離れの館
その日は、姫様から貰ったミルシュラント公国の地図を眺めながら、王都から北部へ向けてどういうコースをとるべきか、どの程度の日程を見込んでおくべきか等々をあれこれ考えつつ客間で過ごしていた。
『現地に行ってみなけりゃ分からない』と言うのは、大抵の場合その通りなんだけど、それでも事前に得られる情報の限り考えを巡らせておくに越したことはないからね。
そう言えば、コレも師匠から教わったことの一つだな・・・
最期はガルシリス城の時みたいに『出たとこ勝負』にならざるを得ないとしても、手札は多い方がいいに決まってる。
ちなみにパルミュナは、領地とか街とか街道とか宿場とか、そういう人の行いに起因するものには相変わらず興味が薄い。
以前ほどではないけど、およそ人が作ったものは、「なぜそれがそこにあるのか?」とか「その道がそこを通っているのはなぜか?」とかがピンと来ないらしい。
だから一緒に考えていてもすぐに飽きる。
そして飽きてベッドの上でゴロゴロしているという平常運行だ。
機嫌が良いならなんでも良いけどな。
「それにしても、そうやってしょっちゅうゴロゴロしてて、よく飽きないっていうか退屈しないな?」
「うん、ここってさー、ちびっ子たちが凄く多いんだよー。屋敷の中も外も。あのワインも納得って感じー」
「あ、やっぱりそういう感じだよな?」
俺もなんとなくそういう風には感じ取っていた。
「そー。だからねー、ちびっ子たちが入れ替わり立ち替わり、あれこれ動いてるの見てるだけで飽きないかなー?」
なんだかんだ言って、パルミュナがちびっ子たちに向ける眼は慈しみに満ちている、と思う。
大精霊って存在どうこう以前に、根がやさしいパルミュナだからって考えるのは身贔屓かな?
地図を見ながらああでもないこうでもないと考えを巡らせて過ごしていると、部屋付のメイドさんが廊下から声を掛けてきた。
「クライス様、姫様がお見えです」
「あ、お通し下さい!」
いつも通り、エマーニュさんも姫様と一緒だ。
「ご勘案中にお邪魔をしてしまいましたでしょうか?」
「まさか。姫様から頂いた公国の地図を眺めてただけですよ」
「さようでしたか。残念ながら、わたくしの手元には各地の細かい地図はございません。それぞれ異なる貴族の領地でございますので」
「いやあ、公国全体を見渡せる地図があるだけでも十分っていうか贅沢なくらいですよ。ちゃんとした地図が揃ってる国の方が少ないですからね」
「先の大戦争からおよそ四百年近く。もはや戦乱の時代は遠ざかったと思いますが、それでも地図を軍事機密扱いする領主は少なくありませんから」
「そりゃ仕方ないでしょう?」
「しかしながら、地図を広く公布して領内の道普請についての意見を民から集めたり、街や村を発展させる計画を立てたりという方が、遙かに国全体に益のあることと思います」
「なるほど。確かにそうですね」
さすが、経済に関しては怒濤の開発力を見せるリンスワルド伯爵のご意見だな。
「幸い、大公陛下はそういった考えに理解があり、今後は徐々に各地の詳細な地図も共有していこうという流れになっております。王都に着きましたら、大公陛下の元を通じて北部の地図を入手することも可能かと思います」
「お、そりゃあ助かりますね!」
実際の処、細かな地図が手に入るなら、エルスカインの襲撃を受けそうな場所とか、そういうことも視野に入れてコースを考えることも出来るだろう。
それに旅をしている途中で、自分の現在位置が分からないほど不安になることってないからな・・・
それが解消されるとすれば、かなり心強いはずだ。
「ところで話は変わりますが、現在ダンガ殿やレビリス殿にお使い頂いている『離れ』のことでご相談がございます」
「あ、はい」
「あの離れの客間は元々、大公陛下のご家族一行がこの地に休養に見えられた際にお使い頂けるよう普請したものでございます」
「えええぇぇっー!」
いやいやいや、そんな場所を俺たちみたいな有象無象に勝手に使わせちゃ絶対駄目でしょ!
これは・・・
俺の方が呑気に考えすぎていて、むしろ萎縮してたダンガたちの気遣いの方が正しかったか!
大公陛下の耳に入ったら大変なことになるんじゃないのか?
「しかしながら、大公陛下も御多忙の身、今後はそうそうこの地にいらっしゃることもありません。あの離れもいつなんどきでも使えるようにと常に保って参りましたが、事実上、使い道のない状態でございました」
「は、はあ...」
ひょっとして部屋を汚しすぎた?
