シンシアさんの精霊結界
見つめている間に、魔法陣の形が三層、四層と複雑さを増していき、陣の中に書き込まれている精霊文字の術式もはっきりと見えてきた。
パルミュナのベースがあるとは言え、シンシアさんの組んでいる橙色の魔法陣も欠損なく出来上がりつつある。
凄いじゃないか!
「シンシアちゃん頑張ってー! 残りひとつよー!」
パルミュナが声援を送った。
シンシアさんの表情が苦しそうだ。
やはりパルミュナが言っていたように、普通の人族が精霊魔法を模倣しようとすれば、ある程度は『力技』にならざるを得ないんだろう。
姫様やシンシアさん並の魔力の保持量がないと厳しいというのはこういう事か・・・
五層目の術式が組み上がると同時に、それぞれの陣が僅かに動いた。
俺にも分かる・・・積み上げられた術式が相互に繋がり、全体が一つの構造として完成したんだな。
まるで『カチリ』と嵌まる音が聞こえたような気分だ。
「できたーっ!!!」
感に堪えかねたようにパルミュナが叫んだ。
青い光と橙色の光、どちらの魔法陣も欠けることなく組み上がり、地面から浮き上がるように輝きを放っている。
次の瞬間、シンシアさんがガクッと地面に腰を落とした。
目の前にいたパルミュナが急いで抱き支える。
さすがに魔力が枯渇寸前か。
姫様とエマーニュさんが慌てて駆け寄ろうとするが、パルミュナがそれを制した。
「大丈夫! 魔力を沢山使っちゃっただけだからねー。休んでれば元に戻るからー」
シンシアさんは足に力が入らなくなって崩れ落ちたものの、意識を失うほどじゃあない。
「で、出来たのでしょうか?」
「うん! しっかり出来てるよー!」
「あぁ、良かった...」
「こんなに早く習得して貰えるなんて、精霊冥利に尽きるよーっ!」
久しぶりに聞くな、そのセリフ。
『人族は柔軟』か・・・パルミュナの言っていた言葉の意味が、ようやく分かった気のする俺だった。
+++++++++
街外れの広場に張った陣に、今日は二つの魔法陣が色違いで輝いている。
パルミュナの青色と、シンシアさんの橙色。
その価値は大きい。
少なくともシンシアさんに『害意を弾く結界』を張る魔力がある状況でなら、俺やパルミュナが付いていなくても危険人物やホムンクルスを弾き出せるはずだ。
それともう一つ、これは俺もパルミュナに指摘されて初めて気が付いたんだけど、シンシアさんが自力で精霊魔法の結界を構築できたって事は、移植されてる防護結界も自力で起動できる可能性が高いと言うことだ。
もちろん、すぐにシンシアさんが防護結界の魔法陣を再構築できるという訳にはいかないだろうけど、パルミュナから移された魔法陣はすでにシンシアさんの『中』にある。
それを自力で起動させるだけなら、恐らく問題ないと。
上手くすれば、シンシアさんの魔力量なら姫様やエマーニュさん、ヴァーニル隊長の防護結界まで魔力を供給することも出来るかもしれないって訳で、もしそうなったら俺とパルミュナの行動の自由度がグンと跳ね上がるからね。
シンシアさんにプレッシャーを掛ける気は無いけど、内心では期待したいところだ。
「あの...パルミュナちゃんのはともかく、どうして私の結界もまだ動いているんでしょうか? もう、私からの魔力の供給は途絶えてるはずなのに...」
しばらくして立ち上がれるようになったシンシアさんが、自分が構築した結界の光を見つめながら、不思議そうに言った。
「あー、だからホラ、精霊の魔法陣は周囲の魔力を集めるって話をしたでしょー?」
「はい」
「アレはねー、起動するときに集めるんじゃなくって、起動してから集め始めるの。だから、人族の場合はシンシアちゃんみたいに十分な魔力がないと、そもそも起動できないってわけー」
「はい。確かにそう言うお話でしたが...」
「つまりねー、シンシアちゃんの組み上げた結界にも、この周囲にいるちびっ子精霊たちが力を貸してくれてるの!」
それを聞いたシンシアさんは吃驚したような顔をすると、魔法陣に向かって跪いた。
「みなさまありがとうございます!」
いきなり誰もいない大地と空間に向かってお礼を言うシンシアさん。
こういう咄嗟の所作って人柄が出るなあ・・・
「シンシアちゃーん、ちびっ子精霊たちに言葉は通じないからー!」
「そ、そうなのですか」
「ちびっ子たちは自然の存在なの。シンシアちゃんの作った魔方陣が上手く動いててー、その周囲が心地よいから集まってきてるだけだって思えばいいよー」
俺にも、先ほどから集まりつつあるちびっ子たちの気配が感じ取れる。
