒り狂っているギュンター卿はスルーして、パルミュナを呼ぶ。
この状況で俺が色々喋ったところで意味は無いだろうし、見て分かって貰うしかない。
「はーい」
パルミュナが相変わらず呑気な調子でスキップするかのごとく室内に入ってくると、例のくるりと回る仕草をやってみせる。
その瞬間、屋敷のあちらこちらが硝子の割れるような音が一斉に鳴り響いた。
「さっすが数が多いねー! 大量に大漁っ!」
「良し!」
「だから、あなた方は何をやっているのだっ!!」
姫様が抑えたトーンでそれに答えた。
「ギュンター卿に害を為すものを取り除こうとしているだけですわ」
「それこそ失礼ながら、こちらの御仁の事ではないのですかなっ?!」
俺を指差して唾を飛ばすが、次の瞬間に表情が凍り付いた。
俺の足下で、家令の形をしたホムンクルスが緩やかに崩れ始めたからだ。
まるで土の粉を固めて出来ていたかのように、ボロボロと体が崩れ落ちていく。
「なっ! い、いったい何が...か、彼に、オットーに何をしたのですか!」
「ギュンター卿、これは人じゃあない。人の形を真似た別のものです」
「そ、それは、どういう意味の...」
「これはホムンクルス。古代の禁忌の魔法で創り出された存在です。ギュンター卿の家令のそっくりさんだけど、本人の魂は持ってない...まったく別のニセモノなんです」
「ニ、ニセモノ...?」
「ホムンクルスって言うのは魔力で生きてるような存在です。特にこのホムンクルスは人の姿を真似ただけのニセモノだから自分の魂を持ってない。それで、俺に浄化されて濁った魔力を全部失ったら形を保てなくなったんですよ」
ギュンター卿が驚愕する。
「そんな...オットーが人ではなかったと...」
「いや...たぶん本当のオットーさんはすでに亡くなられているでしょうね。これは、オットーさんの肉体だけを素材にして作り出したホムンクルスですよ」
「しかし...オットーはずっと当家に務めてくれていたのですぞ?」
「何年ぐらいです?」
「私が幼少の頃、まだ本城で家族と暮らしていた頃からです」
「ではオットーさんが長期間、屋敷を離れたのはいつ頃ですか? ひょっとして戻った時に少し記憶喪失になっていませんでしたか?」
俺がそう尋ねると、ギュンター卿は驚きに目を見張った。
「何故、それを知っているのです?...」
「遺体から作ったニセモノのホムンクルスが本人から引き継げる記憶は、あまり多くないって可能性があるんです。本人を殺して入れ替わったときに、知らないことが多い理由の言い訳が必要だろうと」
「...昨年、オットーは重い病気になって暇を申し出ました。私はそのままこの屋敷で療養すればいいと慰留したのですが、どうしても死ぬ前に故郷の景色を見たいと...そう言って、この屋敷を出たのです」
「それから舞い戻ってきた?」
「ええ、故郷でしばらく養生していたら奇跡的に体調が戻って、もう心配ないと。ただ、その直前にずっと高熱を出していたせいで、色々と記憶に欠落があると言われました。それでも、家令ではなく従僕で構わないからもう一度働かせて欲しいと言われたのです。どうして断れましょう...」
子供のことから自分の面倒を見てくれていた相手だ。
心情的にも家族に近いものがあっただろうな。
「確かに家令として必要な当家に関する知識の多くを失っておりましたが...優秀であることは以前と変わらずで、あっという間に様々なことも覚え直してしまい、すぐに家令として復帰できるほどになりました」
「恐らく、本物のオットーさんは故郷で亡くなられていると思います。それから彼のホムンクルスを造って送り込んできたのでしょうね」
その『重い病気』自体もエルスカインの仕掛けた罠の可能性があるけど、いまそれを言っても詮無いことだからな・・・
「パルミュナ、悪いんだけど、ここにもあの部屋と同じ結界を頼めないかな?」
「そーだねー!」
パルミュナは玄関ロビーの真ん中あたりに移動して両手を広げた。
すぐに、いつものように足下から同心円状の波紋が広がって魔法陣が浮かび上がる。
そのままじっとしているパルミュナの足下で魔法陣がいったん光を強め、それからスッと消え去った。
「もう、これでだいじょーぶ!」
「おう、ありがとうな!」
「褒めてー!」
「もちろんだ」
色々な意味でショックを受けているギュンター卿の目の前でじゃれ合いをする気にはなれないので、ほどほどで納めておく。
「いま、妹がこの部屋に邪心や害意を弾く結界を張りました。仮に、他にもホムンクルスが潜んでいたとしても、もうこの屋敷の中では活動できません」
「そんな!...邪心、害意ですと...しかし、オットーも宣誓魔法を受けております。私や家族、いえ、ラミング家に害ある行為は一切できないはず...」
「宣誓魔法を受けていたのは本物のオットー氏の方ですよ。故郷から戻ってきたホムンクルスの偽オットーに宣誓魔法を掛け直してはいないでしょう?」
「確かに...」
「とりあえず、いま外に出ている家臣たちも中に呼び入れてください。もし屋敷の中に入ってこれないものがいたら、そいつも敵です」
「し、承知しました。しかし、なぜ...誰が、なんのためにそんなことを?...」
「ギュンター卿、それをご説明するのは少々長い話になってしまいますので、落ち着いてからの方がよろしいでしょう」
「そうですか。では、すぐに客室をご用意いたしますので、そちらに」
固唾をのんで見ていた家僕たちを、ギュンター卿が力ない手振りで手招きした。
「レティシア姫と皆様を応接間にお通ししてくれ。それから、外の者たちには今すぐ屋内に入るようにと」
「かしこまりました」
「前庭にいらっしゃるリンスワルド家の方々には、どこでもご自由に過ごしていただきたいとお伝えしてくれ。できるだけ早く、お飲み物を用意して振る舞うように」
「はい、かしこまりました」
「ギュンター卿、お心遣いは恐縮ですが、当家の者たちにはお構いなく。それよりも、隊列全員が幕営できるような開けた場所は近くにありませんでしょうか?」
「左様ですか...ここから北に少し行ったところに、小さな牧場と鷹狩りに向いた草原がございます。その手前に水の綺麗な小川が流れている草地がございますので、幕営されるならそこがよろしいかと思います。道もよく、大した距離ではございませんので」
「ありがとうございます。では、わたくしの家臣たちはそこで幕営の準備をさせて頂くことにしましょう」
「承知しました...すまんが一緒に行って隊列の方々をあの草地に案内してくれ」
「かしこまりました」
従僕の一人が答えると、玄関から出て隊列の先頭に向かっていく。
傭兵団の存在はちょっと気になるけど、防護結界を持ってるレビリスと狼姿のダンガ兄妹もいるから大丈夫だろう。
それに、いまのギュンター卿の様子からは敵意も消え去っているし・・・
念のため、四人への魔力の供給はちょっと多めにしておこう。
「...正直に申し上げて、この屋敷で何が起きているのやらさっぱり分かりかねるのですが...レティシア姫がご存じのことだけでもご教示頂ければ幸いです」
「もちろんですわ、ギュンター卿」
しかし、ギュンター卿がシンシアさんからの宣誓魔法を受けてくれるのか疑問だな・・・
その場合の説明は姫様に委ねるか。
床の上で徐々に崩壊しつつある元家令の姿を見ながら、俺はそっと溜息をついた。