<閑話:ウィリアム公と銀の梟 -2>
見事に敵兵の群を突破して荒波を抜けきったと思った瞬間、不意にシルヴィアが手綱を引いて、馬が嘶きをあげた。
シルヴィアが急に馬を止めさせたので、私も振り落とされそうになるがなんとかしがみついて凌ぐ。
振り向くと後ろに付いてきたアベルとイエネリクの姿が目前に見える。その後ろには・・・やはり敵軍に弓兵が混じっていたか!
「アベル殿、閣下を頼む!」
「引き受けた!」
シルヴィアが予期せぬ台詞を口にし、アベルが馬を横づけた。
「待て! なにをす...」
最後まで言い終わること無く、シルヴィアが手綱を放すと器用に体を捻らせ、自分で馬から転げ落ちる。
「閣下、お掴まり下さい!」
シルヴィアの放した手綱を私よりも早くアベルが掴んだ。
「なんの真似だシルヴィア!」
「アベル殿、行って下さい!」
「待てシルヴィア! やめろアベル!」
アベルは私の声に耳を貸さず馬を出した。
手綱を引っ張られた私の馬もその横を並んで走り出す。
鞍に掴まり、首を捻って後ろを見れば、彼方に並ぶゲルトリンクの弓兵とグレイブを構えて仁王立ちしているシルヴィア。
「駄目だシルヴィア、逃げろ!」
弓兵が弩を構えているのが見える。
次の瞬間、空気を切り裂く音が響いて私の横を何かが通り過ぎた。
シルヴィアが直線的に飛んでくる弩の矢を迎撃しようと果敢にグレイブを振るっている。
馬鹿な!
どれほどシルヴィアが素早かろうと、弩の矢をグレイブひとつで迎撃できる訳が無い!
「停まれ、アベル!」
「停まりません!」
「停まれ、命令だ!」
「陣に着いたら命令違反で処罰を!」
「うるさい黙れ! 停まるんだ、今すぐ引き返せ! シルヴィアがっ!」
「停まりません! シルヴィア殿が亡くなられた時は私の首を墓前に捧げましょうぞ!」
グレイブを振るい続けていたシルヴィアがついに地面に片膝を付くのが見えた。
ここで馬から飛び降りるしか無いか?
しかし、馬なしでシルヴィアの元に駆け戻っても、どうやって助ければいいのだ?
逡巡したその瞬間、私の横を前から騎兵達が駆け抜けた。
味方だ!
ようやく陣地から駆けつけてこれたか!
「シルヴィアを! シルヴィアを頼むぞ!」
私は大声でそう叫び、アベルの手に手刀を打ち込んで手綱を奪い取った。
再び急停止をさせられた馬が嘶きをあげて前足で宙を掻く。
振り落とされないように必死で鞍に踏ん張り、鐙に足を入れ直した。
馬を反転させ、大急ぎでシルヴィアの降りた場所に駆け戻る。
騎兵達は私とシルヴィアを狙って斉射された弩を装填する間をうまく縫って、敵兵の前衛に到達したようだ。
こちらの騎兵に一斉に襲いかかられて、敵の歩兵達が蜘蛛の仔を散らすように逃げ始めるのが見えた。
「シルヴィア! 無事かシルヴィア!」
前方の地面に横たわっているシルヴィアが見えた。
前後も考えずに馬から下りて、倒れているシルヴィアを抱え起こす。
「駄目だ、駄目だシルヴィア! しっかりしろ!」
左右の太腿、脇腹、左肩、四本の矢が甲冑を抜けて突き刺さっている。
「ウィリアム様...ご無事で...」
「喋るなシルヴィア、いま連れ戻してやる。すぐに治癒士を呼ぶから頑張るんだ!」
「閣下、お任せを!」
反転して私を追い掛けてきたアベルと周囲を守ってくれた騎士達が馬を下りると、自分の馬の背を覆っている馬鎧の布地を切り裂き、手早く二本の槍に巻き付けて簡易担架を作った。
四人でシルヴィアを担架に乗せると声を掛け合い、足並みを揃えてそろそろと担架を運び始める。
歩いて運んでいるのだから仕方ないのだが、もどかしいほど遅い。
本陣まで、後どの位掛かるのか?
担架の上のシルヴィアは意識を失っている。
鎧の内側では出血も激しそうだ。
「閣下!」
もどかしさと心配で気が狂うかと感じ始めた頃、前方から呼び声がした。
護衛騎士の一人だ。
見ると、馬に二人乗りしてこちらに向かってくる。
本陣に駆け戻って治癒士を連れてきてくれたか!
有り難い!
