ギュンター・ラミング邸
ハーレイの街近くを離れて、いま隊列が通り抜けている田園地帯は、街道の両脇にずっと並木が植えられていて見るからに涼しげだし、その木立の樹形も細くスッキリとしていて、なんだか雰囲気がいい。
「この道って木が沢山植えてあって綺麗だねー」
それを聞いたレビリスが意外なことを言った。
「そうだね。ひょっとしたらさ、この辺りまで来ると冬に雪が積もるのかもしれないけどさ」
「え、なんでー? 雪が降る土地だと街路樹を植えるの?」
「聞いた話なんだけどさ。ここはずーっと道が平坦だろ? で、平坦な土地に雪が沢山積もると道が良く分からなくなって、馬車が道をはずれて畑に突っ込んだりする事故が多いんだってさ。だけど並木があればその間に道があるって分かるんだ」
「あー、なるほど! 頭いいね!」
「へー、そいつは知らなかったよ。エドヴァルじゃ北部の山地の方はともかく平野部じゃ雪が積もる感じは無いもんな」
そんなどうでもいい話をしながらも、隊列は徐々にギュンター卿の屋敷がある狩猟地へと近づいていく。
すでに周辺は人家も所々に有るだけになり、田園から荒野への境目に差し掛かっていた。
屋敷があるのは森の縁だそうだけど、シーベル領に入って以来全般的に土地が平坦だ。
付近には高い山も見えないし、狩猟地もそのまま平坦な森の奥へと広がっているんだろうなと予想する。
まあ貴族の狩猟地だからね。
馬で入れないほど急峻な場所で狩りはしないだろう。
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陽射しが午後に傾き始めた頃、ギュンター卿の屋敷に到着した。
途中はそれほど複雑な道程でも無かったけど、休憩以外はほとんどノンストップで迷わず走り続けられたのは、やっぱり案内役がいてこそだ。
その案内役を務めてくれたハーレイの常駐組から派遣された数名の騎士たちは、逆にリンスワルドの騎士からシーベル城の騎士団本隊と演武大会の様子を聞いて盛り上がっていたっぽい。
本城にいる騎士達は戦争の頃なら『第一騎士団』なんて呼ばれてたかもしれないし、若い騎士団員にとって憧れの的だと言うことは想像に難くないな。
「ねー、今朝から来てくれたシーベル家騎士団の人たちって、お城にいた人たちとは違う仕事なの?」
へえ、パルミュナが人の仕事や立場に興味を持つとは珍しいな。
「なんて言うか、大きな街の詰所や連絡所に常駐してる騎士団の分隊ってのは、隊長以外は見習い騎士と新人の役回りが多かったり、従者や補佐要員は地元の人間の縁故採用だったりもするんだよ」
「じゃあ本物の騎士じゃ無いって事?」
「いやいや普通はそんなこと無いよ。ただ、リンスワルド伯爵やシーベル子爵のクラスになったら、居城の本隊にいる騎士たちは騎士団中のエリートと言っていいんじゃないかな?」
「えー、じゃあサミュエル君って若いのに凄いじゃない!」
「そうだよ、しかもあの若さで姫様付の護衛隊に任命されてるんだから超優秀だな。ヴァーニル隊長が目を掛けてるのも分かる」
「すっごーい。実はアタシもきっと優秀だって思ってたんだー!」
なるほど、婚約式の介添人をやったせいで騎士の仕事に興味を持ったか。
サミュエル君のことを『思ってたより強い』とか言ってたくせに・・・
さておき、ギュンター卿の居所はそれなりに豪華な二階建てのお屋敷だ。
高さは無いけど奥が広そうで、エドヴァルの基準で言えばごく普通の地方貴族の居所という感じ。
シーベル卿から『別邸』と言われて想像していた雰囲気そのものだった。
先触れは飛ばしてないから、ハーレイの街に情報屋でも仕込んでいない限り、俺たちの到着は予想外だったはず。
とりあえず敷地や建物からは、怪しい気配は何も漂ってこないけど、あの黒い部屋で見つけた結界の魔道具の件があるから油断は禁物だな。
隊列の先頭が敷地内に入った辺りで、数人の家僕がわらわらと飛び出してきた。
そりゃ誰が見たって高位貴族の一団だもんな・・・
それも半端じゃない規模だ。
道に迷った貴族の一行がとりあえずの休憩場所を求めてやってきたとか、そんな想像でもするだろうか?
