ウォーベアの討伐
翌日も同じように野営跡を片付けて道に戻る。
昨日の段階で旧街道への分岐は通り過ぎているので、あとはこのまま本街道に合流するまで進むだけだ。
恐らくだが、ここから本街道への合流までは一日以内で歩ける距離のはず。
ギリギリ日が暮れる前には、本街道沿いのどこかの宿場に駆け込めるだろうと考えているのだが、道程が予想通りと行かなかった場合は、街道の手前にある里で泊めてもらうか、森でもう一泊の野営をすることになるかもしれない。
それにしても・・・旧街道から山道に入って今日で四日目。
ワンラ村の人々や破邪崩れの山賊は別として、この四日で誰にも出会っていないというのは、いくら寂れた裏道だとはいえ、ちょっと極端だなあ。
魔獣が出たという話が、結構遠くまで伝わっていて、みんな用心しているのか?
一応パルミュナにも感想を聞いてみる。
「いくら寂れた裏道だと言っても人の気配がなさすぎるよな?」
「そーねー。魔獣が出た話がよっぽど広まってるのか、それとも...」
「それとも?」
「この辺りの里にも、あちこちで魔獣が出てるのかなー?」
あー、それって最近の魔獣発生率の高さから言うと、あながち否定できないんだよなあ。
いまではその理由がアスワンから説明された通り、異常な魔力の奔流が発生しているせいだって分かってるけど、その影響がどこでどのくらい出てるのか?は、精霊たちも追いきれてないっぽい。
あんまり魔獣の発生が増加するようなら、ことによっては人の生活圏に影響が出てくることもありうるな。
あの破邪崩れの山賊たちみたいに、よく分からん魔力絡みのことも起きてるし。
大昔の戦争時代のように、関税を取らないような小さな街でも城壁で囲う羽目になったりするんだろうか?
いや、それよりも田舎の集落が問題だな。
魔獣の闊歩する中での農作業や山仕事なんてできるわけもない。
・・・あれ?・・・
それって、もしかしたらとんでもなくマズイんじゃないのか!?
「なあパルミュナ、仮にお前らが言ってるように、あちこちでポコポコと凶暴な魔獣や魔物が産まれ始めてるとすると...人族にとっては、住める場所が減るだけじゃなくて、畑とか牧場とか使えなくなってさ、食糧の生産にもすごい影響が出るんじゃないのかな?」
「うん? そーねー。そうなるのかなあ...」
「そんな呑気な話じゃないぞ。食べ物が満足に供給できなくなるなんて世の中が大混乱だ」
「それはそーか。食べ物は人の社会の礎だもんねー」
「物語でしか知らないけど、太古の世界大戦の時みたいに、世界中が荒廃して沢山の人が飢えて辛い目にあう、なんてことになったら嫌だなあ...」
ひょっとするとだが、やっぱりアスワンたちが思っているよりも状況が逼迫しているって可能性はありうる。
元々、精霊は人族だけの事情とかそれほど気にしてない様子だし、精霊たちの感覚ってけっこう雑っていうか、いい加減な気もするからな。
ポルミサリア全体って言うならまだまだ時間の余裕はあるかもしれないけど、『人族にとっての世界』っていう視点で見ると、ちょっとしたバランスが傾くだけで酷いことになるかもしれない。
「すぐにそんなになっちゃうものー?」
「だってなあ、昔より人も増えてるんだよ。国や領地ごとに農業を管理して人が飢えないようにしてるから、なんとかなってるんだ。それがグチャグチャになってみろよ。あっという間に飢餓が起きたり、食糧を奪い合って戦争が起きたりだってするかもしれないんだ」
「あー、人数が多いと、ライノみたいに山に入って食べ物探せばいいって訳にもいかなくなるかー」
「人の農業ってのは一年がかりで食べ物を作ってるから、一回でも、それがうまくいかなかっただけで、みんなが次の一年以上も飢えることになったりするんだ」
「そーいえば、麦とか育てるのに時間かかるもんねー」
「ああ。アスワンは『まだ慌てる時期じゃない』みたいに言ってたけどさ・・・人族の目線だと、ひょっとしたら何世代もかけて地道に魔力の草刈りして回ってる場合じゃなかったりするかもしれないぞ?」
「そっかー。ポルミサリアという器が無事でも、その前に人族がどーにかなっちゃうとしたら、勇者としては黙って見てられないよねー」
「ああ、勇者だからな」
「そーね、勇者だもんね!」
とは言ったものの、だからって俺ごときに何ができるってもんでもないだろうし、実際どうすれば良いかも分からないけどさ。
ちょっと不安・・・
++++++++++
その後、その件が頭の中で悶々として魔法の練習にもあまり身が入らない状態で歩き続け、太陽が天辺を通り過ぎて少し経った頃のこと。
俺とパルミュナが、その気配に気がついたのは、ほぼ同時だったと思う。
「あっ!」と、二人が無意識に揃って声を上げていた。
「魔獣か?」
「だねー」
すごい勢いでこっちに向かってくるのだが・・・どうも近づく気配はそれだけじゃない。
刀に手を添えて鯉口を切り、いつでも抜ける状態にする。
その場に立ち止まって身構えていると、山側の斜面の上から、下草をかき分ける音や小枝を踏み折るような音がどんどん近づいてきたと思ったら、程なくして斜面から転がり落ちるように二人の男が路上に飛び出してきた。
男達は、一旦、こちらを向いて立ち上がったが、すぐに俺とパルミュナに気がつき、『逃げろっ!!』と大声で叫ぶと同時に、踵を返して反対方向へと走り始めた。
ほう・・・最初はこっち向きに逃げるつもりだったのに、俺とパルミュナを巻き込まないように、咄嗟の判断で向きを変えたのかな?