「頑張れシルヴィア、治癒士が来てくれたぞ!」
無論、シルヴィアの返事は無い。
頼む、間に合ってくれ・・・
++++++++++
「死ぬかと思ったぞ?」
「生まれつき丈夫に出来ております故」
シルヴィアはベッドの上でクッションに上半身をもたれ掛けさせたまま、柔らかく微笑んだ。
この笑顔が再び見られただけでも、あの死地から戻れた甲斐があるというもの。
尤も、そのシルヴィアがいなければ、私があの場所から戻ることは叶わなかった訳だが・・・
「違う。私の方が心配のあまり死ぬかと思ったんだ」
「お戯れを」
「戯れなものか、無茶をしおって...」
「ウィリアム様が亡くなられたら、わたくしも死ぬしか有りませんので」
「馬鹿を言うな!」
シルヴィアは優雅にティーカップを口に運ぶと悪戯っぽい表情を見せる。
「しかしながら、わたくしが生き延びられたのはこの地のお陰も有るかもしれません」
「どういうことだ?」
「どうやら、この地は流れる魔力が他よりも際立って多いように感じます。この土地に満ちている自然の魔力があの敵陣を突破し、深手を負ったわたくしが生き延びる助力になったのでは無いかと...」
「そんなことがあるものなのか?」
「はっきりとは申せませんが、有っても不思議では無いかと存じます」
「なるほどそうか...よし決めた。ゲルトリンクを落したら、ここをシルヴィアに領地として与える」
「またお戯れを...わたくしは一介の騎士でございます」
「無論、叙爵するさ。俺は必ずミルシュラントをしっかりした国にする。王と名乗るかどうかは別として、スターリング家の名誉にかけて、この地域も一つの国として束ね、人々が...どんな種族でも...住みやすい、苦しまない国を作ってみせる」
「期待しております」
「軽く言うなあ? そうなったら当然シルヴィアにも貴族として国政に関わって貰うんだぞ?」
「しかしながらリンスワルドの一族は貴族に向いていないかと」
「どうしてだ? 知恵も武も抜きん出て高い。むしろ貴族の見本になりそうだと思うがな?」
「...確かにリンスワルド家はアルファニアにおいては貴族の端くれでございました。ですので正しくは『人間族の治める国の貴族には相応しくない』と言うことでございます」
「ん、意味が分からん」
「わたくしたちはエルフ族です」
「そうだな。強く美しく寿命も長く、実に羨ましいことだ」
「エルフであることが問題なのです」
「分からん、何故だ? シルヴィアはエルフ族と言っても耳も尖ってないしぱっと見では見分けも付きにくい。人間族に溶け込めないなどと言うこともなかろうに」
「少々長い話になりますが...人間族の国の王家に、エルフの嫁や婿が入ることはまずございません。なぜなら世継ぎが生まれなくなるからです」
「いや、別にエルフ族と人間族の間でも子は出来るであろう?」
「出来ますが、その子はハーフエルフでございます」
「うん、当然だな」
「しかしながらハーフエルフが純粋な人間族と結婚しても、子供が生まれない可能性が高いのです。もともとエルフは生まれる子供の少ない種族、ハーフエルフは更に難しく、エルフ族との間では普通に子を設けられますが、人間族との間では滅多に子供が生まれません」
「そうなのか...」
「ですので、貴族や王族として必ず世継ぎが必要という話になったら、ハーフエルフの子にはエルフの配偶者を探すという事になります」
「それなら子供も生まれやすい訳だ」
「少しは、でございますが...ただ、そうしますと生まれた孫はほとんどエルフと同じです。更に、その孫と結婚した相手がエルフであれば、ひ孫は完全にエルフ族、逆に結婚相手が人間であれば、その子供はまたハーフエルフになるわけで、同じ事の繰り返しになります」
「んん、人間族の親の血は残らないと?」
「残らないとは申しませんが結局は薄まってしまい、その家系が徐々にエルフの血に入れ替わっていくことになってしまいます。それが嫌なら最初からエルフの血を入れないようにするか、まったく血縁の無い養子を取るしかございません」
「そんな理由があったのか...」
「ですので、人間が王族である国と、エルフが王族である国は、王家の血が交わることがありません。もちろん王族だけでなく貴族でも同様でございます」
「うーむ...しかし、その割にはエルフ族がどんどん増えていくなんて話は聞いたことが無い。むしろ減っているという印象すら有る」
「はい。実際、減り続けているだろうと思います。人間族の数が増えていくと、寿命が長い代わりに元々生まれる子供の数が少ないエルフ族は生きにくくなってしまいます」
「見た目では分からんが、エルフは子供が少なくて年寄りばかりと言うことにでもなるのか? 結局は種族全体の増える速さが違うということか」
「人間族に較べればそういうことになりましょう。一人のエルフの寿命がどんなに長くとも、人間族の増える速さには敵いませんので...そもそも生まれる子供の数が桁違いなのでございます」
「なるほどな...そういうことであったか。しかし私はミルシュラントをあらゆる人族が平等に暮らせる国にしたいと考えている。そうであれば、貴族や王族がエルフや他の人族でも特に問題はあるまい?」
「人族同士、みな互いを受け入れ合うことが出来れば、それ自体には問題ないかと思います」
「含みのある言い方だな?」
「そうであってもリンスワルドの一族は、どこの貴族家にも嫁に行くことが出来ないからでございます。わたくしは、お世継ぎの必要な貴族の方と結婚することは出来ません」
どういうことだ?・・・