そうだとしても奥まった場所にある屋敷だから、存在を知っていなけりゃ立ち寄るはずは無いな。
こちらの隊列の先頭にいた騎士が、迎えに出てきた家僕と話している。
内容はあらかじめ打ち合わせていた通り『シーベル子爵から素晴らしい森にある狩猟地だと聞いて見学に来た』という設定のはず。
ハーレイの街から一緒に来てくれた護衛の騎士と衛士はこれでお役御免。
うまいこと言ってお引き取り願ったようだ。
そして家僕が引っ込んでから待つことしばし・・・
立派な服装の中年男性が玄関口に現れた。
あれが、ギュンター・ラミング名誉子爵か。
遠目に見る限りでは、怪しい気配はないようだ。
それを見て先頭の騎士達が馬を進め、後を追うように隊列全体が動く。
広い前庭をほぼぐるりと取り囲むくらい隊列が進んで、姫様の白いお召し馬車が玄関の真ん前に到着した。
騎士達も一斉に下馬し、ヴァーニル隊長とサミュエル君を含む四人の騎士が馬車の扉の前に立つ。
俺たちも何かあったらすぐに動けるようにと馬車を降りた。
サミュエル君がしゃがんで車体から昇降台を引き下ろし、チラリと馬車の中に目をやってから扉に手を掛けてゆっくりと開く。
ああ、あの街道でのブラディウルフの襲撃の後に見た光景だな。
ただし今回は血生臭さは欠片もなく、すべてが優雅な状況だけどね・・・
少なくとも表向きは。
まずはエマーニュさんが戸口に現れて、ヴァーニル隊長がその手を取った。
ヴァーニル隊長に支えられて地面に降り立ったエマーニュさんに続いて、今度はシンシアさんが一人で飄々と降りてくる。
最後に姫様がご登場だ。
護衛の四人以外の騎士や従者達は姫様に向いてその場に跪き、同じタイミングで屋敷の家僕たちも跪いた。
侍女を演じるエマーニュさんが手を差しのばして姫様の手をとると、姫様は和やかな笑顔を振りまきながら優雅にステップを降りてくる。
もちろん姫様達の防護結界はフル稼働してるけど・・・
地面に降り立った姫様に向かって、館の主であるギュンター・ラミング卿が歩み寄った。
「リンスワルド伯爵家の姫様、ようこそ当家にお越し下さいました。手前がこの館に住んでおります、ギュンター・ラミングでございます。どうかお見知りおきを」
「初めましてギュンター・ラミング卿。急な訪問で誠に申し訳ありません。一昨日はシーベル卿の城にお邪魔し、その際にこの狩猟地の森が素晴らしいという話を伺ってぜひとも見学したく思い、ご迷惑を承知でまかり越しました」
「左様でございましたか。それは大変に光栄なことでございます。大したおもてなしも出来ませんが、どうか心ゆくまでご滞在頂ければ幸甚にございます」
「急に思い立ったことでしたので、お知らせしても却ってお手を煩わせてしまうだけと考え、あえて先触れを走らせませんでした。ご無礼、どうかご容赦下さいませ」
「とんでもございません。姫様のお心遣い、誠に恐縮で痛み入ります」
簡潔だが定型的な挨拶を何度か交わした後、ギュンター卿が屋敷に招くと、姫様は和やかに微笑んで招待に応じ、ギュンター卿にエスコートされる形で屋敷内へと向かった。
後ろに付き従うヴァーニル隊長がチラリと俺の方を見る。
重厚な扉の内側では、家令とおぼしき年配の男性が恭しい態度で腰を折って待ち構えている。
主のギュンター卿もこの家令も等しくシーベル家の文化を引き継いでいるらしく、髪をしっかりと撫で付けていかにもパリッとしたビジュアルだ。
だけど違和感を感じた。
この家令は_なんで_扉の内側にいるんだ?
普通は主が客を迎えに外に出たら、家令や執事は一歩外に出たところに構えるものじゃないか?
家僕も沢山いるこの規模のお屋敷なら、使用人で一番偉いはずの家令が扉の開け閉めなんかしないだろう?
「パルミュナ!」
「うんっ!」
俺は最大限に動きを加速して屋敷の中に向かった。
周囲の人々が彫像のように止まって見える中で、同時にパルミュナが表にいる人々すべてを守ろうと結界を広げた。
リンスワルド家の者だけじゃなくて、屋敷の外にいるギュンター卿の家人たちも恐らく無実の人達なのだ。
革袋からガオケルムを取り出しながら一足飛びで屋敷の中に飛び込むと、あきらかに異質な空気が扉の内側を支配していることを感じる。
あの、ゲオルグ青年が閉じ込められていた黒い部屋と同じだ。
そのまま扉の前に立っていた家令にガオケルムの鞘で一撃を叩き込む。
もし何かの間違いとか俺の勘違いだったら、謝りようがないな!
だが、俺の強烈な一撃を受けて吹き飛んだ家令は、年配の男とはとても思えない動きを見せながらアクロバットのように回転して着地した。
次の瞬間、男の口から例のモヤが飛び出してくる。
うん、予想通り。
そして、そいつの動きは俺を攻撃するには遅すぎるよ。
俺は一瞬で歩を詰めて家令の正面に移動すると、遠慮会釈なくモヤを吐き出している開いた口に、ガオケルムの柄頭を突っ込んだ。
この家令は間違いなくホムンクルスだ。
呻き声を上げながら後ろに倒れ込んだ男をそのまま放さず、倒れた男の口にガオケルムの鞘を突き立てた状態で押さえつける。
足下で、とても老齢の人間とは思えない力で男がバタバタと暴れるが、俺はそのまま構わずに精霊の水魔法を発動し、男の口の中に流し込んでいった。