だとしたら見上げたものだ。
自分達が助かるためになら、見ず知らずの通行人に魔獣を押し付けようとする碌でもない奴だってゴロゴロいるっていうのに。
俺は、即座に荷物を地面に落として刀を抜くと、二人の後を追って走り出した。
すぐに、大きな黒い魔獣が目の前の斜面から転がり出てくると、迷わずに、いま逃げていった二人の方を追う。
これは匂いで追っている様子だな。
俺は全力でその後を追う。
前を逃げていた二人も、逃げきれずに追いつかれることを悟ったのか、魔獣に向き合って剣を構えた。
それを見て魔獣が一瞬だが速度を落とし、二人に飛びかかるタイミングを測ろうとしてくれたことが幸いした。
「こっちだぞっ!」
俺は大声で魔獣に声をかけて、こちらに振り向かせる。
魔獣は一瞬だけ逡巡する様子を見せたが、自分に向かってまっすぐ走ってくる俺を片付ける方が優先だと判断し、体の向きを変えた。
そのまま飛び出すような勢いでこちらに突っ込んでくる。
まあ、その大きさなら人なんか一撃で屠る自信があるだろうな。
だが、お生憎様だ。
俺は精神を集中して、自分の体に魔力を込めるイメージを描いた。
途端に、周囲の動きがゆっくりとなり、こちらに駆け寄ってくるウォーベアの動きが緩慢としたものになった。
これも精霊に貰った勇者の力の一つだ。
自分の体と心の動きを普段の何十倍にも加速して、周囲の出来事を絵画のようにゆっくりと眺め、そして誰よりも早く動くことが出来る。
近づいた魔獣が大きくジャンプして俺の顔に向けて飛びかかってきた瞬間に、俺はわずかに腰を落とす。
ウォーベアは攻撃にフェイントを使える程度には頭がいい。
恐らくこいつの狙いは、噛み付くと見せかけて大口を開けた牙に気を引いておき、実はその直前に、大きく伸ばした両手の爪で刀を払って俺の顔を引き裂くことだ。
それを読んで、体を横に開いて鋭い爪を躱しつつ、下段に構えていたオリカルクムの刀を振り上げる。
おい魔獣よ、この反応は予想外だったろ?
魔鍛オリカルクムの刀は全く抵抗を感じさせることなく、突き出された魔獣の両手首を一閃で断ち落とした。
俺に避けられたことで攻撃が空振りした魔獣は、体を捻って着地しようと地面に前足を着くが、そこにはもう手首から先がない。
痛みと衝撃に着地でふらついた魔獣が雄叫びをあげ、怒りに満ちた目で俺の方に頭をふりむけて、再度飛びかかろうと後ろ足に力を込めるのが分かった。
俺はその動きを待たずに、自分から魔獣の間合いに飛び込んで、オリカルクムの刀を真横に払う。
一拍の後、後ろ足だけで半分がた立ち上がりかけていた魔獣の頭が、ずりっと首の付け根から滑るように離れて地面に落ちた。
力を込めて動き始めていた巨躯がバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れ込んでくる。
俺はそれを避けるために軽くステップを踏んで後ずさると、地面に転がったウォーベアの首に目をやった。
気のせいか、ちょっと恨めしそうな表情だな?
もちろん勇者の体が持つ絶対的なスピードがあったとは言え、破邪の経験値を舐めてもらっちゃあ困るね。
たとえ勇者の力を貰う前であったとしても、エドヴァルの武闘派破邪なら誰でもウォーベアに遅れを取ったりはしないさ。
しかも魔鍛オリカルクムの刀のおかげで、かなり楽というか、安心安全な討伐ができた。
つくづく思うが、これは良いモノだ。
俺が刀についた血を浄化して鞘に納めると、先ほどの二人がこちらにやってきた。
二人ともエルフか?
どちらも短めの剣を下げているが、破邪の装いではなくて、狩人っぽい感じだな。