いや、ダンガたちに限ってそれはないだろう。
と言うか、姫様がそんなことを言ってくるはずがないな、うん。
「そこで、あの離れをライノ殿にお譲りしようと考えた次第です」
「はい?」
「あの館そのものをご自分のものとして頂き、自由に使って頂ければ僥倖にございます」
「ええっと?」
「もちろん、管理のお手を煩わせたりは致しません。館の管理や皆様のお世話はこちらの家人ですべて引き受けさせて頂き、万事遺漏なく行き届かせます」
「いや、えっと、それはひょっとして、あの離れの屋敷を俺たちに下さるって話ですか?」
「はい。言うなれば、今後のリンスワルド領におけるライノ殿、レビリス殿、ダンガ殿ご兄妹の住居や拠点としてお使い頂ければと考えた次第です」
「本気で?」
「もちろんですわ。運用はすべてこちらで受け持たせて頂きますので、余計な費用やお手間を掛ける事にはならないかと存じます。どうかお納め下さいませ」
ソファとテーブルが欲しいだの、ティーセットやクッション下さいだのを我が儘と言ってたレベルじゃないな。
「すっごーい! 姫様って気前がいーね!」
「こらっ、それは貰う立場の物言いじゃないぞ?」
「ごめんなさーい。でも姫様ありがとー、みんなでちゃんと使わせて貰うねー」
俺の代わりにパルミュナがちゃっかり受け取りやがった・・・
まあ、断るって選択はないだろうけどな。
「いや、なんかありがとうございます。ロクにお礼も出来ない立場ですけど」
「とんでもございません。みなの命を助けて頂きました上、あの村のためにとグリフォンも御下賜頂きました。むしろ、離れの屋敷程度でお礼になるとは思っておりませんが、わたくしはただ、お二人に喜んで頂ければ幸せなのです」
なんて言うか・・・度肝を抜かれたって感じ?
姫様とエマーニュさんは、あまりに唐突というかダイナミックな話に呆けている俺にニッコリと微笑むと、優雅に部屋を辞去して立ち去った。
なんだか、俺が面食らってアワアワしてる姿を見てることが楽しそうだった気もする。
姫様から移譲されたとサラッと言っていいのかどうか判断できないくらい驚いたが、とにかく姫様から『離れの館を差し上げます』と言われたのは確かだな。
うーん、これは有り難い話なんだけど、今後の行動がどうなるか読めない状況では、先々の使い道も判断できないなあ・・・・
まあでも、この先もリンスワルド領で暮らしていく予定のレビリスやダンガ兄妹たちの役には立つか。
俺も、時々ここに来てみんなに会えたりしたら嬉しいなあ・・・
となると・・・
「そういやパルミュナ、聞くの忘れてたんだけど王都の屋敷な? アスワンがそこに移動用の転移門を用意してるって言ってたんだけど、それってどういう風に使えるんだ?」
「あれはねー、双方向っていうよりも往復用って感じー?」
「なんだそりゃ?」
「屋敷の転移門を起点にして指定した場所へ跳べるんだけどー、そこから別の場所へ跳んだりするのは無理。まーつまり、行って帰ってくるだけってことねー」
「いや十分だと思うぞ?」
「そーだけどさー。お兄ちゃんが行ったことのある場所にしか跳べないからね?」
「そりゃあ行ったことの無い場所なんて頭の中でも想像できないだろうしなあ...って言うか前に聞いた話だと、両側に転移門がないと駄目なんだろう?」
「そーゆーこと。だから何処でもいいけど、まず実際にそこに行って、戻るための転移門を置いとかないといけないの」
「そっから屋敷に戻るってわけか」
「うん、だからお兄ちゃんが自分で仕込む転移門は、屋敷に逃げ戻る時専用になるかなー」
「お前なあ、『逃げ』は余計だろ。普通に戻る時と言え」
「まーこれはねー、魔力量の関係なの」
「俺の魔力量じゃ、行き先を選べないってことか?」
「選べないって言うかー、そもそも跳べないって言うかー?」
「あ、分かったぞ! 屋敷の転移門は、そこに流れてる奔流の魔力をアスワンが上手く使って作り込んでるんだな? だから、そこからならどこへでも跳べるけど、帰りは俺が自分の力で跳ばないといけないから、常に魔力を補充されてる屋敷の転移門にしか戻れない...そういう事じゃないか? どうだ?」
「おおっー、だいせーかーいっ!!!」
「良し!」
妹よ、この兄も日々進歩しているのだよ。
たぶん。