パルミュナの張った結界が、『術者』であるパルミュナが立ち去った後も動き続けている理由は、奔流から魔力を吸い上げたり、あるいはパルミュナの施した術に惹かれて入れ替わり立ち替わりやってくるちびっ子たちに魔力を供給して貰っているからだ。
人の魔法ではこうはいかない。
術者がその場を立ち去ったり魔力の供給を止めてしまえば、魔法陣はそのまま残っていても結界はしばらくすると消えてしまう。
それを防ぐために魔石を使ったりもするけれど、攻撃や防御に使うレベルの魔力を魔石でずっと供給するのは難しい。
その点でも、精霊魔法の結界は人のものとは本質的に違うと言っていいんだろうね。
++++++++++
幕営の用意が一通り終わる頃になって、ハーレイの街の代官や顔役達が手土産を持ってぞろぞろと挨拶に来た。
これは『ご機嫌伺い』って奴で、誰も姫様にお目通りできるなんて思っちゃいない。
『誰某が挨拶に来た』という事実を残すことが重要だから、みんな献上者の名前を書いた手土産を下げてきている訳だ。
ところがと言うか、予想通りに予想を裏切ってと言うか、姫様は挨拶に来た街の重鎮達を陣の中へと招き入れた。
それはもちろん、パルミュナとシンシアさんが張った害意を弾く結界の中に入らせると言うことでもある。
結果的に、結界から弾き出されたり急用を思い立って逃げ帰った奴は一人もいなかったから、この来訪者達は一応安全でホムンクルスも混じってないと見ていいだろう。
それよりも、驚いてるのは訪問してきた当人達だ。
『挨拶に来ましたよ』という証拠を置いて帰るだけのつもりだったのに、まさかの展開で姫様からのお声がけである。
もの凄く名誉なことであると同時に、絶対に失態が許されないって怖さもあるだろうからね・・・
庶民な俺としては同情を禁じ得ない場面だな。
すかさず折り畳みの簡易な椅子が人数分並べられ、重鎮達が厳粛なというか、ちょっと引き攣った表情でそこに座る。
待つことしばしで姫様のご登場だ。
ただ、姫様はああいう人だから、他の貴族のように自分の登場に合わせて称号を長々と唱えさせたりはしない。
王族ほどでは無いにしろ、姫様クラスの貴族になると爵位も複数持ってたり、それぞれの爵位に由来とか誉れとかの形容が付いていたりして、庶民の感覚で『正式な名前』を聞くと、絶対に一度じゃ覚えられない長さのフレーズが返ってくる。
ミドルネームが複数あるどころの騒ぎじゃない。
と言うか、俺も一度聞いたけど覚えられなかった。
もう、名前と言うよりは登場時の台詞だろって思うけど、それが本当に称号付きの本名だったりするのだから、貴族は面倒だよね・・・
ところが姫様は護衛の騎士を伴うだけでさっさと登場。
あまりのあっけなさに、待ち構えていた街の重鎮達も『えっ?これで?』って驚くくらいに簡潔かつスピーディー。
普通なら称号の朗読が始まる時に立ち上がって跪けばいいんだけど、いきなり姫様が登場したので、みんな飛び上がる勢いで椅子を立って跪いた。
「なんでみんな、あんなに慌ててるのー?」
「普通は上位貴族が登場する時って前振りがあるんだよ。称号とかの長ーい名前を読み上げてな。それ全部省略したから、待ってる人たちがタイミングを計れなかったってこと」
「あー、姫様っぽーい!」
「姫様に謁見する側の心臓には悪いけどな」
「皆様ようこそお越し下さいました。わたくしがリンスワルド伯爵家のレティシア・ノルテモリアにございます」
自分から自己紹介。
もう、すべての慣習、因習、儀礼フォーマットを無視。
だけどそれには理由もあって、姫様の本当の称号付きフルネームは『リンスワルド伯』のものになる。
でも姫様は自分が伯爵本人であることを、なんとなくぼやかしている状態なので、ギリギリ嘘をつかずに、さも『伯爵家の娘に過ぎない』かのように振る舞っている訳だ。
つまり、『リンスワルド伯・レティシア・ノルテモリア』と名乗ることと『リンスワルド伯爵家の_レティシア・ノルテモリア』と名乗ることには雲泥の差があると・・・それも嘘ではないけれど。
跪いて俯いたままの代官が、代表して挨拶を述べる。
「シーベル子爵家ハーレイ地区代官のジーモン・クライバーと申します。リンスワルド伯爵家の姫様におかれましてはご機嫌麗しく、よもやお目見え頂戴できるとは恐悦の至りにございます。このような場には不慣れな者たち揃いのため、至らぬ点、なにとぞご寛容頂けましたら幸いにございます」
「クライバー殿も皆様も、どうか面を上げて椅子にお掛け下さいませ」
「はっ! かしこまりましてございます」
皆さんがおっかなびっくり椅子に腰掛ける。
クライバーさんの挙動を確認しつつ、『本当に座っていいの? 後で怒られない?』っていう心の声が聞こえてきそうだよ。